34年ぶり160円台、円安はどこまで進むのか=日本経済「アジア新興国並みに」の予測も

為替市場では年明けから円安が進んでいる。日本銀行が3月の金融政策決定会合でマイナス金利政策の解除を決め、一服するかと思われたが、その後も円安は加速している。

為替市場では年明けから円安が進んでいる。日本銀行が3月の金融政策決定会合でマイナス金利政策の解除を決め、一服するかと思われたが、米景気の予想以上の強さを背景に米金利の低下観測が遠のいたことや、4月の決定会合後の記者会見で植田和男日銀総裁が当面金融緩和を続ける姿勢を示したことなどから、円安はむしろ加速。一時34年ぶりに1ドル=160円台をつけ、その後も不安定な値動きとなっている。これまでの異次元緩和の後遺症で、日銀が利上げに踏み切りにくいという事情もあり、円安の流れは当面続きそうな気配だ。

経済界からも是正を求める声

個人的な昔話で恐縮だが、円相場というと頭に浮かぶのが、前回の東京五輪が開かれた1964年の小学校の遠足での思い出だ。バスに乗って郊外の見学に出かけた帰り道、バスガイドさんが3年生の私たちに、こんななぞなぞを出した。「バスの運転手さんは、今いくらお金を持っているでしょう?」。私たちがどう回答したかは覚えていないが、答えは180円。現在60代以上の方ならお分かりだと思うが、ドルと円は戦後長い間1ドル=360円の固定相場だった。運転手さんが握っているのはハンドル。「半ドル」とも読めるため、360円の半分の180円となる。

たわいのないエピソードだが、このバスガイドさんの問いかけは、当時8歳の私に「1ドルは360円」という事実を強烈に印象づけた。今でも、為替について考えるたびに思い出すほどで、いささかオーバーながら、私にとっては円相場の原点ともいえる記憶だ。

あれから60年。円相場は、71年のニクソンショックでの円切り上げ、73年の変動相場制への移行、ドル高是正のための85年のプラザ合意などを経て、基調的には円高傾向をたどり、80年代末からはおおむね1ドル=100~150円のレンジで推移。2011年には同75円台まで円高が進んだが、12年末の第二次安倍政権発足後はある程度の上下動を伴いつつも同120円を中心とした水準で取引されていた。しかし米国の利上げなどを背景に22年から円安が進み、同年10月に同151円まで下落。その後やや戻したものの、今年に入ってから再び円安の流れが加速している。

輸出産業が経済の花形だったかつての日本では、円安は輸出を促進する好材料として歓迎されていた。しかし貿易収支の赤字基調が定着しつつある現在、エネルギーや食料品などの輸入価格を押し上げる円安は、全体としてはマイナスが大きい。昔だったら円安を歓迎したであろう経済団体から是正を求める声が噴出しているのはその証左だ。経済規模でドイツに抜かれるなど日本経済全体の低迷という事情はあるものの、現在の円安は行き過ぎであり、せめて同130円程度まで戻してほしい、というのが大方の見方ではないか。

利上げできない本当の理由がある?

そうした中で4月末に開催された日銀の金融政策決定会合は、円安傾向に対して何らかの対応措置が打ち出されるのではないかとの観測が浮上し、大いに注目された。しかし、結果は「金融政策の現状維持」。植田総裁は会合後の会見で、「(円安の)基調的な物価上昇率への大きな影響はないと判断した」と述べ、円安に対応するための利上げには慎重な見解を示した。

たしかに、今年4月の東京都区部の消費者物価指数(生鮮食品を除く)は前年同月比1.6%の上昇と、円安にもかかわらず比較的落ち着いており、同総裁の発言は理解できないことはない。ただ、生鮮食品を除く食料は同3.2%増と依然として高水準にあり、また4月の東京には高校授業料の実質無償化の開始という特殊事情があった。円安の物価への影響は今後本格化する可能性があり、楽観はできない。

これだけ円安が進んでいるのに日銀が利上げに慎重な理由として、物価への影響が(現時点では)比較的小さいこととは別に、公言しにくい隠された理由があるとの見方もある。エコノミストの河村小百合氏は、著書「日本銀行 我が国に迫る危機」(2023年講談社現代新書)で、利上げした場合、この10年間の異次元緩和を通じて日銀が大量に買い込んだ国債の価格が下落して債務超過に陥り、日銀そのものはもとより通貨としての円の信認が損なわれる危険性を指摘。「利上げに踏み切りさえしなければ、インフレの進行が放置されるリスクは高まりますが、日銀は赤字にも債務超過にもなりません。このことこそが、日銀が超金融緩和からの転換を頑なに拒み続ける本当の理由なのだろうと私は思います」と喝破している。

また、超低金利のおかげで低水準に抑えられていた国債の利払い費が、利上げすれば大幅に増加し、現在でも先進国中最悪と言われる財政を一段と圧迫する恐れがある。要するに、利上げすれば日銀の財務と国の財政の双方に重大な危機が招来する可能性があるため、円安が進んでも、インフレが進行しても、超低金利政策を簡単には放棄できないという訳だ。

そうなると、利上げに慎重な日銀(その裏にはもちろん政府がいる)と、円の先安観を強めるマーケットとの我慢比べになる。参議院議員で元為替トレーダーの藤巻健史氏のように「円は1ドル=400~500円まで値下がりする」と予測する人もいるが、そこまでいかなくても170円、180円と円安が進んだ時、政府・日銀はどう対応するのか。そうならないことを祈りつつ、状況を注視していきたい。

「金利のある世界」への復帰を

為替相場はその国の経済力、ひいては国力を反映すると言われる。その意味で、最近の円安は「失われた30年」の結果とも言えるが、経済産業省がこのほど発表した資料「2040年頃に向けたシナリオについて」は、その点で興味深い内容を含んでいる。同資料によると、この30年間の経済の低迷は、企業が生産拠点を海外に移して国内投資を控えたことが主因であるという。「おいおい、政府の経済政策への反省はなく、民間にすべて責任を押し付けるのか」と言いたくなるが、国内投資の抑制が経済活性化を阻害した一因であることは事実だろう。

その上で同資料は「これまでと同様の経済運営・企業経営を継続すると…実質賃金・国内総生産(GDP)の成長は横ばいにとどまり、新興国に追いつかれ、海外と比べて『豊かではない』状況に陥る可能性が高い」と警鐘を鳴らす。従来の延長線上では、名指しこそしていないものの中国やインドといった新興国に追いつかれ(あるいは追い越され)、「世界と勝負できなくなる」恐れがあるという見立てだ。そうした事態を避けるためには、海外への輸出・投資を拡大するとともに利益を国内に還流させ、「ソフトウェアや研究開発を含む国内投資・賃上げ・イノベーションを継続的に拡大」していく必要があると説く。

経産省がこうした見通しを公表した背景には、同省が旗振り役を務める半導体産業への巨額投資を正当化する狙いがあるとみられる。その点は割り引かなければいけないが、日本経済が今後も成長し、アジアの新興国に負けない存在感を維持するには、先端産業への投資が必要なことも事実だ。

ただ、「これまでと同様の経済運営」の中には、この10年間の超低金利政策と、それに伴う円安も含まれるはず。超低金利政策は、結果としてゾンビ企業や非効率な制度の延命を許し、日本経済の新陳代謝の遅れを招いたとする見方は少なくない。活気のある経済社会を取り戻すには、「金利のある世界」への復帰が不可欠だ。日銀には、時間はかかるかもしれないが、金融政策の正常化と、それによる国力に見合った円相場への誘導を期待したい。

■筆者プロフィール:長田浩一

1979年時事通信社入社。チューリヒ、フランクフルト特派員、経済部長などを歴任。現在は文章を寄稿したり、地元自治体の市民大学で講師を務めたりの毎日。趣味はサッカー観戦、60歳で始めたジャズピアノ。中国との縁は深くはないが、初めて足を踏み入れた外国の地は北京空港でした。

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