【本当にあった呪い】 呪殺祈祷僧団とは 「公害企業重役を呪い殺した仏教徒たち」

画像:公害企業主呪殺祈祷僧団 photo by 羽永光利

あなたは呪殺祈祷僧団(じゅさつきとうそうだん)という団体をご存じだろうか。

その名前の響きから怪しいカルト宗教の団体を想像するかもしれないが、彼らは自分たちの信仰の体現というよりも、社会の巨悪に虐げられる弱者の無念を晴らすために活動していた集団だ。

呪殺祈祷僧団の正式名称は「公害企業主呪殺祈祷僧団」という。

呪殺祈祷僧団は、公害病の原因物質を川や海、大気中に流出させていた企業や工場の経営者に、仏罰を与えんとする有志たちが集まって結成されたのだ。

今回は高度経済成長期の日本において、信憑性を失いつつあったオカルティズムを武器にして大企業に立ち向かった、呪殺祈祷僧団について解説していこう。

公害企業主呪殺祈祷僧団 結成の経緯

画像:強迫笑を伴う水俣病患者 public domain

日本が高度経済成長期のピークを迎えつつあった1970年、日本の各地である重大な問題が起きていた。

急速な工業の発展の陰で起きていた問題、それこそが公害病だ。特に四日市ぜんそく水俣病第二水俣病イタイイタイ病は四大公害病として知られている。該当地域に住んだことがない人でも、社会科の授業などでこれらの病名を耳にしたことはあるだろう。

利益優先に走り有害物質を垂れ流していた企業や工場の経営者に加え、利益の恩恵を受ける地方政治家や官僚などは当時、頑として自分たちの非を認めようとはしなかった。

汚染された地域に住む住民たちは、有害物質を原因とする死に至る病に苦しみながらも、日本の経済発展や技術進歩に寄与する大企業相手では有利に戦うことができなかったのだ。

そこで公害に苦しむ弱者救済のために立ち上がったのが、日蓮宗の僧侶・丸山照雄や真言宗の僧侶・松下隆洪など僧侶4名、宗教ルポライターの梅原正紀など在家者4名を合わせた総勢8名の有志だった。

彼らは「公害企業主呪殺祈祷僧団」を名乗り、呪殺と記された旗を掲げ、公害問題が起きている工業地帯に向けて、日蓮宗の題目を唱えながら全国行脚を行った。

そして公害を引き起こした企業の経営者に仏罰を与えるために、護摩祈祷で阿毘遮迦(アビチャールカ)という、密教における悪鬼調伏の儀式を行ったのだ。

四日市コンビナートのケース

画像:四日市コンビナートと白いスモッグ wiki c shikabane taro

本日ここに壇上を結界し、大聖不動明王を勧請して悪鬼全国公害主に鉄槌を下す。仰ぎ願わくば、この法をもって公害企業主、地獄冥府に落ちん事を。
-呪殺祈祷僧団がしたためた願文

1970年9月、呪殺祈祷僧団は「公害問題の原因となっている工場や企業の経営者を、密教の呪術により地獄に連行する」と宣言して、三重県の四日市コンビナートにおもむいて、調伏の儀式を執り行った。

四日市市では既に四日市ぜんそくが公害病として認知されており、患者たちは公害による被害を訴えていたが、利益や地域経済を優先した当時の企業主や四日市市長は責任を認めず、苦しみのあまり自殺する患者が続出するなど大きな問題となっていたのだ。

四日市での呪殺祈祷僧団の調伏活動は当時の新聞にも取り上げられたが、呪殺というオカルトな復讐方法については「いぶかしく思う、恐れをなす、救いを求める、非科学的だ」と嘲笑するなど、人々の反応は様々だった。

しかし調伏祈祷の約1年後から、加害企業の重役や株主の「突然死」や「自殺」「事故死」「原因不明の病」などが相次ぐようになったという。

呪殺祈祷僧団の調伏祈祷から約2年後の1972年7月、四日市公害訴訟では四日市コンビナート企業6社の有責と四日市の行政責任が認められ、原告側の全面勝利という形で判決が下された。

当時の法律家は呪殺祈祷僧団の調伏祈祷の効果について、「呪殺は企業側の死者の死因との科学的な因果関係が証明できないため不能犯に該当する上に、自社が呪殺の被害企業として訴え出るには自らが公害企業だと認める必要があることから、名誉棄損には該当しない」と判断している。

公害企業主呪殺祈祷僧団のその後

画像:神岡鉱業亜鉛製錬工場 public domain

四日市での調伏祈祷を皮切りに、呪殺祈祷僧団はイタイイタイ病の原因発生地であった岐阜県の神岡鉱山や、第二水俣病の加害工場へと行脚し、四日市の時と同様に護摩祈祷による調伏を行った。

呪殺祈祷僧団を率いた日蓮宗僧侶の丸山照雄は、久遠寺塔中の宝聚院麓坊住職や日蓮宗現代宗教研究所調査主任などの役職を歴任していたが、呪殺祈祷僧団としての活動が問題視されたため教団から研究所辞職を迫られ、やがては教団での役職すべてを辞することとなる。

しかしその後は宗派にとらわれずに精力的に宗教活動や評論活動を行い、「行動する仏教徒」として様々な社会問題と対峙し、1990年代に至るまで社会的弱者の救済などに尽力し続けた。

呪殺祈祷僧団に同行取材したカメラマン羽永光利は、呪殺祈祷僧団の活動に感化され発心し、後に出家して真言宗の僧侶になったという。

現代にまで続く「呪殺祈祷僧団」

画像:不動明王(国宝・醍醐寺蔵)public domain

公害企業主呪殺祈祷僧団の主導者の1人であった丸山照雄氏は2011年に亡くなったが、日蓮宗の僧侶を筆頭に、有志47名が「呪殺祈祷僧団四十七士(略称・JKS47)」と称して呪殺祈祷僧団を再結成し、2015年8月27日に経済産業省前テントひろばで呪殺祈祷会を実施した。

日蓮宗が2015年9月1日付で、JKS47の行いが日蓮宗の教義や法式とは無関係である旨を表明するなど騒動となったが、現在も経済産業省正門前では毎月1回、JKS47による月例祈祷会が開催されている。

呪殺祈祷僧団四十七士(JKS47)公式サイト

愛知県小牧市にある日蓮宗具得山妙蔵寺の住職は、JKS47の活動については非難しているが、「人を呪いで死に至らしめること自体は科学的に可能である」と明確に認めている。

驚くべきは、呪いで人の命を奪い巨悪を倒そうとする非科学的な行為が、今でも日本の公の場で現実に行われている事実である。

しかし昨今のSNS炎上問題や、それを原因とする自殺問題を目の当たりにすると、人の思念や敵意には直接会ったこともない他人の命を奪う効果があると考えられなくもない。

たとえばあなたの不幸な死を、見ず知らずの他人が心から望んでいることを知ったら、あなた自身はどう感じるだろうか。

呪いとは決して、遠い昔の夢物語ではないのだ。

参考文献
梅原正紀『呪殺行脚はゆく』

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