関口メンディー、卒業の理由は自分への甘えと母への思い「世界のエンターテイナーに」

関口メンディー

1日に行われたGENERATIONSによる会見。メンバーと共に出席した関口メンディーは今回のグループ卒業とLDH退社を決断した理由を明かした。以下は冒頭のスピーチ全文。

この度は足下の悪い中、ここに足を運んでくださり、本当にありがとうございます。私関口メンディーは約13年間ですかね、20歳の頃から今日に至るまでお世話になってきたLDHを6月25日をもって卒業させていただくことになりました。

そして、ここに今一緒にいてくれているずっと苦楽を共にしてきたGENERATIONSも同時に卒業となっております。加えて、LDHの所属する全てのグループも卒業になっております。

本当にですね。自分が20歳の頃から13年間、出来の悪い自分を育てくださったHIROさんはじめ、スタッフの皆さんには感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです。

ここにいるGENERATIONSメンバーもですね、本当に家族と同じぐらいの時間を共に過ごしてきた仲間です。結成当初は僕が最年長にも関わらず、一番ダンスが下手でですね、そのくせ遅刻もすると本当に出来の悪い人間だったんですけれども、そんな僕と時には伴走してくれて、時には喝を入れてくれて切磋琢磨してですね、ここまで走りきれたこの時間というのは、自分にとっても本当にかけがえのない青春になってます。

生きざまであったりとか、大きな背中で様々なことを教えてくださった先輩の皆さん、そして新しい世代としてたくさんの刺激をくれた後輩たちにも本当に感謝しています。そして、何より自分のことを見つけてくれて、ここまで温かく応援してくださったファンの皆さんと皆さん、DREAMERSにも心から感謝しています。この場を借りてお礼を言いたいと思います。ありがとうございます。

そしてですね。本当にこういった形で突然の発表になってしまい、皆さんにはファンの皆さんにはとても不安な思いをさせてしまったと思います。そのことも本当に申し訳なく思っています。ごめんなさい。

この決断に至るまでですね。すごくたくさんの時間を費やしました。HIROさんやLDHの皆さん、そしてGENERATIONSメンバーと何度も何度も話し合いを重ねてこの決断に至りました。その理由と今の自分の率直な思いを皆さんにお伝えしたくお話しさせていただきたいと思います。

13年間、自分はLDHという場所で本当に愛を持って育てていただいたというふうに思っていて、その活動の中でこのLDHという場所が自分にとって家族であり、実家のような場所になっていたというふうに思ってます。

実家は愛があって、とても温かいです。家族もいて、温かいご飯も出てお風呂もあって、布団もあって、とても安全な場所だったように僕は思ってます。

なんですが、いつからかこの実家という場所に自分は本当に居続けていいんだろうかという風に思うようになりました。

僕はおそらくですが、この中で一番意志が弱いです。会議中、HIROさんの横で寝てしまうぐらいなので、本当に意志が弱いんですけれども、そんな僕ですから、やはりここにずっといると、この環境に甘えてしまうんじゃないかなという風に強く思うようになりました。

この環境に居続けることは、もしかしたらお父さんの背中に近づくことも追い越すこともできないかもしれないという風に同時に思いました。今こそ自分の足で立って精一杯頑張っていくことが親孝行につながるんじゃないのかなという風に思ったというのが一つの理由です。

もう一つが家族のことです。

自分はもしかしたら皆さんご存知ないかもしれませんけれども、日本人の母とナイジェリア人の父の間の子で、いわゆるハーフでアメリカ生まれでもあります。両親は僕が小学校1年生の頃に離婚をしていて、それ以来は母子家庭で育ちました。父とはそれ以来ほとんど会っていなくて、正直生きているかも分からない状態です。

小学4年生の頃なんですが、学校行事の「2分の1成人式」というものがあって、そこで母が僕に手紙を読んでくれたんですよね。でも小学生だったというのもあって、すごく恥ずかしい気持ちもありながら、あまり母の手紙に耳を傾けていなかったですし、ほとんどの内容を覚えていないんですが、一つだけ覚えている言葉があって、<メンディーでは日本と世界の架け橋になってほしい>という風に母が言ったんですね。その言葉だけはなぜかすごく自分の心の中にすっと入ってきて、小学生ながらに駆け橋って何だろうとか、これどういう意味なのかなっていうふうに思ったんですけれども、漠然とそういう風に自分は当たっていくんだろうなっていう風に思った記憶があります。

あれから23年ですかね、っていう月日が経って、日本と世界の架け橋になれているかと自問自答したところ、合格点をあげられませんでした。当時、10歳だったメンディー少年に日本と世界の架け橋になっている自分を見せてあげたい。今強くそう思ってます。

それに自分のルーツをたどればたどっていくほど日本のみならず、世界で活躍できる人になりたいなという思いが強くなっていきました。

とてもわがままなこと言ってるなと自分自身も思いますし、これを聞いて「何を言ってるんだ」という風に思う方もいるかもしれませんが、僕は世界で世界のエンターテイメントの中で活躍できる人間になりたいと思ってますし、それができるかどうかは分かりませんけれども、人生一度きり挑戦してみたいっていう思いがとても強いです。

そして、自分が日本のみならず、世界で活躍できるエンターテイナーになった時に、僕をメンディーとして産んでくれた両親に対しての恩返しにもなると信じてます。このような理由をもって、僕はLDHを卒業させて頂くという決断に至りました。

本当にこのような機会を設けていただき、発表させていただき、本当に感謝しております。ありがとうございます。本日はよろしくお願いいたします。

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