宮澤博行議員の潔さは評価したい 言い逃ればかりの自民党の中で異色の“性事家”三冠王(元木昌彦)

裏金づくりを自ら暴露した昨年12月(宮沢博行前防衛副大臣)/(C)日刊ゲンダイ

【週刊誌からみた「ニッポンの後退」】

「わたしはコレで会社を辞めました」

この「禁煙パイポ」のCMが一世を風靡したのは1984年。流行語大賞大衆賞を獲得している。

会社員の世界は相変わらずだろうが、政治家は年々劣化してきているように思う。女性のパンツを盗んだ過去のあるやから、愛人との二重生活をしているやからがわが物顔で跋扈している。

コロナ禍なのに銀座のクラブに足しげく通い、離党処分になったやからもいた。つい最近では、国会開会前夜に20代の女性とラブホにしけこんでいたと報じられた、山田太郎文部科学政務官(56)が辞任している。

そして真打ち登場である。週刊文春(5月2.9日号)で、コロナ禍での“パパ活”や、毎夜、デリヘル嬢を自宅に招き入れての“性の饗宴”を報じられた宮沢博行前防衛副大臣(49)は、“性事家”の三冠王である。

このご仁、少し前には別の意味で注目の人だった。昨年12月13日、記者団の前で、派閥ぐるみの裏金づくりを自ら暴露したのだ。剣道6段。「私は派閥に残って、派閥を介錯する」と大見えを切った。もののふの魂いまだ消えず。男はこうありたいものだと思わせた。

だが、上半身と下半身は違う人格とよくいわれる。このご仁、下半身は欲望に任せっきりで、節操などという言葉は頭の中から抹消したかのようである。

文春によれば、「今から三年ほど前、宮沢氏は妻子を地元に残し、都内で二十八歳の女性A子と同棲していました」(A子をよく知る人物)。

だが、コロナ禍でさすがにまずいと思ったのか、宮沢氏の方から別れを切り出し、同棲は1カ月ほどで終止符が打たれたという。コロナが明けた2023年から、再び彼の下半身がうごめき始めた。出会い系サイトに「ひろゆき 49歳 身長172㎝ B型 山羊座」と記し、卒業のお手伝い(処女探し)を始めたというのだ。

それだけではない。文春が目撃していた4月10日と11日、自宅にデリヘル嬢を招いていた。派閥からの「裏金」を自身の欲望を満たすために使っていたのではないのか。

静岡県・掛川駅に颯爽と降り立った宮沢氏を文春が直撃。すると宮沢氏は「こっち?」と小指をピンと立てたというのである。

デリヘル嬢を連夜呼んだことについてはうなずき、違法な本番行為もやった? と聞かれると、「それは無い。デリヘルの場合、本番は無いけど、性的マッサージはあります」とキッパリ。

A子と緊急事態宣言下で同棲していたことには、「うん、軽率な判断でした。否定はしませんけども、これ、マズいなって思ってすぐ終わりました。寂しかったんです。出来心です」。

その後、出会い系サイトに登録してパパ活をしていたことは、

「東京で仕事をすると、寂しいんだよ。つい、つい、つい、やってしまった」

すべて「記憶にございます」と肯定したのは武士道精神からか。しかし、彼が愛用している「紐パン」について聞かれると、突然悶え始めたというのだ。

股間をまさぐり出し、「理由があります。ステテコを直穿きしてるんですよ。フフッ、これ記録してよ、金玉がすご~く垂れちゃってぇ~。何とかならないかなと、金玉のパンツを探して探して。今、見せます?」。

さすがの猛者記者も、「いや、ここでは」と断った。

去り際「これから(茂木敏充)幹事長に会ってきます」と言った。自ら腹をかっさばいて“切腹(議員辞職)”してみせたのである。

政治家としては最低だが、宮沢氏のような“人間”、私は好きだ。 (文中敬称略)

(元木昌彦/「週刊現代」「フライデー」元編集長)

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