他界した高齢男性、自宅壁に数万字の「見聞や知の世界」書き残して評判に―中国

中国で78歳で最近になり他界した山西省の農村部に住んでいた男性が、自宅の中庭の壁などに数万字を書き残していたことが注目された。内容は自分の見聞や感じたこと、さらには科学知識にも及ぶ。

中国で78歳で最近になり他界した山西省の農村部に住んでいた男性が、自宅の中庭の壁などに数万字を書き残していたことが注目された。内容は自分の見聞や感じたこと、さらには科学知識にも及ぶ。いずれも端正な文字で、文章としても秀逸であると、多くの人が驚いた。中国メディアの上遊新聞などが伝えた。

カメラマンが偶然のきっかけで発見、その価値に気付く

きっかけは、江蘇省出身のフリーカメラマンの蔡山海さんが、山西省の代県にある民家で、葬儀を営んでいることを見かけたことだった。蔡さんは、自動車で中国を一周する途上で、「ある地方を知りたいなら、その地方の結婚文化や葬儀文化も理解する必要がある」との持論に基づき、葬儀の様子を見ることにした。すると中庭の壁などに極めて多くの文字が書かれていることに気付いた。蔡さんにとっても初めてのことだった。

亡くなったのは福青と呼ばれる78歳の男性だった。蔡さんは最初、中庭の壁などに文字を書くのは現地の風習かと思ったが、親族から聞いて福青さんの独特の習慣と知った。

蔡さんは、葬儀の途中なので長居は出来ないと考え、親族の許可を得て福青さんが残した文章の一部を撮影して辞去した。後になり読み、福青さんは極めて広い範囲にわたって書き残していたことが分かった。まず、「息子二人はそれぞれの道を歩み、400キロ以上離れている。私は家で病気を療養している、二人の息子が生活費をまかなってくれ、老後を楽しく過ごしてい「2005年4月23日。福青(自分自身)はわずか24日で、この家を改装した。支出は8000元。自分の家に住む人は防火や水、害虫への対策をせねばならず、壁をしっかりと維持せねばならない」「杏の花が散り、果実が熟してから収獲。枝から4~5寸(約12~15センチ)の実がとても甘い」など、日ごろの生活を通じて見聞きしたり感じたりしたことが多く書かれていた。

故人に敬意、科学知識や時事問題にも関心あったと分かる

その一方で、「宇宙はどれだけ大きいのだろう?太陽の表面温度は6000度、中心は1500万度。体積は地球の130万倍、重さは地球の33万倍。飛行機で太陽まで20年かかる……」といった科学知識について記述もある。また、新疆ウイグル自治区のカシュガルに鉄道の物流センターが建設されると知り、「77歳の私、福青が見に行けるかな」といった記述もあり、時事問題にも関心を持っていたことが分かる。

多くの人が福青さんの端正な文字と文章に感動

蔡さんは3月31日、福青さんの文章を撮影した写真の一部を投稿した。「最初は数千アクセスと思っていましたが、数日で50万を突破し、現在では100万を突破しました」とのことで、思いもよらず大きな注目を集めることになったという。

多くのユーザーが、福青さんの端正な文字と素朴な文章に感動した。「文字の力、平易さ、ロマンに圧倒された」「老人は生前、生活を特に愛する人だったに違いない」「彼は日々を詩にした」などのコメントが寄せられた。あるネットユーザーは「突然に理解した。なぜ歴史に碑文や銘文があるのか。それは時間を超えた生命の声だからだ」と書き込んだ。

興味を持った蔡さんは、現地での滞在を続け、故人への尊敬を示すために、初七日が過ぎてから福青さんの家を改めて訪ねて、さらに多くの写真を撮影した。そして「このことによって、この見ず知らずの老人を慰霊し、この文で読者の皆さんと共に愛、生命、死について考えていきたい」と表明した。

福青さんの長男である宏剛さんは取材に対して、「父は小さい頃から毛筆を習っていました。私が物心ついた1970年代から80年代ごろには、村では冠婚葬祭で文字を書く必要が生じると、父に書いてもらっていました。大学生が書を習いに来たこともありました。90年代からは印刷が増えて、次第に書くことがなくなりました」と説明した。

また、福青さんは天文学や地理などに特に興味があり、普段から書物をよく読んでいた。宏剛さんによると、家には数万冊の書物があった。ただし、宏剛さんも弟も、父親の「文化教養の財産」は受け継いでいないという。

親族の突然の死で、記す内容にさらに深み

宏剛さんによると、福青さんが中庭の壁に文字を書き始めたのは、2001年に建物を補修した時だった。最初はチョークで書いていたが、後に毛筆で書くようになった。動機については聞いていないが、字を書くことが好きだったことに加えて、歳をとって物忘れがひどくなったので、まずは日常の生活に関係することを書き残すようにしたと思えるという。

宏剛さんはさらに、2017年に福青さんにとっての義母が急死してからは、自分の生涯や自然について、さらに息子に向けた言葉を書き始めたと説明した。例えば、18年2月1日の日付で「父が亡くなった後には、あなたの母親の考え方の変化を重視し、父を葬った後には彼女を世話する人を探すか、養老院に送りなさい。それから誠実な家族に、東側の建物に店を開いてもらういなさい。両親は生きている間にすでにあなたがた兄弟2人の親孝行を得て満足している。あなたの兄弟2人が一緒に歩んで、団結することを大切にしてほしい。あなたがたの子孫をしっかり育てて、親孝行心があるのなら、団結する一家の主になってほしい」と書き残している。

蔡さんは福青さんについて、「私たちの身の回りの一人一人の老人かもしれない。私たちの前の世代の人かもしれないし、あるいは私たちの未来の姿かもしれない」と述べた。

息子は父が残した文章を書物にすると表明

宏剛さんは父親の残した文字の今後の扱いについて、「少しずつ書き写して、書物にするつもりです。それから、これらの文字を時期に基づいて分類します。壁だけでなく、父が建物内や書物に書き込んだ文字もたくさんあります」と説明した。

宏剛さんは上遊新聞を通して、「父を追憶する文章」を発表した。福青さんに語り掛ける形式で、福青さんの死が突然だったために、最期に話すこともできなかったことを悔やみ、父の声や笑顔は夢の中の出来事のように思えるとつづった。また、SNSを通じて多くの人が福青さんを評価したことで「あなたの孤高の魂を安らかにすることができました」などと表明し、最後の部分を「天下の息子と娘が、いつも家に帰って父母と会い、年老いた父母により関心を持つことを望みます。ネットの皆さんと書を愛する人の父に対する関心に感謝いたします。天下の父母の体が、健康で安寧でありますように」として結んだ。(翻訳・編集/如月隼人)

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