【阪神】岡田監督の超難解“どん語”をABC伊藤アナが解説「値踏みの精度高い」「大阪弁の奥深さ感じます」

ABCの伊藤史隆アナウンサー

バルよりミツ。ラギよりヒー――。野球に対する奥行き豊かな造詣と、独特な言い回しで知られる阪神・岡田彰布監督(66)の語り口は本人のニックネーム「どんでん」にちなみ“どん語”として多くの野球ファンから親しまれている。テレビ解説者時代の岡田監督の相方として、実況を長く担当してきたABC・伊藤史隆アナウンサー(61)は虎指揮官本人からの信頼も厚い、超一流の「どん語鑑定士」。本紙の独占インタビューに応じ、その魅力と奥深さを語り尽くした。

「さあ解説の岡田さん。打席にはバルディリスが入りました」。「あのねえ、間違ってますよ。ここはバルではなくミツですよ」。「なるほど。バルディリスではなく、高橋光信を右の代打で使うべきと」。「今、言うたやんか!」

「さあ打席には葛城が入りました」。「ここラギやないですよ。ヒーですよ」。「なるほど。同じ左の代打でも葛城より桧山を使えと」。「言うたやんか。ラギよりヒー」

伝説のどん語「バルよりミツ」はタレント・松村邦洋のモノマネで取り上げられたこともあり、今や多くの虎党が知るところとなった。難解すぎる言語表現を瞬時に“翻訳”し視聴者に分かりやすく伝えることは実況担当者の責務。それを見事に遂行したにもかかわらず、生放送中に理不尽すぎる叱責を受けるハメになってしまった伊藤アナだが、この一幕には「実は岡田さんらしい深い深い思考が詰まっていた」と振り返る。以下、一問一答――。

――スポーツ実況アナウンサーとしてここまで37年も活動

伊藤アナ 実況デビューは1987年の夏の高校野球。中日の立浪監督がPL学園の主将を務めていた時分です。98年の横浜―PL学園や、2006年の早実―駒大苫小牧(延長15回再試合)など“アタリ”の試合を何度も担当させていただきました。

――プロ野球中継では岡田監督と実況&解説で長くコンビを組んできた

伊藤アナ 第一次政権を勇退した09年以降ですね。ほかにもCSのゴルフ番組などでご一緒したこともあり、懇意にさせていただくようになりました。

――解説者・岡田彰布の優れた点とは

伊藤アナ 選手の実力、調子、状態を正確に「値踏み」できる方なんです。「見てみ、アイツなら打つで」とおっしゃったら本当に打つ。「あのピッチャーならあの打者は抑えられるよ」とおっしゃったら空振り三振。よく岡田さんを「予言者」と表現する人も多いですが、それは値踏みの精度が高いからだと私は考えています。

――「バルよりミツ」の時には理不尽な叱責を受けた(笑い)。その瞬間の心境は

伊藤アナ「まあ、そらそうやけど…」と(笑い)。横にいた番組スタッフは笑っていましたもん。でもね、あのシーンもまさにそうなんです。相手投手と打者の力量、調子、相性、ゲーム状況などを全て値踏みした上で「右の代打ならバルディリスより高橋。左なら葛城より桧山の方が打てる確率が高い」という結論を岡田さんは瞬時に導き出した。ただ、その思考の過程が全て省かれて、端的すぎる形で「バルよりミツ」と結論のみが出てきてしまったと(笑い)

――まさにどん語の神髄(笑い)。頭の回転が早すぎて周囲はついていくだけで精いっぱいになる

伊藤アナ 岡田さんがオリックスへ移籍することが決まった94年のことです。当時監督だった仰木彬さんと酒席をともにする機会に恵まれました。当時36歳だった岡田さんは選手としては下り坂にさしかかっていたこともあり、生意気だった私は仰木さんに「なぜ岡田さんを獲得したのですか?」と聞いてしまったんです。そしたら仰木さんは「このチームが優勝するためには、ここ一番の試合で勝たせてくれる打者が必要。打率は1割でも構わない。勝負どころのゲームで俺は岡田で2勝できると思っている」とおっしゃって…。オリックスが優勝した95年のシーズン最終盤。2位・ロッテとの首位攻防戦でした。小宮山、伊良部、ヒルマンの3本柱を前に、オリックス打線は完全に沈黙してしまったのですが、その3連戦で岡田さんだけはガンガン打ってて「ああ、仰木さんの言った通りだ」と驚きましたね。

――さすが魔術師・仰木監督の眼力

伊藤アナ 仰木さんもまた、値踏みがうまい監督でした。大師匠・三原侑さんから続く系譜ですね。“超二流”の選手に役割をしっかりと与え、それを見事に遂行させるあたりに三原さん、仰木さん、岡田さん3人の共通点を感じます。

――歯に衣着せぬ物言いも岡田監督の魅力

伊藤アナ 今どきの解説者の方々はしゃべるのが上手ですが、岡田さんはいい意味で昭和の野球人。私は稲尾(和久)さんのような上の世代の方たちとも仕事上でのお付き合いが多かったので少しは“耐性”ができていたのかもしれません。でもね、岡田さんって本当に美しい純粋な大阪弁をしゃべりますよね。あの語り口だと何事も角が立たずユーモラスに響く。大阪弁の奥深さを感じますよね。

――昨年からはアナウンサー業と並行し、上方落語の定席寄席「神戸新開地・喜楽館」の支配人に就任

伊藤アナ 私は神戸大在学時に落語研究会に所属していました。60歳の定年を迎えたタイミングで、当時の先輩に強く誘われ、本当に悩んだのですが「やらずに後悔するよりは」と考え、引き受けることにしました。お世話になった神戸の街のために、この素晴らしい寄席小屋を守りたいという思いです。支配人として私の最大のミッションは集客。一人でも多くの方に喜楽館へ足を運んでいただければ。

――集客のため岡田監督にもぜひ一肌脱いでもらいたい

伊藤アナ まさにそれですよ。私の夢はいつの日か岡田さんに喜楽館の板の上に乗っていただくことです。お孫さんにも恵まれ、最近は身にまとう雰囲気も随分と柔らかくなりました。着物姿で座布団の上に座ってもらい、あの美しく完璧な大阪弁で「そらそうよ」みたいにしゃべっていただくだけでお客さんは大喜びしてくださるのでは(笑い)。昭和の大名人・古今亭志ん生のような独特のフラ(雰囲気)を持っている方ですしね。

――岡田監督の落語家デビュー。楽しみにしています(笑い)

☆いとう・しりゅう 1962年10月25日生まれ。61歳。1985年に朝日放送(ABC)テレビに入社し、主にプロ野球、高校野球、ラグビーなどのスポーツ実況アナウンサーとして活躍。2023年3月に同社を定年退職した後はシニアアナウンサーとしての活動とともに「神戸新開地・喜楽館」の支配人に就任。

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