『遠い空の向こうに』ロケット打ち上げに情熱を注ぐ、青春映画の佳作(後編)

※本記事は物語の結末に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。

日本でも「ロケットボーイズ」として出版されている、NASAのエンジニアだったホーマー・ヒッカム・ジュニアの自伝的小説を映画化した、1999年制作の作品。その内容は、「父親と息子の確執」「新しいことにチャレンジする生徒と、保守的な学校側との衝突」「体育会系が優先されるスクールカースト」「産業が衰退していく地方都市」など、非常に普遍的な内容を含んでおり、多くの人が共感できるのではないだろうか。ぜひ家族や学校で観てほしい名作である。

前編はこちら

あらすじ⑤


「オークVII号」の成功の翌日は、ホーマー(ジェイク・ギレンホール)の誕生日だった。暖かく祝う母親のエルシー(ナタリー・キャナーデイ)に対し、父親ジョン(クリス・クーパー)と兄のジム(スコット・トーマス)はずっとイラついている。エルシーは、ホーマー宛に届いた封筒を彼に渡す。中身はフォン・ブラウン博士からの手紙と、サイン入りポートレートだった。

ホーマーが登校すると、担任のライリー先生(ローラ・ダーン)が彼に誕生日プレセントを渡す。それは『誘導弾ミサイル設計の原理』という専門書だった。中身は複雑な数式がギッシリだったが、ホーマーは「頑張って全部読みます」と喜ぶ。しかし、すれ違ったターナー校長(クリス・エリス)が、本のタイトルを見てライリーに苦言を言う。しかし彼女は、「アメフトの選手以外の生徒にも、炭鉱夫になるだけじゃない進路を示すのが、なぜいけないのですか」と反論する。

「オークXIII号」の打ち上げ準備に入っていたころ、ホーマーの自宅にはウェストヴァージニア大学のスカウトマンが訪れていた。目的は、ジムに奨学金を出す契約を交わすためだった。ホーマーは、ジョンに「打ち上げを見に来てくれない?」と頼むが、彼は忙しいからと断る。しかしジョンは、長男の試合には必ず駆け付けていた。

「オークXIII号」の打ち上げにはコールウッドの町民が集まり、チアリーダーまで来ていた。打ち上げは今回も大成功し、「オークXIII号」は行方不明となるほど遠くまで飛んだ。この様子は地元の新聞記者バジル(テレンス・ギブニー)も取材しており、早速記事で取り上げる。するとホーマーが思いを寄せるドロシー(コートニー・フェンドリー)まで、彼にサインを求めてきた。

だが事態は一転し、4人組は逮捕されてしまう。容疑は、彼らのロケットが山火事を起こしたというのだ。ジョンが保釈されたホーマーを迎えに行くと、路上で飲んだくれの義父ヴァーノン(マーク・ジェフリー・ミラー)に、ロイ(ウィリアム・リー・スコット)が殴られていた。するとジョンが助けに行き、ヴァーノンの行為を激しく非難する。ジョンは、ロイの実父の死に責任を感じていたのだ。だがこの一件は、ヴァーノンがジョンに恨みを抱くきっかけとなる。

自暴自棄となった4人組は、余った密造酒を使って、「ケープ・コールウッド」の退避所を燃やしてしまった。そしてダンスクラブに踊りに出かける。ホーマーはドロシーを誘うが、彼女はジムとつき合っていた。傷心したホーマーが外に出てくると、彼に密かに思いを寄せていたヴァレンタイン(カイリー・ホリスター)が声を掛けて来る。そしてホーマーがヴァレンタインに、「『フランケンシュタインと狼男』っていう映画は観たことある?」と、ロイから学んだ通りのデートの誘いをしていたら、4人組のメンバーが「すぐに戻れ」と言って来る。

彼が炭鉱にやって来ると、多くの住民が集まっていた。掘り出した石炭を地上に搬出する、巻き上げロープが切断されたのだと言う。立坑のエレベーターが上昇してきて、亡くなった鉱員が運び出される。最初の犠牲者はバイコフスキー(エリヤ・バスキン)だった。それに続いてジョンも運び出されるが、幸いまだ息があった。ホーマーは、バイコフスキーの認識票(現在、誰が坑内にいるかを知らせるもの)を、彼の思い出として持っていく。

ホーマーの家では家族が今後について話し合っていた。ジョンは片目を負傷しており、最悪失明の可能性もあると言う。彼が働けなくなった場合、この家は会社の所有物であるから、どこかに引っ越さなければならない。ホーマーは高校を退学して、炭鉱で働くことを決めた。

翌日ホーマーは、校長に退学届けを出すが、ライリー先生は口も利いてくれなくなる。失明を免れたジョンは現場に復帰したが、ホーマーはそのまま炭鉱で働き続けることを選ぶ。だがジョンは、肺に影が出来ており、激しく咳き込むようになっていた。昼休みに4人組のメンバーが訪ねて来るが、「ライリー先生が最近学校に来ていない。噂ではウェルチにいる恋人の所に行ったそうだ」と聞かされる。

ホーマーが帰宅すると、エルシーが別の噂話を聞かせる。心配になった彼は、ライリー先生の自宅を訪ねる。すると彼女は、ホジキン病(*1)の療養のため、学校を休んでいるのだと判明した。彼女は、「自分が本当にやりたいことをやりなさい」とホーマーを励ます。

*1 ホジキンリンパ腫とも言い、リンパ球がガン化してリンパ節で増え、腫瘤をつくる病気。

監督について


監督のジョー・ジョンストンは、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校に在学中、ジョージ・ルーカスの従業員募集広告に応募した。そしてジョン・ダイクストラが設立したILMに参加し、『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』(77)における視覚効果シーンのストーリーボードを担当した他、デザイナーとしてラルフ・マクウォリーのコンセプトアートをベースにして、ミレニアムファルコン、Xウィング、Yウィング、スター・デストロイヤー、デススターの最終デザインを仕上げた。

その後、テレビシリーズの『宇宙空母ギャラクティカ』(78)に参加後、ILMは分裂してしまう。ジョンストンは、ダイクストラと袂を分かち、ルーカスがサンフランシスコに設立した新ILMに加わった。彼はここで、『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』(80)、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(81)、『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』(83)などを担当。代表的な仕事に、ヨーダ、ボバ・フェット、AT-ATウォーカーなどのデザインがある。

だがジョンストンは、この仕事に嫌気を感じ始めていた。『ジェダイの帰還』終了後に多くの仲間たちがILMを去って行ったのに合わせ、貯めた金で旅行することに決める。しかしルーカスは、ジョンストンに彼の母校である南カリフォルニア大学・映画芸術学部に通うことを提案。授業料もルーカスが払ってくれた。

そして卒業後、『ミクロキッズ』(89)で監督デビューする。その後は、『ロケッティア』(91)、『ジュマンジ』(95)、『ジュラシック・パークIII』(01)、『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』(11)など、順調にキャリアを重ねて来た。本作は、彼の代表作と言って良いだろう。

あらすじ⑥


その晩、眠れなかったホーマーは、ライリー先生からもらった本を引っ張り出し、ロケットの弾道を求める計算式に徹夜で取り組む。それは炭鉱の昼休みまで続き、作業終了後は帰宅しないでクエンティン(クリス・オーウェン)の自宅を探すことにした。彼は、遠方に住んでいたのでヒッチハイクで行き、森の中にひっそり建つボロ家(*2)を見付け出す。

クエンティンは、狭い部屋で幼い兄弟たちといっしょに暮していた。彼は、ホーマーが自力で導き出した方程式に感心し、「オークXIII号」の推定落下地点を1.9km先と計算した。そして、「翌朝いっしょに捜索しよう」と約束するが、「この家のことはロイやオデル(チャド・リンドバーグ)には黙っていてくれ」と頼む。

鉱山を欠勤したホーマーはクエンティンと共に、「ケープ・コールウッド」の発射地点から、ロープで実測を始める。そして森の奥深くまで入って行ったものの、推定落下地点にロケットの残骸は見当たらなかった。だが、風の影響を考慮してみると、沢の中に突き刺さっている「オークXIII号」が見付かる。

『遠い空の向こうに』(c)Photofest / Getty Images

彼らがその機体を持って学校に行き、クラスは大騒ぎとなる。校長がその声を聞き、教室に入って来て、退学したはずのホーマーがいることを咎める。だがホーマーは、校長の前で方程式を解き、火災が起きた4.8kmまで「オークXIII号」が届かないことを証明してみせた。

校長は、4人組を車に乗せて警察署に向かう。そして証拠として提出されたロケットが、照明弾のものだと見抜いた。その帰り、校長はホーマーに復学を勧める。そしてホーマーの自宅で、警察から返還された機材を整理し、作業の再開を始める。新たな目標は、本格的なラバール・ノズルの開発だった。

しかしそこにジョンが割り込んできて、メンバーを家に帰らせ、ホーマーの無断欠勤を激しく攻めた。そして、今すぐ夜勤に行くように命じるが、ホーマーは炭鉱に戻ることをキッパリ断り、「僕は宇宙を目指す」と答える。

*2 当時この地域には、石炭産業しか存在しなかった。そのため、廃坑になった鉱山で働いていた人々や、働き手を事故や病気で失った家族は、町から追い出されてしまう。そのためクエンティンのように、隠れてギリギリの生活を送っていた人々も少なくなかった。

原作と脚色


このくだりは、脚本家のルイス・コリックが大きく脚色(*3)している。原作によると、警察が学校に乗り込んで来た時、クエンティンがアッサリと照明弾が原因だと見抜いてしまい、逮捕されることはなかったらしい。だから、ホーマーが高校を一度退学して、炭鉱で働いたというのもフィクションである。

でもこのドラマチックな脚色は、大成功したと言えるだろう。ストーリーを感動的にしているだけでなく、クエンティンの家庭環境を表現することにも役立っているし、ライリー先生のホジキン病について触れる流れも自然になっている。そして、ロケット研究に否定的だった校長が、一転して4人組を応援する側に回るのも痛快だ。

*3 脚色という意味では、そもそもロケットボーイズは4人組ではなく、6人だった。また彼らは、廃線のレールを盗んだりはしていない。

あらすじ⑦


4人組はロケットの研究を再開し、校内のサイエンス・フェアで優勝する。そして、インディアナポリスで開催される「全米サイエンス・フェア」に出品が決まるが、校長は「旅費は1人分しか出せない」と言う。するとメンバーは、ホーマーを代表に選んだ。

そのころ集会所では、組合員たちが度重なる人員削減や、賃金カットに対抗するため、会社に対してストライキを起こすと宣言した。

一方ホーマーの家では、翌日のインディアナポリス行きに向けて準備をしていた。すると窓から銃弾が撃ち込まれ、ジョンの頭をギリギリかすめて行く。表に出てみると、ヴァーノンの車が逃げて行くのが見えた。銃弾は、エルシーが趣味で描いていた、マートルビーチの壁画に穴を空けていた。ジョンは「心配することは無い」と家族に言うが、ホーマーと激しい口論となる。そして彼は、「こんな家には二度と戻らない」と怒鳴る。

翌朝、ホーマーは仲間に見送られて出発した。全米サイエンス・フェアでは、2日間の一般展示の後、3日目が審査日となる。初日のホーマーの展示は好評で、参加者たちからの下馬評も高い。安心したホーマーは、夜間に映画『縮みゆく人間』(57)を観に行く。しかし彼が翌朝、会場に戻ってみると、主な展示品であるラバール・ノズルやオークの模型、フォン・ブラウン博士のサイン入り写真などが盗まれていた。

ホーマーは、ロイたちに緊急の電話をかけ、「明日の審査までに間に合わせて欲しい」と依頼する。彼らの頼みを聞いたボールデンは、大至急ホーマーの家に駆け付け、エルシーに「大至急、ホーマーのために新しいノズルを作らなくてはならない。ストライキを中止させるよう、ジョンに言ってくれ」と懇願する。

『遠い空の向こうに』(c)Photofest / Getty Images

エルシーは急いで鉱山事務所に向かい、ジョンに息子の窮地を伝える。しかし、彼はまったく協力しようとしない。そのあまりにも冷たい態度に、激怒したエルシーは離婚を口にする。ジョンは「出て行って、どこに行く気だ?」と問うと、彼女は「マートルビーチよ」と即答する。

ジョンは交渉の場を設けると組合員に伝え、ボールデンに作業を許可した。彼は大至急、新しいノズルを作り、翌朝インディアナポリスに到着するバスに間に合わせる。ホーマーは、エルシーからその報せを受け、電話口の背後にいる人々の歓声に勇気付けられる。

そして審査発表。ホーマーの手には、お守りとしてバイコフスキーの認識票が握られていた。そしてホーマーたち4人の名前が、最優秀賞として読み上げられる。ホーマーの周囲には、たちまちバージニア工科大学など、いくつかの大学から奨学金提供のオファーが来た。その中にいた、フォン・ブラウンからも祝福されるが、ホーマーは彼が誰であるかに気付かない。後で聞かされたが、すでに博士の姿は見えなくなっていた。

サイエンス・フェアとは


この盗難事件は事実だったそうだが、フォン・ブラウンの写真は残されていたらしい。結局、犯人は不明のままだが、誰かがホーマーの受賞を妨害するためにやった可能性はある。とは言え、本来ライバルである他校の出品者たちからも評価は高く、審査当日はロケットの研究テーマが不利にならないように、“日本やヨーロッパの学生運動のような”デモすら行われたそうだ。

またフォン・ブラウンが、この全米サイエンス・フェアに来ており、4人組の研究を高く評価していたのも事実だが、ホーマーには出会っていない。両者のタイミングが合わず、会場内でずっとすれ違いだったそうである。

そもそもサイエンス・フェアというのは、1930年代にニューヨーク市で始まった。当初は、単なる展示やデモンストレーションが中心だったが、1939年の「ニューヨーク世界博」をきっかけとして、生徒が科学や工学の進路に進むことを、奨励・支援するための手段として知られるようになった。

そしてサイエンス・フェアが、全米に広まる大きな出来事となったのが、1957年のスプートニク・ショックである。ソ連に技術で大きな差を付けられたという衝撃から、科学や数学の教育に対する大幅な見直しが求められた。そして国家防衛教育法が制定され、生徒全員一律ではなく、優秀な者には特別な教育を行うことが許され、飛び級進学も推奨される。また、大学の奨学金制度も拡充され、プラネタリウムや科学博物館も積極的に作られた。「宇宙時代の人類」をテーマとした、1962年の「シアトル万国博覧会」もその一環で企画されたものだった。

あらすじ⑧


帰郷したホーマーは、町の英雄として祝福される。彼が真っ先に報告に行ったのは、入院中のライリー先生だった。そして、その帰り道でホーマーは炭鉱に寄る。彼は父親に、優勝の報告をし、最後の打ち上げを見に来て欲しいと頼む。だがジョンは、いつものように冷たい態度を見せた。だが悲しげに去って行くホーマーに、ジョンは「ヒーローにあったんだろ。本人と気付かずに」と声を掛ける。ホーマーは「フォン・ブラウン博士は素晴らしい人だけど、僕にとって本当のヒーローじゃない…」と答える。

いよいよ最後、かつ最大のロケットの打ち上げの準備が始まる。名称はこれまでの「オーク」ではなく、「ミス・ライリー号」と改められた。見学には、かつてないほど多くの人が集まっており、ホーマーを振ったドロシーも寄りを戻そうと彼に声を掛けてくる。

『遠い空の向こうに』(c)Photofest / Getty Images

だがホーマーは彼女を適当にあしらい、これまで協力してくれたバイコフスキー、ボールデン、ライリー先生、そしてエルシーに感謝の言葉を奉げる。そして最後は、ゆっくり後から姿を見せたジョンに、「どうしても父さんにやって欲しい」と言って、ロケットの発射ボタンを渡す。

ジョンが点火させた「ミス・ライリー号」は、高く高く上昇して行った。その噴煙の軌跡は、町の中心部の商店や、炭鉱、そしてライリー先生の入院している病院の窓からも見えるほどだ。ジョンは、その雄姿を眺めながら、ホーマーの肩をそっと抱く。そしてそのイメージに、スペースシャトルの打ち上げ映像が重なる。

映画の最期には、当時のホームムービー映像(カラーの8mmフィルム)が用いられており、主要登場人物の紹介(その後の人生についての説明がされる)や、「オーク」の打ち上げ実験の様子も見られる。

その後のホーマー・ヒッカム・ジュニア


正確には、最後に打ち上げられたロケットは「ミス・ライリー号」ではく、それまでと同様に「オーク」と命名されていた。理由は、この時ライリー先生の容態はやや持ち直しており、打ち上げ見学にも来ていたからだ。実際にライリー先生が亡くなったのは1969年で、まだ31歳だったそうだ。ただ、原作者のホーマー・ヒッカム・ジュニアは、「映画のように『ミス・ライリー号』と命名すべきだった」と述べている。

劇中に登場しているロケットたちは、モデルロケットを実際に飛ばしている。だがラストに登場する、どこまでも上昇して行くシーンは、さすがにILMがVFXで作った映像だ。

その後ホーマーは、バージニア工科大学を卒業後、宇宙関係には進まず、アメリカ陸軍に6年間勤務してベトナム戦争に従軍した。ソ連製ロケット弾の不発弾を見付けた時は、反射的にノズルを調べたそうだ。1970年に名誉除隊した後は、1978年までハンツビルのレッドストーン兵器廠・陸軍航空ミサイル軍でエンジニアとして働いた。ここは、フォン・ブラウン博士がアメリカに来て、最初にロケット研究を始めた組織であるが、彼が博士に会うことはついになかった。

そして、1981年までドイツの第7陸軍訓練司令部で働いた後、1981年にレッドストーン兵器廠内のマーシャル宇宙飛行センターに勤務する。ここは、1970年までフォン・ブラウンが所長を務めていた所で、実際に博士と働いた経験を持つ人々が勤務していた。

彼の主な仕事は、スペースシャトルの科学ペイロードや、船外活動に関する宇宙飛行士の訓練であった。その中には、打ち上げ後半年で故障した太陽観測衛星ソーラー・マックスの修理ミッション、ハッブル宇宙望遠鏡の配備と2回の修理ミッション、毛利衛さんが搭乗したスペースシャトルSTS-47の宇宙実験室Spacelab-Jなどがある。

そして国際宇宙ステーションのトレーニング・マネージャーとなり、各国の宇宙飛行士の訓練を担当する。その中で特に気が合ったのが、日本人の土井隆雄さんだった。ホーマーが1998年にNASAを退職する記念として、土井さんが日本人初の宇宙船外活動を行ったスペースシャトルSTS-87のミッションに、全米サイエンス・フェアで貰った優勝メダルと、実際に展示したラバール・ノズルを持って行ってもらったそうだ。

公開後の反響


『遠い空の向こうに』は、製作費2,500万ドルに対し、興行成績は世界トータルで3,470万ドルだった。けっして良い数字とは言えないが、長く愛される作品となる。聖地巡礼のようにロケ地を巡るファンや、メイキング本を自費出版したエキストラの人も現れた。

また映画化を記念して、「オクトーバー・スカイ・フェスティバル」が、映画の舞台である実際のコールウッドで毎年開催される。このイベントには、ホーマーが毎回参加した他、NASA宇宙飛行局のビル・レディ次長や、宇宙飛行士のトーマス・ジョーンズがゲストとして招かれる。スプートニク50周年となった2007年には、兄のジムを演じた俳優のスコット・トーマスも訪れている。

だが、コールウッドの人口減少は止まらず、地元のボランティア不足から、2011年開催された第13回大会で最後になると発表された。そこで、2012年から開催地がウェストバージニア州ベックリーに移され、ホーマーの他、ロイ・リー・クック、オデル・キャロル、ビリー・ローズ(劇中には登場しない)といった、本物のロケットボーイズも参加した。

ベックリーでは、2019年まで毎年開催され続けるが、2020年からはコロナで中止になる。そして2023年から、映画のロケが行われたテネシー州のオリバー・スプリングスで再開され、2024年も開催が予定されている。

【参考文献】

ホーマー・ヒッカム・ジュニア 著: 「ロケットボーイズ 上/下 (草思社文庫)」草思社 (2016)

佐藤 靖 著: 「NASA―宇宙開発の60年 (中公新書)」中央公論新社 (2014)

的川泰宣 著: 「月をめざした二人の科学者‐アポロとスプートニクの軌跡 (中公新書)」中央公論新社 (2000)

大沢弘之 監: 「日本ロケット物語 新版」誠文堂新光社 (2003)

ナタリア・ホルト 著: 「ロケットガールの誕生: コンピューターになった女性たち」地人書館 (2018)

文:大口孝之(おおぐち たかゆき)

1982年に日本初のCGプロダクションJCGLのディレクター。EXPO'90富士通パビリオンのIMAXドーム3D映像『ユニバース2~太陽の響~』のヘッドデザイナーなどを経てフリーの映像クリエーター。NHKスペシャル『生命・40億年はるかな旅』(94)でエミー賞受賞。VFX、CG、3D映画、アートアニメ、展示映像などを専門とする映像ジャーナリストでもあり、映画雑誌、劇場パンフ、WEBなどに多数寄稿。デジタルハリウッド大学客員教授の他、女子美術大学専攻科、東京藝大大学院アニメーション専攻、日本電子専門学校などで非常勤講師。主要著書として、「3D世紀 -驚異! 立体映画の100年と映像新世紀-」ボーンデジタル、「裸眼3Dグラフィクス」朝倉書店、「コンピュータ・グラフィックスの歴史 3DCGというイマジネーション」フィルムアート社

今すぐ観る

作品情報を見る

(c)Photofest / Getty Images

© 太陽企画株式会社