人を壊すのも、人を救うのも人でしかない―映画『ミッシング』吉田恵輔監督インタビュー

映画『ミッシング』は石原さとみが2022年の出産後、1年9ヶ月ぶりの芝居に臨んだ作品である。吉田恵輔監督作品への出演を熱望し、直談判した石原が演じるのは娘の失踪により徐々に心を失くしていく母親・沙織里。女優として、これまでに見せたことがない顔を見せた。娘の行方を探し続ける家族の取材を真摯に続ける地元テレビ局の記者・砂田を中村倫也、不器用ながら沙織里を支え続ける夫・豊を青木崇高、最後の目撃者となった沙織里の弟・圭吾を森優作が演じている。オリジナルで脚本を書いた吉田恵輔監督に作品への思いを語ってもらった。※吉田恵輔監督の吉は<つちよし>が正式表記。(取材・文/ほりきみき)

やりたいものリストにあった“ミッシングもの”

──最初は圭吾が主人公の話を考えていたそうですね。彼が預かっていた姉の子どもが行方不明になった話を思いつき、脚本を書いていく過程で物語が姉の方にシフトしていったとのこと。物語の着想のきっかけや主人公が変わった理由をお聞かせください。

構想は『空白』(2021)のときの撮影中にたまたまミキサー車が走っているのを見て、今度はミキサー車の運転手の話を書きたいなと思ったところが始まりです。

その運転手の圭吾が何を背負って生きているヤツなのかを考えたときに、頭の中の引き出しにあるやりたいものリストにあった“ミッシングもの”がすぽっと入ってきて、大事な人を自分のせいで行方不明にさせてしまったという物語が生まれました。

ところが、本を書き始めたらうまく書けなくて…。「一番キツいのは圭吾ではなく、母親であるお姉ちゃんだ」ということに気づいてしまったのです。弟目線で書くと怒られ続けているだけですし、お姉ちゃんもきちんと書こうとすると弟よりも圧倒的に出番が増えてしまう。「じゃあお姉ちゃんを主人公にすればいい」となり、旦那さんやテレビ局とのやり取りを書いたら、弟の番手がどんどん下がってきたという感じです。

物語を書くときに主人公が変わることはよくあります。『BLUE/ブルー』(2021)は3人の男の話でしたが、僕としては主人公が誰でもよかった。キャスティングの結果、主人公は瓜田に決まりましたが、出番的にはあまり変わらず、違う人が主人公でも成立する書き方をしていました。

吉田恵輔監督 ※吉田恵輔監督の吉は<つちよし>が正式表記

──スターサンズの河村さんに企画を話し、テレビ局を描きたいと思っていた河村さんが興味を示してくれたとのことですが、河村さんからは何か方向性を示されたのでしょうか。

脚本をだいたい書き終えたところで、こんなものをやろうと思っていると話したら、「テレビ局が出てくるのはいいね。やりたかったんだよ」と言われました。それで、テレビ局のことをもっとディープに書きたくなって書き足したのです。

これまでの作品も含めて、河村さんから提案されることは基本的にはなかったですね。他の監督さんは河村さんの企画を撮ることが多いようですが、俺は「脚本が完成したら見せて」と言われることが多い。河村さんはあくまでも協力するというスタンスでした。

──テレビ局に関して、監督としてはどのようなことを描きたかったのでしょうか。

『空白』ではテレビ局の一側面しか描けなかったので、やり残したことがかなりありました。このままではフェアではありません。『空白』とこの作品を見ていただくことで、テレビ局に対する俺の考えがわかってもらえると思います。順番として、どちらを先に見ていただいても問題ありません。

──監督は「本作は自分のキャリアの中で最も覚悟のいる作品になります。執筆中から何度も手を止めてしまうほど、辛く苦しい現実を描きました」とコメントされています。そこまでして書きたいと監督を突き動かした原動力は何だったのでしょうか。

映画で食べていますからね(笑)。サクッと書けることに越したことはありませんが、逃げようがないのです。でも、書きたくないときは書きません。本数を減らして、もう少しのんびり書いてもいいのですが、それはそれで飽きてしまう。早く書いて何か楽しいことをやろうと思いながら書いています。

俺の場合、撮っている時間よりも書いている時間の方が圧倒的に長い。何が書けるのか、自分でもわかっていないので、書き終わってから“どこの会社に持って行くかな”と考える。書いているときに誰かに相談したりしません。孤独な仕事です。最近やっと配給会社やプロデューサーとの付き合いが増えてきたので、出来上がった脚本に応じて、バイオレンス系ならこの会社、コメディならこの会社という感じで相談します。

今回は書いているうちに絶対にスターサンズ案件だと思ったし、河村さんに話したら興味を持ってくれたので、じゃあやりましょうとなりました。

石原さとみと組むことで想定外の扉が開きそうな気がした

──主演の石原さとみさんはご本人が監督の作品への参加を熱望したことが出演のきっかけと聞いております。姉が主人公になった段階で石原さんに当て書きしたのでしょうか。

当て書きはしていません。むしろ主人公は華やかでリーダー的な印象の強い石原さんからいちばん遠く、(石原さん本人に脚本が渡る前に事務所がOKしないだろう、という意図だったそうですが、分かりづらいため、トルツメでお願いいたします)自分のイメージを体現できる人は何人か思いついたので、そういった方に来てもらえば、思った通りの映画にできる自信はありました。でも、それでは自分の予想を超えられない。石原さんはあんまり俺の映画っぽくないと思っていたけど、あれだけ第一線でやってきた人と組むことによって想定外の扉が開きそうな気がしました。そう思ったら、何か新しいことをやってみたいという気持ちが自分の中で大きくなったのです。結果的には大きな賭けに勝ったと思います。

──石原さんご本人の反応はいかがでしたか。

脚本を渡したときはめちゃくちゃ喜び、脚本についても「最高です!」と言っていました。そのときは本当にそう思っていたのだと思います。しかし、現場には“怯えた小動物”のように、弱りきって迷走した状態で現れました。「やる、やる」と言っていたけれど、いざ撮影となったら怖気付いてしまうという意外な一面を知ることができたところからのスタートでした。

──“怯えた小動物”になってしまった俳優の方はこれまでにいなかったのでしょうか。

いませんでした。唯一、それに近いのが『空白』の片岡礼子さん。あの作品は一発OKの俳優が揃っていたのですが、片岡さんは打ち合わせの段階からすっぽ抜けるくらい肩を振り回していたので、「この力の入れ方だと失敗するだろうな」と心配していました。すると案の定、ドはまりしてしまい、エンドレスになるかと思うくらいテイクを重ねることになったのです。それに近い感じがありました。

──この作品もテイクを重ねたシーンがあったということでしょうか。

死ぬほどやっています。クランクイン前からそれに付き合う覚悟でいました。

これまで何本も撮ってきましたから、“主役をやっている人がここはドはまりするだろうな”というところが大体、想像つきます。でも主役が全部ドはまりするというのは初めて。しかも何でもないところでもはまることがあって、この作品はかなり手こずるだろうと思いながら撮っていました。

──石原さんから何か相談はありましたか。

彼女が気になったことは聞いてきましたが、相談という感じではありませんでした。そもそも彼女はそのときのテンションで芝居をしているので、俺が伝えたことに対して、「わかりました」と言いながら、次のテイクでは全然違うものを出してくる。最初は驚いて戸惑ったけれど、それが面白いと思ってOKになったシーンもいっぱいあります。

具体的な指示を出すのではなく、石原さんに何かが下りてくるようにヒントをあげて、うまくいくことを待つといった感じでしたから、何かが下りてきやすいようにみんなで「オーライ、オーライ」とやっていました(笑)。

──監督はひたすら見守っていたのですね。

そうですね。ただ、石原さんががんばっているのを見ているとファンになってしまいます。そうなると子どものお遊戯会を見ている親のように何にでも感動し、OKを出してしまいそうになるので、ギリギリまで別のことをしてから見るようにしていました。観客は親心で見ているわけではありませんから、「これ、何の撮影をしているの?」くらいの冷めた気持ちで見ても感動しないとお客には伝わらないだろうと思っていたのです。でも、俺は涙もろいところがあるので、すぐにうるうるしちゃうんですよ。そうするとOKと言いたくなってしまう。(この一文は過去作の時の話をしているかと思いますが、『ミッシング』の時の話のようにも聞こえてしまうため、トルツメでお願いいたします)そういうときは客観視ができていなかったのだと思います。

青木崇高には大型犬のような愛おしさがある

──夫の豊はどんなときでも沙織里を支え、感情が昂ってもキレてしまうことはありません。そんな豊を青木崇高さんは見事に体現されていました。

豊には沙織里の熱量を受けとめて、守れるような男であってほしいと思っていました。青木さんは体格がいいし、体毛や髭が濃く、男臭さを感じる。でも、どこか不器用そうで、青木さんが泣きそうな顔をしたら、男の俺が見てもキュンとしてしまうかもしれない。大型犬のような愛おしさがある方ですね。

──青木さんとは事前にどのような話をされましたか。

事前に顔を合わせたときは世間話をしただけで、作品のことを話さないまま終わってしまいました。現場でも基本、石原さんに捕まっているので、細かい芝居のクセみたいなものをどちらにするかといったことくらいしか話をしていません。“どこまで攻撃的でもいいのか”、“どこまで冷めていてもいいのか”といった線引きもこちらが言わなくてもいいところを突いてきてくれていたので、「もうちょっと強くてもいいかもしれないね」くらいしか言うことがありませんでした。脚本の理解度が素晴らしく高い方です。しかも青木さん自身が豊のようなキャラクターですから、やり辛いことはなかったと思います。

──テレビ局の記者として報道の仕事に携わっている砂田を中村倫也さんが演じています。登場したときの表情が『空白』の松坂さんと雰囲気が似ていた気がしました。

以前から上手い人だなと思っていて、一緒に仕事したい人リストの上位に名前があったのですが、偶然、役柄にハマっていたのでオファーしました。

砂田は少し抑えめなキャラクターですが、俺が好きなキャラクター像が大体そう。中村さんは元々そういう芝居をやっている人なので、『空白』で松坂さんが演じたキャラクターに近いように見えたのかもしれません。そもそもイケメンな人って引き算していくとあんな感じになるんですよ(笑)。

──中村さんとも詳しく話をすることはなかったのでしょうか。

映画の内容について、俺も言わないし、中村さんも聞かないといった感じでしたね。中村さんが黙々とやって、俺が「こういう感じにしてもらえますか?」と話すと、ひとこと「わかりました」と言って、淡々と演じてくれる。現場でも他愛のない話しかしていません。

実はその手のタイプの俳優が俺の映画ではいちばん多い。『空白』で言えば、古田新太さん、松坂桃李さん、寺島しのぶさんは何も言ってこなかったですね。他の作品でも、俳優の方々と映画の内容について話すことはほとんどしてきていないのです。

ですから、中村さんのテレビ局のシーンはいつもの俺の映画スタイルっぽくて、とてもやりやすかったですね。慣れた雰囲気での撮影でリラックスして、「明日、一日がんばるぞ!」と思っていました。

他人のために泣け、他人のために動ける人間には何か光は差す

──「ミッシング」というテーマは描き切れましたか。

「ミッシング」に関しては描き切ったと思います。結構、詰め込んでいますから、もうこれ以上は描きたいことはありません。

自分がどれだけ辛い状況に置かれても、他人のために泣けて、他人のために動ける人間には何か光は差すのではないかと思います。沙織里がそういう人間であろうとする物語を作りました。

──「テレビ局」に関してはいかがでしょうか。

この作品で描いたのは、あくまでローカル局の話。個々の人間の問題なので、今、俺が言いたいことはほぼ書けたと思います。

記者さんに会ってお話を聞いても、記者さんは意外に感情を出さない。聞くのはうまいけれど自分のことは聞かれても言わない。俺はテレビ局に行って、そこで聞いているから、誰がどこで何を聞いているかわかりません。テレビ局について嫌なことがあっても言えないですよね。それに記者さんはみんな真面目で、熱意のある人が多かった。とはいえ、人間だから失敗したり、誤解を生んだりすることはある。テレビ局を“マスゴミ”と呼んで不信感を持っている人もいるけれど、全部が全部悪意に基づいたものとは限らない。「お前もやると思うよ」という可能性もあるので、そこら辺も描けたと思います。

キー局になるともっと大きい問題があると思います。そうなると人数が増え、個人の感情を超えているものになってくる。1人1人の責任が薄くなってきてしまい、俺にとっては面白くない。このくらいが俺のキャパには合っていると思います。

──SNSについても描かれています。

『神は見返りを求める』(2021)でYouTuberの炎上を描きましたが、俺の中でSNSはかなり危ないものという認識。SNSを読んでいると、お互いの意見の中で共感する部分は少なからずあるのではないかと思うのですが、一方通行の攻撃をしたり、全否定というか認めたら負けみたいな感じで反論したり。そのくらいみんな刺々しい。

便利なものだし、みんな普通に使っているけれど、同時に共感や想像力を破壊するツールでもある。SNSは扱い方が本当に難しい。俺はSNSに対して、ずっと引っ掛かっています。

──前作『神は見返りを求める』で描き切れなかったこともこの作品で描いていたのですね。

もうそろそろ、止めようとは思っていますが、書きたくなってしまうのです。

飲みの席でそこにいない誰かの悪口を言ってしまうことは誰にだってあると思います。しかしSNSで呟くと当事者が直接、目にする可能性がある。“SNSは危険だからやるな”とは言わない。本文を送信する前にもう一回読み直して、もうちょっと考えた方がいいんじゃない?と伝えたいですね。

──監督はSNSをされていないのでしょうか。

アカウントは持っていますが、書いたことはないですね。煩わしいんです。脚本を書くのが仕事で、セリフ1行書くのにも逃げてしまうこともあるのに、Xの文章を考える体力も時間もありません。そもそもSNSで疲れたくないんですよ。

──監督が本作を通じて伝えたかった思いについて教えてください。

そもそもは“辛いことや耐えらないことがあったときに、人はいかに折り合いをつけるのか”という話を作ろうと思ったんです。でも折り合いをつけられない人、つけちゃいけない人もいる。ではどうすればいいのか。このことがずっと引っかかっていました。

今も明確な答えはないけれど、やっぱり人だなと思う。人を壊すのも、人を救うのも人でしかない。人との関係は難しいけれど、人との繋がりを大事にしたい。

社会が今、抱えている、さまざまな問題に触れています。石原さんのお芝居1つとっても、これまで見たことがないものが見られると思います。描いていることは難しいことではないので、軽い気持ちで見て、いろんなものを食らってほしいと思います

<PROFILE>
吉田恵輔 ※吉田恵輔監督の吉は<つちよし>が正式表記。
1975年生まれ、埼玉県出身。東京ビジュアルアーツ在学中から自主映画を制作する傍ら、塚本晋也監督作品の照明を担当。2006年、自主制作映画『なま夏』(06)で、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭ファンタスティック・オフシアター・コンペティション部門のグランプリを受賞。同年、『机のなかみ』 で長編映画監督デビュー。2008年に小説「純喫茶磯辺」を発表し、自らの手で映画化。2021年公開の『BLUE/ブルー』、『空白』で、2021年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、第34回日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎賞で監督賞を受賞。『空白』は、第76回毎日映画コンクール・脚本賞、第43回ヨコハマ映画祭で作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞と4冠に輝いた。『さんかく』 (10)、『ばしゃ馬さんとビッグマウス』 (13)、『麦子さんと』 (13)、『犬猿』(18)、『神は見返りを求める』(22)などオリジナル脚本の作品を数多く手がけるほか、人気漫画を原作とした、『銀の匙 Silver Spoon』 (14)、『ヒメアノ〜ル』 (16)、『愛しのアイリーン』(18)などの話題作も監督している。

『ミッシング』5月17日(金)全国公開

<STORY>
とある街で起きた幼女の失踪事件。あらゆる手を尽くすも、見つからないまま3ヶ月が過ぎていた。娘・美羽の帰りを待ち続けるも少しずつ世間の関心が薄れていくことに焦る母・沙織里は、夫・豊との温度差から、夫婦喧嘩が絶えない。唯一取材を続けてくれる地元テレビ局の記者・砂田を頼る日々だった。そんな中、娘の失踪時、沙織里が推しのアイドルのライブに足を運んでいたことが知られると、ネット上で“育児放棄の母”と誹謗中傷の標的となってしまう。世の中に溢れる欺瞞や好奇の目に晒され続けたことで沙織里の言動は次第に過剰になり、いつしかメディアが求める“悲劇の母”を演じてしまうほど、心を失くしていく。一方、砂田には局上層部の意向で視聴率獲得の為に、沙織里や、沙織里の弟・圭吾に対する世間の関心を煽るような取材の指示が下ってしまう。それでも沙織里は「ただただ、娘に会いたい」という一心で、世の中にすがり続ける。その先にある、光に──

<STAFF&CAST>
脚本・監督:吉田恵輔
出演: 石原さとみ、中村倫也、青木崇高、森優作、小野花梨、細川岳、柳憂怜、美保純
配給:ワーナー・ブラザース映画
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