ブライダルファッション“先駆者”桂由美さん(94)死去 生涯現役を貫いた“美への飽くなき執念”とは

日本のウェディングドレスの第一人者で“ブライダルの伝道師”とも言われたファッションデザイナーの桂由美さんが4月26日に亡くなりました。94歳でした。

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桂由美さん:
人って様々な生き方があってですよ、人生色々あってね、それなのにどうして、いざ結婚式になるとワンパターンになっちゃうのかなって。
今日は何が起こるか分からない披露宴なんてすごくエキサイティングじゃないですか。

日本の結婚式について思いを語っていた桂さん。
その情熱の原動力とは何だったのでしょうか?

『めざまし8』は、桂さんと親交のあった2人を取材。
60年にわたって、女性を魅了し続けてきた桂さんの原点と、美への執念が見えてきました。

手がけた芸能人のウェディングドレスは多数も最初は誰からも相手にされず…

これまで約70万人の花嫁が着たといわれている、桂さんのウェディングドレス。

2016年に結婚したDAIGOさんと北川景子さんもタキシードとドレスを桂さんがデザイン。
北川さんは、レースがあしらわれた純白のドレスと、胸や肩周りに大きな花がついた青いドレスを着用しました。

その他にも、数多くの芸能人が、桂さんのドレスと共に人生の晴れの日を迎えました。

女優の三田寛子さんは、40年ほど前の思い出のドレス姿をSNSに投稿して追悼。

まさに時代を超えて愛され続けてきたドレスですが…そこに至るまでの道は、順風満帆なものではありませんでした。

桂さんが、日本初となるブライダル専門店をオープンしたのは、1965年。

しかし、当時の結婚式は和装が主流だったためウェディングドレスの着用率は、3%ほどでした。
デザイナーを始めた当初は、誰からも相手にされなかったといいます。

当時の桂由美さんについて25年にわたって取材したマリ・クレールデジタルの宮智編集長は…

読売新聞東京本社編集委員室記者 マリ・クレールデジタル編集長 宮智泉氏:
そういうの(ブライダル)を作っているのは男の人たちだったので、ずいぶん嫌味を言われたり、嫌がらせをされたりと言っていました。

そうした厳しい環境の中…1981年、大きな転機を迎えます。

宮智泉氏:
(1981年)彼女がアメリカに進出したということもあるのと、ダイアナ元妃の結婚式が世界的なブームになりました。

1981年、世界各国で放送され注目されたロイヤルウェディング。
当時、そのドレスも大きな話題となりました。

同じ年 桂さんは、アメリカ・ニューヨークでファッションショーを行います。
この時、生まれたのが…

宮智泉氏:
桂さんがアメリカで提案したウェディングドレスというのが、「マーメイドスタイル」という体の線に沿ったもので、そういうものを新しく提案したということが、すごくのウェディングの世界を広げたと言うことになると思います。

人魚のように、上半身から膝までは身体にフィットし、膝下が魚の尾びれのように広がる、「ユミライン」と呼ばれるシルエットのドレス。

着る人の体型を選ばずスリムに見えるデザインが、日本でも多くの女性に受け入れられました。

桂由美さんの“原点”とは 桂由美さんの原点「人を幸せにしたい」

現在では、9割以上の花嫁がウェディングドレスを着用。桂さんが、日本のブライダルの風景を一変させました。

そんな桂さんのウェディングデザイナーとして原点は、幼いころの経験にあったといいます。

宮智泉氏:
桂さんの原体験で戦争があって、彼女はすごい“軍国少女”だったんですけど、それが終戦で変わり果てた人とか、別の様子を見て絶望して、それから何か美しいものに対して、彼女自身の“渇望感”というのが、だんだん「美しいもの作りたい」とか「人を幸せにしたい」というふうな方向にずっといったと思うんですね。その一つがウェディングドレス。

1930年、東京・小岩に生まれた桂さん。
日本が戦争へと突き進む激動の時代に幼少期を過ごしました。

桂由美さん:
「シンデレラ」とか「人魚姫」とかおとぎ話の中に生きているという感じでしたから、日本もそういう国でありたいという気持ちはあった。
最後は日本が勝つと思っていましたよね。天皇陛下のお言葉は一番ショックでしたよね。
絶望という感じ。今まで張り切ってやってきたのに全部無になると…。

愛国心が強かったという、桂さん。終戦と共に、“ある思い”が生まれたといいます。

桂由美さん:
私一つだけ褒めてもらっていいこと思うことは今の話なのね、「世のため人のため」といつも思っているでしょう。私の仕事を喜んでくれる人がずっといる限り私は辞めないし、続けられる。

国のためでなく「世のため人のため」。

喜ぶ人の顔を見るために、第一人者としてブライダルの道を切り開いてきたのです。

桂由美さんの“美への飽くなき執念”假屋崎省吾さん語る “美への飽くなき執念”「どうしたら、より女性を輝かせられるのか?」

30年以上、桂さんと交流がある華道家の假屋崎省吾さんは「女性を輝かせたい」という桂さんの思いを明かしました。

華道家 假屋崎省吾さん:
なかなか自分の思うことが実現できないっていう、そういったことを自分も体験してきたので、やっぱりみんな女性はね、夢を見ているんだ、その夢を実現させたいなという、そういう役に立ちたいなという、もう全精力を尽くしてみんなに喜んでもらうという。
“美への飽くなき執念”というものはやっぱりすごいものがあるなとおそば見せていただいた。

こだわるっていう、ところで、面白い素材があるともう飛んでいくわけですよね。
こういう質感のものってどんなものがあるかなってね、探すっていうね。
ただの布だけじゃなくて例えば、光ファイバーというものを取り入れたり、それから、和紙を取り入れたり。
そういうね「挑戦者」と言うのでしょうか、「先駆者」と言うのでしょうかね。

さらに、一緒に仕事をした時には、桂さんの“美への執念”を感じたといいます。

華道家 假屋崎省吾さん:
一つ一緒にお花を使ってファッションショーをやらせていただいた。
プリーツになっていまして、すてきな立体造形ですよね。動く彫刻のような、そんな作品を作られたときもほとんど寝ずに、というぐらいアイデアが沸き起こってきたものを具現化するという美への飽くなき執念というものはやっぱりすごいものがあるなと…。

90歳を超えても創作への意欲を燃やし続けいた、桂さん。
假屋崎さんには、“ある夢”も明かしていたといいます。

華道家 假屋崎省吾さん:
一生懸命ね、なにしろ世のため人のためにということで、これからね「今までやったそういった集大成みたいなことをしたいね」って。
ご自分の美術館に今までいっぱい作品を作られた、そういったものを一堂に展示をする。
そういう何か空間を作りたいなってことも、すごくおっしゃっていましたね。

(『めざまし8』2024年5月2日放送より)

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