医師を射殺し立てこもった男は、前日に死んだ母親の蘇生に固執した。根拠は30年近く前のテレビ情報。「72時間以内なら脳機能は生きている」

事件直後の現場住宅

 「72時間で再生する淡い期待がある」「なんとなく胸が動いた」。埼玉県ふじみ野市で2022年に起きた医師射殺・立てこもり事件の公判で、ある音声が再生された。
 事件前日に死んだ母親について、68歳の被告の男が母親の男性主治医と会話する様子だ。母親を熱心に介護していた男は事件当日、呼び出したこの男性医師に蘇生を求めた。断られると発砲し、男性医師を殺害した。同行した理学療法士の男性も銃撃されて瀕死の重傷を負った。男はそのまま部屋に立てこもり、翌朝に逮捕された。
 なぜ医師らを撃ったのか。2023年末に開かれた公判で、男はこう語った。「母親の蘇生を断られた。今でもおかしいと思う」。死者の蘇生。その知識の基になったのは、30年近く前にテレビで紹介された内容だった。(共同通信=勢理客貴也)

▽母親と住まい転々、たどり着いた一軒家が事件現場に

さいたま地裁

 取材や法廷で明らかになった男の経歴は次のようなものだった。
 男は一人っ子で、本籍地は東京都江戸川区の住宅街にある。約30年前まで暮らしていたとみられる。近所の人は「信用金庫に勤めていたはず」と話す。その後、母親と都内のアパートなどを転々とし、事件現場となった一軒家にたどり着いた。
 男は母親の介護に熱心で、全ての時間を寝たきりだった母のために費やした。訪問介護関係者は供述調書で「頑張って介護していると思った」と明かしている。
 ただ、男は治療方針への強いこだわりがあった。医療関係者らの示す方向性が自身の考えと食い違うと、不満を口にした。専門書を読み、独自の考えに基づく治療方針を積極的に提示した。医学的根拠は薄く、要求通りの対応が取られることは少なかった。
 母親は足先が壊死するなど自力歩行ができないような状況。それでも、「一緒に外出したい」と歩行訓練のリハビリを求めることもあった。男はリハビリがなかったことで、母親の寝たきりが続いたと考えていた。
 その母親を介護する室内は異様な状況だった。寝たきりの母親の下半身は露出させたまま。近くに設置した簡易便器で、すぐに排せつできるようにするためという。おむつは処分されず、部屋にため込んだ。理由をこう説明した。「母から目が離せない」。「自分がそばを離れると母がパニックになる」

▽母の死亡。「線香を上げてほしい」と医師を呼び出した

 事件前日の2022年1月26日、母親が死亡する。かかりつけだったクリニックの男性医師が死亡確認に当たった。その際、男は蘇生措置を依頼する。強心剤が投与されたが、心臓マッサージなどは行われなかった。男はこう受け止めた。「家族の最後の願いを聞き入れてもらえなかった」
 男は翌27日の未明、クリニックに電話してこう伝えている。「母親の胸が動き、呼吸しているように感じた」。男の記憶には、30~40年前のテレビで見た情報が残っていた。「72時間以内なら脳機能は生きている」という内容だ。「蘇生の可能性がある」と伝えたしたが、「明確に呼吸しているのでなければ行けない」と回答された。
 27日の夜、母親をみとった男性医師や、リハビリに関わったスタッフらが男の自宅を訪れた。亡くなった母親に謝罪して、線香をあげてほしいと男に求められたためだ。
 男は医師らが到着するまで散弾銃の手入れをした。趣味のクレー射撃に使っていたという。銃身や弾を確認し、母の遺体を安置した部屋の隅に銃を置いた。

▽部屋で何が起きたのか。再生された音声には叫び声

初公判での男(右端)(イラストと構成・松川久美)

 午後9時ごろ、医師ら7人が現場となる男の自宅を訪れた。男は日常的に医師らとの会話を録音しており、事件当日の音声も録音されていた。検察側はこの音声データを法廷で再生した。
 録音は医師らとのやりとりから始まる。「72時間で再生する淡い期待がある」「なんとなく胸が動いた」。落ち着いた声色だ。
 話題はなぜか銃に移る。「先生がエアガンお好きだというので」。エアガンを何発か撃ったような音がした。男の法廷での説明によると、医師の趣味がサバイバルゲームと聞き、場を和ませる目的だったという。誰かが線香を上げたのか、仏具の「おりん」を鳴らすような「チン」という音も聞こえた。
 そこから状況は急転する。静寂に包まれた法廷に突然「バン、バン」と大きな音が響き渡った。散弾銃の発砲音だ。「痛い」「やめろ」「110番」「だめだってば」。男女の悲鳴やどなり声、ばたばたと逃げ惑うような足音が続く。その後さらに銃声が聞こえ、再生は終了した。

▽110番通報も再生。助け求める声も

 法廷では、事件直後の110番の内容も再生された。
 通報は現場にいたクリニック関係者によるものだ。男性が息を切らしながら「発砲です」と告げた。後ろでは別の男性が助けを求める声が聞こえる。
 さらに、発砲後の捜査員との電話でのやりとりが法廷に流された。「死ぬつもりでいます。未練もない。夢も希望もない」「クリニックに母を殺された感覚」「どうせ死ぬなら許せなかったやつを道連れにしてやろうと実行した」。 
 撃たれた男性医師は即死だったが、遺体は部屋に立てこもった男とともに取り残されていた。「先生は血を流して意識がない」「銃を手放すことはできないが、先生を運び出すことはできないか」と求めていた男は、警察とのやりとりに応じながら朝を迎え、突入した警察官に逮捕された。

現場周辺に集まった警察官

▽裁判の争点は殺意の有無。「断ずる」のメモ

 裁判での争点は、男に殺意があったかどうかだった。検察側は計画性を指摘し、事件の日に書かれた男のメモを読み上げた。メモには医師らを「断ずる」との表現があった。他にも計画性をうかがわせる行動が明かされた。事件前に銃砲店に連絡し、威力の高い弾丸を自身の銃で使用できるか確認していたのだ。
 男は医師への発砲について、殺意がなかったと主張した。その説明は「頭に血が上り、医師の膝を狙い、大けがさせてやろうと思った」。では、「断ずる」のメモは何のためだったのか。男は「アンガーマネジメントの一環だった」と弁明した。
 被告人質問では、母親の蘇生へのこだわりを改めて口にした。「母はこの世で一番大切な存在」「72時間以内なら生き返るという情報にかけていた」。男性医師に対して、「蘇生措置をやってくれなかった」「今でもおかしいと思う」と不満を隠そうとしなかった。

▽裁判所の判断は無期懲役

医師射殺立てこもり事件で法廷に立った被告の男(イラストと構成・河原アカネ)

 さいたま地裁は2023年12月、男に無期懲役の判決を言い渡した。判決理由で地裁はこう指摘した。
 (1)至近距離から発射するなど強固な殺意にもとづいている。
 (2)自分の銃で威力の強い弾を撃てるか事前に問い合わせており、計画性が高い。
 (3)母親が亡くなった大きな喪失感を考慮しても、犯行は理不尽。
 (4)男の逆恨みによる事件で、医療関係者に及ぼす悪影響も懸念される。
 男は12月、判決を不服とし控訴している。

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