ジャンボ鶴田が公約通り全勝優勝 全日本「チャンピオンカーニバル」3冠王者の意地でハンセン撃破

91年に再開されたチャンピオン・カーニバルは鶴田の全勝優勝で幕を閉じた

【昭和平成スター列伝】全日本プロレス、春の祭典「チャンピオン・カーニバル」が連日、熱戦を展開中だ。今年は全16選手がA、Bブロックに分かれて優勝決定戦(5月12日、神奈川・横浜BUNTAI)を目指して覇を競い合う。新装なった横浜文化体育館で優勝トロフィーを手中にするのは誰か、注目が集まる。

1973年の第1回から今年で44回目を迎えるカーニバルだが、中断されていた時期があった。83年から90年にかけての8年間である。この時期はリーグ戦は行われずに文字通り、NWA世界ヘビー級王者やAWA世界ヘビー級王者を招聘して毎シリーズ、豪華なタイトルマッチが行われ、各地で大人気を呼んでいた。84年からは長州力率いるジャパン・プロレスと提携したことも大きかった。

91年には8年間の空白を経てカーニバルが再開される。90年に天龍源一郎らがSWS旗揚げのため大量離脱。団体が危機を迎えた御大ジャイアント馬場にとっては、目玉となるシリーズを復活させる必要があったのだ。当時、3冠王に君臨していたのは“最強”ジャンボ鶴田。三沢光晴ら四天王も急台頭を遂げており、馬場はカーニバル復活へゴーサインを出した。

4月16日名古屋の優勝決定戦はAブロック首位のスタン・ハンセンとBブロック首位の鶴田。鶴田は初優勝を決めた80年以来、実に11年ぶりの優勝を決めている。

「3冠王者の意地が爆発した。ハンセンのアゴにヒザが食い込む。威力は十分。力の抜けたハンセンの上に覆いかぶさり3カウントが入った。序盤は前3冠王者のハンセンがプライドを持って後頭部へのヘッドバット、エルボー、鉄柱、イス攻撃。そして不意にハンセンの左腕がうなった。横殴りのラリアート。もう1発。しかし鶴田はこの瞬間を待っていた。低くタイミングのいいジャンプ。ハンセンの左腕が空を切る前に鶴田のヒザがハンセンのアゴを砕いた」(抜粋)

鶴田は公約通り全勝優勝を達成。18日には日本武道館で三沢をバックドロップ3連発でKOして王座防衛に成功し“最強”を満天下に証明した。しかし92年には肝炎を患い、第一線から退く。代わりに三沢、小橋健太(現建太)、川田利明、田上明らが一気に台頭。全日本は再度黄金期を迎える。鶴田は2000年5月に49歳の若さで死去するが、再開されたカーニバル優勝は最後の輝きでもあった。 (敬称略)

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