並走する「JR奈良線」沿いの藤原氏陵墓群をたずね、住宅街にある宇治茶畑をかいま見る【京阪電鉄宇治線】

黄檗駅に到着した宇治線車両

■桃山南口駅から六地蔵駅へ

3つの御陵を参拝し、日露戦争で功績を収めた陸軍将軍の神社に参る。かなり歩き疲れたこともあり、桃山南口の駅から電車に乗る。

次の駅は六地蔵駅。京阪宇治線のみならず、京都地下鉄東西線、JR奈良線の駅もある鉄道路線の要衝だ。しかも、すべての駅名が同じ「六地蔵駅」。

ただし、京阪は京都市伏見区、JRと地下鉄は宇治市に位置する。ちなみに、京阪の駅がもっとも古くて、開業は1913年。JRは1992年で、地下鉄は2004年である。

六地蔵という駅名の由来は、近くにある大善寺に6体の地蔵菩薩像が祀られたことによるという。

大善寺は705年の創建で、平安時代の852年に公卿で文人の小野 篁(おのの たかむら)が地蔵菩薩像を刻んで奉納。小野篁といえば、地獄と現世を自由に行き来できたという伝説を残す人物でもある。

その後、1157年に後白河天皇が勅命を下し、平清盛が京都の街道口六角堂を建て、6体の地蔵菩薩像を分置した。したがって、現在の大善寺にお地蔵さんが6体並んでいるわけではない。

■低湿地帯の名残である木幡池

さて、観月橋駅から宇治川に沿って通じていた宇治線は、桃山南口に至る前に宇治川からは離れてしまう。宇治線は六地蔵駅まで東進し、その後に南下。終点の宇治駅で、ふたたび宇治川に接近するというコースを取る。

なお、京都から南下してきたJR奈良線も、桃山駅から東に路線が湾曲し、宇治線と並行して進んでいく。

伏見区から宇治市に入って、六地蔵駅の次は木幡(こわた)駅。現在でこそマンションや戸建て住宅の立ち並ぶ界隈だが、かつての一帯は低地の湿地帯だった。1933年から41年にかけて行なわれた干拓事業で姿を消すまで、「巨椋池(おぐらいけ)」という巨大な池もあり、大雨などによってたびたび洪水も起きている。

巨椋池は埋め立てられて農地となり、いまは大阪や京都のベッドタウンとして開発されているが、当時の名残を伝えているのが駅から約300メートル西にある「木幡池」だ。

木幡池から宇治線の線路を越え、JRの線路に着くまでに道路を左折すれば、「許波多(こはた)神社」の参道にたどり着く。

創建は645年。壬申の乱の際、大海人皇子(おおあまのみこ・後の天武天皇)が戦勝を祈願したと伝えられる。本殿横の「お休み石」は皇子が腰をかけた石とされ、ここに座って祈願すれば勝運がもたらされるらしい。スポーツやゲームなど、勝ち負けの世界に縁のある人は、ぜひお試しを。

■道長の墓所? 藤原氏関係者の陵墓群

神社を出てもとの道に戻り、奈良線を越えてしばらく歩くと、宮内庁の管理する陵墓がある。「宇治陵」といって、総拝所である「宇治陵1号」のほかに大小320もの陵墓が点在しているとか。そして、そのすべてが藤原氏とその関係者の陵墓だ。

34号墳は藤原冬嗣夫妻、35号墳は藤原時平、36号墳が藤原基経の墓といわれ、32号墳を藤原道長の墓とする説もあるらしいが、確定はされていない。

そのまま電車に乗らず、次の黄檗(おうばく)駅へ向かう。途中に寺院や神社、古民家も見られるが、やはり建てられて間もないであろう住宅やマンションが目立つ。ただ、お茶の名産地らしく、家々の間には茶畑も点在する。

この季節、「お茶摘みさん募集」のノボリや看板が掲げられているところも多いので、興味のある人は応募してみてはいかが?

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