『ラジオ下神白』、ラジオの力、歌の力【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.52】

予備知識まったくなしで『ラジオ下神白―あのとき あのまちの音楽から いまここへ』(23)を見ました。下神白は「しもかじろ」と読みます。福島県いわき市小名浜の地名です。そこに建てられた福島県復興公営住宅・下神白団地が本ドキョメンタリーの舞台です。もちろん東日本大震災の被災民の方が暮らしている。見た感じ、皆さんほぼ一人暮らしのお年寄りでした。いわきは発災後、津波や原発事故で家を失った(帰還困難になった)方が押し寄せましたね。いわき自体が津波被害が大きかったんですが、湯本に沢山の宿泊施設があって、その後は東電関連会社や除染下請けの前線基地みたいな性格になっていく。

僕は『ラジオ下神白』というタイトルに魅かれたんですよ。ラジオの映画なら見てみたいと思った。ご存知の方もおられると思いますが、僕は20代からずっとラジオの仕事をして、今日に至ります。最初はFM局で洋楽をかけたりするDJの真似事でした。基本的に「本業は物書きの人間がたまたまラジオに出てる」というエクスキューズ前提で、素人くさいのを許してもらっていたんですけど、そのせいか40年近く携わってもいっこうに上手くはなりませんね。あい変らず素人くさい。こんなに長くやるんだったらもっと鍛錬してプロっぽくなりたかった。まぁ、何にせよ、『ラジオ下神白』って言われたら見たくなりますよ。ラジオの世界にめっちゃ関心があるから。

最初、コミュニティFM局の奮闘の物語かと思ったんですよ。ラジオが災害時、本領を発揮します。大規模停電が発生したり、携帯電話の基地局が機能しなくなるような状況で、情報と温もりを届けられるメディアはラジオでした。地震発生時、ラジオ局のアナウンサーやスタッフは夜中だろうが何だろうが、とにかく局舎にかけつけようとします。僕は文化放送の吉田涙子アナウンサー(現在は報道部)が、東日本大震災発災後、ひっきりなしに余震が襲うなか、ひと晩マイクの前でリスナーに情報を出し、話しかけ続けたのを知っています。もう、特殊な精神状態でした。後日、よく踏ん張ったねと声をかけに行ったんですが、「ずっと足が震えっぱなしだった」って言ってました。で、それは涙子さんだけじゃなく、全国各局のアナウンサー、スタッフが経験したことだと思うんです。ラジオマンたちはみんなコミュニティを支える覚悟なんです。生きるか死ぬかみたいな局面でも、いつものリスナーにいつもの声を届けるつもりでいる。まぁ、そういう奮闘の物語かなと思ったって話ですけど。

『ラジオ下神白ーあのとき あのまちの音楽から いまここへ』©︎KOMORI Haruka + Radio Shimo-Kajiro

そうしたらコミュニティはコミュニティでも、ぜんぜん別のアプローチの映画だった。いやぁ、ホントに面白かった。これはね、復興公営住宅で孤立している人たちに「ラジオというアプローチ」で新たなコミュニティを形成していこうって取り組みなんですよ。読者の皆さんは「復興公営住宅」の暮らしってどんなだと思いますか。皆さん、本来のコミュニティから離れて、仮住まいをしているような状態ですよね。震災関連だと「仮設住宅」とか「(除染土壌の)仮置場」というように、「仮」ってワードが目につくじゃないですか。ずっとこのままじゃないんですよ、さしあたりここに居てもらいますよ(置かせてもらいますよ)という状態。それは暮らしそのものや、人の実存みたいなもんを一過性っていうか、「仮」のものにしかねない。「本当は違うんだけどね」というなかで暮らしていくんです。そこでの人間関係は故郷(本当のコミュニティ)のそれではない。僕だったらどうだろうと思いながら映画を見たんですけど、引きこもって孤立する気がします。震災後の「仮」の暮らしにずーっとなじめない。

アサダワタルさんら支援グループは「ラジオというアプローチ」を用いた。電波を受信する本当のラジオじゃないんです。下神白団地の住民の皆さんに向けた「ラジオ番組形式のCD」なんです。住民の皆さんのトークや、歌のリクエストが録音されている。アサダさんたちは定期的に下神白団地を訪れて、収録をしたり、番組CDを配布したりします。これがね、すごいんですよ。お互い知り合うきっかけのなかった住民どうしが、ああ、あの人はこんな歌謡曲の好きな人で、その曲にこんな思い出があったのかとわかっていく。いっぺん放送されて消えてしまう電波のラジオじゃなく、CDだから何度も聴くみたいなんですね。色々覚えて来ちゃったりする。ゆっくりだけど、コミュニティを形成する力があるんです。「復興公営住宅」という「仮」の場じゃなく、人の実存(生きてきた記憶や感情)の磁場のようなものが出来上がっていく。

アサダさんらは歌を大切にします。単にリクエスト曲をかけるってだけじゃなく、実際に集会所に集まってもらい、歌ってもらう。そのために生バンドを結成します。住民の皆さんの生歌がね、最高なんですよ。歌の力ってすごいと思った。みんな好きな歌をうたうとき、その思い出を語るときに表情が生き生きする。本当のその人に戻るんです。ラスト、「愛燦燦」の合唱は泣けてきます。ポレポレ東中野など上映館では拍手が起きていると聞きます。

文:えのきどいちろう

1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido

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『ラジオ下神白ーあのとき あのまちの音楽から いまここへ』

4月27日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー中

配給:ラジオ下神白

©︎KOMORI Haruka + Radio Shimo-Kajiro

© 太陽企画株式会社