みどりの日

 「日本書紀」に木の用い方に触れたくだりがある。スサノオノミコトが顔のひげ、胸毛、眉毛を抜いてさまざまな樹木に変え、スギは浮宝(うきたから)(船)に、ヒノキは瑞宮(みずのみや)(立派な建物)に、マキ(槙)はひつぎに使いなさい、と述べた▲遺跡で掘り出された船や宮殿、木棺は、実際にそうした木材でできているという。木は古来、それぞれの持ち味を生かして用いられてきた。神代(かみよ)の昔から伝わる“適材適所”の知恵だろう▲樹液が濃いというクヌギは、カブトムシやクワガタムシが好む木として知られる。小さな生命を育てるのも、浮宝や瑞宮に劣らないほどの樹木の貴い営みに違いない▲谷川俊太郎さんに「シャガールと木の葉」という詩がある。買ったばかりのシャガールのリトグラフと、道で拾ったクヌギの葉を並べ、詩はこうつづられる。〈値段があるものと/値段をつけられぬもの/ヒトの心と手が生み出したものと/自然が生み出したもの〉▲どちらも美しく、かけがえのないものだ、と詩は続く。一枚の葉は一枚の名画に並ぶ貴さを宿しているらしい▲きょうは「みどりの日」。大型連休も後半に入り、旅の車窓を眺めながら、あるいは公園を散歩しながら、木々の緑に目と心を休める人もいるだろう。木は時として、もの静かな“名医”にもなってくれる。(徹)

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