【川勝劇場終幕】川勝平太とは何者だったのか|小林一哉 川勝知事が辞任し、突如、終幕を迎えた川勝劇場。知事の功績ゼロの川勝氏が、静岡に残した「負の遺産」――。

繰り返される差別発言

撮影/筆者

4月10日、「職業差別」とも受け取れる発言で批判を受けた川勝平太静岡県知事は退職届を提出し、辞任した。急転直下の辞任に、驚いた人も多かっただろう。川勝はこれまで、どんなに暴言・失言で批判されても、意に介さなかったからだ。

常日頃、川勝をウオッチしてきた地元記者として、今回、なぜ辞任に至ったのか、そして川勝平太とはいったい何者だったのかに迫りたい。

4月1日、川勝は新人職員への訓示のなかで「毎日野菜を売ったり、牛の世話をしたり、物を作ったりとかと違って、基本的に皆さんは頭脳・知性の高い方たちです」と述べ、これが「職業差別だ!」と批判された。

しかし、川勝の「差別発言」はいまに始まったことではない。これまで何度も「差別発言」を繰り返してきた。

川勝が全国区になったのは、なんといっても菅義偉総理への暴言だろう。2020年10月、定例記者会見で学術会議の任命拒否問題について訊かれた川勝は「菅義偉という人物の教養レベルが図らずも露見した」 「夜学に通い、単に単位を取るために大学を出た。学問をされた人ではない」などと、「学歴差別」発言で、菅総理をこき下ろした。

2021年6月には、県知事選挙期間中の集会で、自らが学長を務めていた大学の学生について「八割ぐらい女の子なんです。11倍の倍率を通ってくるんですから、みなきれいです」 「めちゃくちゃ顔のきれいな子は賢いこと言わないとなんとなくきれいに見えないでしょう」などと発言。女性の学力と容姿を結び付ける「容姿差別」発言で、批判を浴びている。

2021年10月、参院補欠選挙の応援演説では、「地域差別」発言も飛び出している。元御殿場市長の自民候補と川勝が応援した浜松出身の候補を比較したうえで、「浜松にはウナギ、シラス、ミカン、肉も野菜もなんでもある。御殿場にはコシヒカリしかない」と発言し、顰蹙を買った。

「あとがき」に滲む女性蔑視

女性差別は政治家になってからだけではない。1995年、早稲田大学政治経済学部教授の時代に発刊した『富国有徳論』(紀伊國屋書店、のちに中公文庫)の「あとがき」では、「女性蔑視」がはなはだしい。

当時、京都大学教授の矢野暢が元秘書たちからセクハラ・レイプを告発された。川勝は、京大を辞職して禅寺に逃げ込んだ矢野を異常なまでに褒めそやす一方、禅寺に抗議に訪れた女性たちを批判しているのだ。

いちばん問題なのは、川勝の「あとがき」では、矢野のセクハラ疑惑に全く触れていないことだ。矢野のセクハラを追及する大学の女性教官らは、疑惑の解明を求める署名を集めて、東福寺の管長に面会した。

写真週刊誌の報道を見た川勝は、被害者女性たちを〈夜叉の相貌を露にした彼らの荒い息づかい〉と表現し、女性たちを迎え入れた寺の管長を〈女人の要求(私怨)に理解を示し、くだんの居士(筆者注・矢野のこと)を寺から追放すると言明した〉などと非難。

セクハラ疑惑の解明を求める女性たちを「夜叉の相貌」 「私怨」と表現するなど、信じがたい感覚である。根底に「女性蔑視」がなければ、ここまで悪しざまに書けないだろう。

さすがの川勝もまずいと思ったのか、文庫版ではあとがきをすべて差し替えている。

これまで、暴言・失言を繰り返してもなんとか切り抜けてきた川勝だが、なぜ今回、辞任したのか。

きっかけは、3月26日の知事会見だった。

県外の人にはわからないかもしれないが、川勝は静岡県民から根強い人気がある。

温暖な気候で食べ物も豊かなためか、おだやかな性格の政治家しか出てこない静岡にとって、川勝のキャラクターは強烈だった。

テレビ、新聞のカメラを前に、メリハリのきいたよく通る声の調子で国や巨大企業を厳しく批判するから、まるで大向こうをうならせる歌舞伎役者と重なり、県民からは「川勝劇場」と呼ばれ、親しまれていた。

川勝劇場を楽しみにしている県内の女性ファンも少なくない。その博覧強記ぶりに、ファンになってしまう記者すらいるほどだ。

だから知事会見では、追及も受けるが、川勝に好意的な記者も少なからずいた。

広がっていった川勝包囲網

しかし、3月26日の会見はいつもと様子が違っていた。

3月13日に川勝を表敬訪問した磐田市を本拠地とする女子サッカーチーム「静岡SSUボニータ」の監督、選手との懇談の席で、「磐田は浜松より文化が高かった」 「男の子はお母さんに育てられる」などと発言。

その件について、5人もの若い記者から「差別ではないか」と厳しい追及を受けたのだ。これまで好意的だった記者ですら、川勝の味方はしなかった。

川勝はこれまでの暴言からもわかるとおり、エリート意識が強く、他人を下に見る傾向がある。どこの大学を出たかもわからない若造につるし上げられて、プライドも傷ついたに違いない。会見が終わったあと、川勝はこれまで見たことがないほど憔悴していた。

あの会見で、川勝は「もう自分には味方がいない」と悟ったのではないか。

2022年8月、私は川勝のリニア反対のキャッチフレーズ「命の水を守る」のを暴いた『知事失格 リニアを遅らせた川勝平太 「命の水」の』(小社刊)を上梓。その頃から川勝に厳しい質問が飛ぶようになり、「川勝包囲網」形成の流れができていった。

詳しくは『知事失格』を読んでいただきたいが、水の問題は複雑で、しっかり理解していないと、弁が立つ川勝には逃げられてしまう。一方、「差別発言」は水の問題よりも単純で、若い記者でも追及しやすい。

川勝が「差別発言」を繰り返すたびに「川勝包囲網」は拡大していき、記者たちは川勝の「アラ探し」に躍起になる。川勝はどんどん逃げ場がなくなっていった。

そしてダメ押しが、冒頭の「職業差別」発言だった。会見で徹底追及を受け、なんとか切り抜けたが、予想に反してネット上でも批判が止まず、「もうつるし上げをくらうなんてまっぴらだ!」と放り投げてしまった。

包囲網が厳しくなっているのだから、舌禍事件を起こさぬよう川勝も注意を払えばよかったものを、プライドが高いから改めることができなかった。

自業自得である。

4月6日の中日新聞で、前静岡県知事の石川嘉延も、インタビューで川勝についてこう語っている。

〈自分を追い込む種を自分でまいていた。スポーツの世界で言うならオウンゴール。(大学教授だった)川勝さんは「自分より遅れて世に出た生徒に、真実のありようを教えてやる」というような立場を取る。だが政治の世界では、人が何を期待しているかを見極めて政策を練って実行することが必要。人がどう考えるかに思いを巡らさないため、失言もよくあった〉

まったく、そのとおりだろう。

幻の早稲田大学医学部誘致

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川勝平太とは何者だったのか。私の結論は、「政治を知らない、エリート意識むき出しの学者」だ。

とにかく、川勝は「政治」を知らないがために、2009年の当選以来、静岡に混乱しかもたらさなかった。

2009年、民主党公認で初当選し、県民が最も大きな期待を寄せた公約が「静岡県東部地域への医科大学誘致」だった。

静岡県は新設の浜松医科大学(入学定員120人)しかなく、医師不足に悩まされている。隣県の神奈川、愛知にはそれぞれ4医科大学、人口が静岡の約5分の1しかない山梨県が1医科大学だから、「医科大学誘致」は静岡の課題だった。

全国的に見ても人口約380万人(当時)を有する県では、どうしても二医科大学は必要になる。川勝は民主旋風の追い風に乗り、「医科大学誘致」を選挙民に約束して、支持を取り付けた。

学者出身である川勝のキャラクターに合った公約だったこともあり、選挙民の期待も大きかった。

早稲田大学出身の川勝は、三島市に保健看護学部を有する順天堂大学の協力を得て、「早稲田大学医学部」誘致をぶち上げた。しかし、早稲田側にあっさり断られてしまう。

実は、川勝は構想をぶち上げただけで、早稲田側に何の根回しも、交渉もしていなかったのだ。早稲田関係者も呆れたに違いない。川勝は自らの政治力のなさを隠したいのか、断られた理由も意味不明だった。

「静岡県の方角が“都の西北”ではないから早稲田に断られた」

結局、二期目からは「医科大学誘致」のイの字も出さなくなった。

「JR沼津駅高架事業問題」のときもひどかった。

約20年前に沼津駅の高架化が決定。高架化にあたって駅構内にある貨物駅、車両基地の移転が必要になったが、新貨物ターミナル予定地で激しい反対運動が起こった。沼津市は反対地権者に対して、強制収用手続きの調査を進めていた。

貨物駅不要論に固執

初当選直後だった川勝は、とんでもない行動に出る。

高架事業の賛成派、反対派が一堂に会する集会で「貨物駅不要論」を突然ぶち上げ、反対派地権者に対する「強制収用」を全面否定したのだ。もちろん、このときも関係者に何の根回しもしていない。

高架事業計画策定から20年以上をかけてつくった事業計画の枠組みを、粉々に壊してしまったのである。

沼津市長は何度も川勝を説得しようとしたが、川勝が全く聞く耳を持たなかったため、貨物駅予定地の土地収用手続きを撤回せざるをえなくなった。

川勝の意向を受けて、県は沼津駅高架化を検証する有識者会議を設置。一年以上も議論して、結局は「貨物駅移転が不可欠」という従来どおりの結論を出した。

ところが、川勝知事は有識者会議の結論に耳を傾けることなく、「貨物駅不要論」に固執。貨物駅移転を川勝が了承したのは、それから五年近く経ってからだった。

事業計画は振り出しに戻り、移転の用地確保は困難を極めたものの、2020年11月、川勝がようやく反対地権者に対する強制収用の手続きに入ったことで、高架事業は前進した。川勝のちゃぶ台返しで、沼津駅高架事業は10年近く遅れてしまったのだ。

川勝の政治音痴ぶりがもっとも表れたのが、リニア問題だろう。

誤解している読者も多いと思うが、川勝ははじめからリニア反対ではなかった。

2010年、リニアに関する小委員会に出席した川勝は「静岡県としては、沿線地域として南アルプス地域での地質調査など、積極的に協力してまいりたい」と前向きな姿勢を示している。

それが反対に転じた原因は「静岡空港新駅」である。

「静岡空港新駅」は川勝の悲願だった。

川勝にとっての「政治」

静岡空港建設は、地元の激しい反対に遭ってきた。東京、大阪を結ぶドル箱路線などがなく、需要不足で赤字になるのは確実視されていたからだ。2001年には、即時中止を求める住民投票条例案が提出されるなど混迷を極めたが、当時、知事だった石川嘉延は、なんとか空港開港目前までこぎつけた。

2005年、四期目に入った石川は、2009年3月の空港開港を「公約」。ところが、2008年10月末になって思いがけない問題が発生する。

空港建設反対の地権者には土地の強制収用手続きを行い、すべて解決できたと思い込んでいたが、静岡県のずさんな測量で、空港周辺3カ所の立ち木約150本が航空機の就航に支障があることが判明したのだ。

立ち木所有者は「静岡県は空港建設でとごまかしを重ねてきた。組織のトップとしての政治責任を取ってもらう」と強硬な姿勢を崩さない。

石川は立ち木所有者と面会、自分の首を差し出す代わりに、立ち木伐採の約束を取り付ける形で決着をつけた。

川勝は石川の招請にこたえ、2007年4月、縁もゆかりもない静岡県の静岡文化芸術大学長に就いた。だから、石川が自身の首と引き換えに、立ち木問題のけりをつけたことを誰よりもよく知っている。

実は、静岡空港にはもう一つの大きな計画があった。ターミナルビル直下に地下新駅が計画されていたのだが、石川の辞任で叶わなかったのだ。

石川のあと知事に就いた川勝は、静岡空港新駅という石川の悲願も受け継ぐ形になった。川勝は、事あるごとにJR東海に静岡空港新駅をつくってほしいという秋波を送っている。

しかし、JR東海は聞く耳を持たなかった。静岡空港は掛川駅のすぐとなりにあるだけでなく、熱海、三島、新富士、静岡、浜松と新幹線の停車駅がたくさんある。仮に静岡空港新駅をつくったら、新幹線にもかかわらず各駅停車のような運行になってしまうからだ。

JR東海に聞き入れてもらえない川勝は、ついに2017年10月10日の会見で「私の堪忍袋の緒が切れました」 「勝手にトンネルを掘りなさんな、厳重に抗議し、その姿勢に対して猛省を促したい」と怒りを爆発させる。

これが、今日まで続くリニア妨害の序章となった。

普通の政治家であれば、JR東海、あるいは政府と水面下で交渉するなどして物事を動かそうとする。しかし、川勝は政治を知らないから、とにかく上から目線でJR東海をこき下ろし、リニア工事を「妨害」することで、JR東海が頭を下げてくると考えた。

なぜ、川勝がここまでしつこくリニア工事を妨害するのか、多くの国民は不思議に思っただろうが、この「妨害」活動こそ、川勝にとっては「政治」だったのだ。

残したのは「混乱」だけ

どんな政治家にも功罪の両面があるものだが、川勝に関しては「功」はない。

4月10日の辞任会見で、記者から「これまでご自身で成し遂げたものは」と質問され、川勝は富士山の世界文化遺産登録と2023年の「東アジア文化都市事業」の成功を挙げた。

私は富士山の世界遺産登録にかかわっていたからわかるが、川勝は世界文化遺産登録の活動などなにもしていない。カネ集めや世論醸成など、いちばん動いたのは電通だった。川勝は富士山の世界文化遺産登録が決まったとき、議場で万歳しただけだ。

「東アジア文化都市事業」の成功についてもまやかしである。

「東アジア文化都市事業」とは、日本・中国・韓国の3カ国で、毎年文化都市を選定し、文化芸術イベント等の実施により、東アジアにおける多様な文化の国際発信力を高めていこうというもの。2023年は、静岡が開催地だった。

来場者数が722万人と当初の目標を上回り、経済効果も100億円以上が見込まれるとし、川勝は「県民の祝祭意識の高揚と東アジアとの国際交流が効果的に実現できた」と鼻高々だったが、この数字にはからくりがある。

「東アジア文化都市文化事業」のためのイベントだけでなく、毎年、静岡県内で行われている「静岡まつり」や「浜松まつり」など、さまざまな地域イベントも「東アジア文化都市文化事業」のなかに組み込むことで、来場者数を「かさ上げ」しているのだ。

しかも、この「東アジア文化都市文化事業」に関し、川勝は問題を起こしている。

2023年10月12日、静岡県内商工会議所会頭らの懇談で、川勝知事はこんな発言をした。
「三島を拠点に、東アジア文化都市の発展的継承センターのようなものを置きたい。そのために土地を物色している。実際は、国の土地を譲ってもらう詰めの段階に入っている、それも買わないで定期借地で借りたい」

しかし、この計画は県議会にまったく諮っていなかったため、議会は仰天。川勝は議会の追及を受けたが、結局は、まだ決まってもいない頭のなかのアイデアを、「詰めの段階」として堂々と外部に話しただけだった。

議会に諮っていないことを決定事項のように外に語るなど、普通の政治家ならあり得ない。

ことほど左様に、川勝は「政治」ができなかった。

今回、辞任するにしても、普通の政治家であれば、石川に倣って、JR東海と交渉し、自分の首と引き換えに、悲願である静岡空港新駅設置を取り付けるなど、やり方はいろいろあったはずだ。

そういったアドバイスや耳の痛いことを言ってくれる人も周りにいなかったのだろう。川勝は完全に「裸の王様」になっていた。

結局、川勝が静岡に残したのは混乱だけである。

15年に及ぶ「川勝劇場」は、「知事失格」の烙印を押されたまま、あっけなく幕を下ろすことになった。

再び、「川勝劇場」の幕が上がることはないだろう。

(文中敬称略)

小林一哉(こばやし・かずや)

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