筒香選手がつなげる野球の輪。元メジャーのカート・スズキ氏が日本の野球少年に指導

大谷翔平選手ともバッテリーを組んだカート・スズキ氏

「Good job!!」

日差しのきつい青空のもと、よく通る大きな声が響く。声の主は長年メジャーリーグで活躍した名捕手カート・スズキ氏。

エンゼルス時代には大谷翔平選手の相棒も務めていたスズキ氏。そのミットめがけてボールを投げ込んでいる投手は、もちろん大谷選手ではない。メジャーリーガーでもない。日本の小学生なのだ。

「よろしくお願いします!」

少年野球チーム「Atta Boys(アラボーイズ)」に所属する子どもたちは、帽子をとりながら挨拶して代わる代わるマウンドに上がる。スズキ氏も日本語で「お願いします」と応える。

▲子どもたちのボールを受けるカート・スズキ氏

元メジャーリーガーが、日本のブルペンで子どもたちのボールを受ける。この春そんな光景が見られたのは、和歌山県橋本市にあるスポーツ施設『TSUTSUGO SPORTS ACADEMY』だ。

スズキ氏は2007年にアスレチックスでメジャーデビューすると、2022年に引退するまで16シーズンに渡って捕手として活躍した。ツインズでプレーした2014年には、初のオールスターにも選出され、ナショナルズ時代の2019年には球団初のワールドシリーズ制覇にも貢献。

また、ハワイ出身の日系アメリカ人3世であるだけでなく、キャリア晩年にはエンゼルスで大谷選手と一緒にプレーしていたこともあり、日本で有名なメジャーリーガーの1人だろう。

自分のルーツである日本へ教え子を連れてきた

そんなスズキ氏が日本を訪れることになったのは、日米の少年野球チームが交流を深めるためだ。現在はロサンゼルス近郊の少年野球チーム「PONO(ポノ)」でヘッドコーチを務めているスズキ氏は、以前から教え子たちを自身のルーツである日本に連れていきたいと考えていた。

そこで、日本で国際交流を図れるチームがないか模索していたところ、共通の知人を介して現横浜DeNAベイスターズの筒香嘉智選手の兄・裕史さんと知り合うことになったという。

元メジャーリーガーがヘッドコーチを務め、日本に遠征を行うPONOも異色のチームだが、今回交流することになったAtta Boysも日本では異色の少年野球チームだ。

筒香選手がオーナーを務め、裕史さんがGMとして運営しているチームであり、筒香選手が私費を投じて建設したTSUTSUGO SPORTS ACADEMYを本拠地としている。

「素晴らしい施設だよ。芝は美しいし、手入れが行き届いている。室内練習場も充実しているね」

スズキ氏も絶賛するTSUTSUGO SPORTS ACADEMYは、ドミニカのメジャーリーグアカデミーを参考にした本格球場であり、オフシーズンには筒香選手も自主トレをしている。

ここの天然芝は、筒香選手が「最もプレーしやすかった」と好んだエンゼル・スタジアムでも使われている“タホマ31”という品種を採用しており、エンゼルスでプレー経験のあるスズキ氏にとっても馴染みのあるものだったはずだ。

この日、PONOとAtta Boysはそのこだわりの天然芝の上で一緒にウォーミングアップをこなした。初日はAtta Boysが普段から練習している内容を、日米のチームが混合でこなす。音楽を使ったユニークなウォーミングアップなど、PONOのコーチ陣も「こんなのは初めてだ。面白いね」と楽しんでいたようだ。

年代別で親善試合も行われた。ウォーミングアップでは和やかな雰囲気だった両チームも、試合になれば真剣そのもの。コーチ陣だけでなくPONOの保護者たちも真剣な表情で試合を見つめ、「Let’s go!!」と我が子に声援を送る。

試合は2日間ともAtta Boysが勝利したが、ピンチになるとマウンドに選手を集めて激励するなど、本気の采配を振るったスズキ氏はAtta Boysについて「基礎がよくできている。投手も守備も、基礎がしっかり鍛えられているね」と話した。

▲試合は一進一退の攻防となった

また、試合以外では文化交流も行われた。わずか2日間で、茶道や書道、ケータリングの寿司に加えて最後は護摩行まで、PONOに日本を感じてもらうために裕史さんが企画した。

「日本食が大好きだ。納豆もよく食べるし、寿司は毎日食べたいほど」と話すほど日本びいきのスズキ氏はもちろん、日本文化にあまり馴染みのなかったPONOの子どもたちや保護者たちも興味深い体験として楽しんだようだ。

▲日本食の寿司を日米の子どもたちが一緒に食べる

野球で一番大切なことは楽しむこと

スズキ氏は1日目の試合を終えたあと、日本の野球少年たちを集めて質問に答えていた。「二塁送球で気をつけることは?」といった技術的な面に加え、「バッティング時に心がけていることは?」といった精神面まで、子どもたちは積極的に質問をぶつけた。

そのなかで「野球をプレーするうえで意識することはなんですか?」という質問に対して、スズキ氏は“positive”という単語を何度も使って答えた。

「野球はゲームだ。まずは楽しもう。そして、野球は失敗ばかりのスポーツ。アウトになったりエラーをしたり……でもOKだ。ポジティブになって前を向こう。試合中に自分やチームメイトがミスしたら? ミスを責めるんじゃなく、“大丈夫、次はできるさ”とポジティブに考えよう。積極的にプレーしたのならミスをしてもいい。とにかくミスを恐れずに、常にポジティブでいることが大切だ」

実際にスズキ氏が見せた指導も、その言葉通りのもの。バッティング練習では、打球という結果ではなく、スイングそのものに対して「Good」「Beautiful」とポジティブな言葉をかけ続けた。

「打席では、自分のベストスイングをすることを考える。常にストライクがくることを考えて、打席では積極的になるんだ。守備も同じ、ミスを恐れていたらノーチャンスだ。積極的になれば何度も失敗をするが大丈夫。ボール球を振ってもいい。誰だってボール球を振るんだ。常にヒットを狙ってベストスイングをすることが大事なんだ。ミスを恐れるな」

聞いているのは、ほとんど英語がわからない小学生。しかし、できるだけ簡単な英語を使い、熱く語るスズキ氏の言葉は子どもたちに大いに響いたようだ。その言わんとしている内容を、訳される前から理解しているような素振りを見せる子もいた。

▲「Atta Boys」の子どもたちと記念撮影をするカート・スズキ氏

元メジャーリーガー、そして大谷選手ともプレーしていたスズキ氏が来る。そう言われても、どれだけすごいことなのか実感できない子どもたちは少なくなかったようだ。「本人よりも、親である私のほうが興奮していたくらいです」と話す保護者もいた。

ボールを受けてもらい、バッティング指導を受ける。そういう経験をしていくなかで、子どもたちは自然と元メジャーリーガーに惹かれていったようだ。

最初は慣れない外国人ということもあったが、緊張していた子どもたちも徐々にリラックスしていき、1日の最後にスズキ氏の話を真剣な表情で聞く彼らの眼差しには、緊張ではなく“憧れ”が見えるようになっていた。

(取材:Felix)

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