『光る君へ』玉置玲央が柄本佑と作り上げた道兼の“最期“ 「意味のある幸せな死」

現在放送中のNHK大河ドラマ『光る君へ』の登場人物の中で、視聴者に“最も嫌われた”キャラクターのひとりと言えるのが、玉置玲央演じる藤原道兼だ。なぜなら主人公・まひろ(吉高由里子)の母・ちやは(国仲涼子)を第1回でいきなり殺害したから。しかし、そんな道兼をただのヒール役にはせずに、視聴者が感情移入してしまうほどの人物に玉置は作り上げた。劇中で最も“弱さ”をさらけ出したともいえる道兼を玉置はどう演じたのか。(編集部)

●“クズ役”は「お手のものなんです(笑)」

――道兼といえば、第1回のまひろの母・ちやはを惨殺するシーンが印象的です。『光る君へ』のイメージを決定づけた重要な場面でもありますが、そこを演じるに当たってのプレッシャーはありましたか?

玉置玲央(以下、玉置):台本を読んで、「うわ、こういう流れになるんだ。おもしろいじゃないか」と思ったところはあるんです。「プレッシャーを感じた」ということはなく、これをどうやって先の物語、道兼の人物像に繋げていけるだろうかと意識しながらやっていたような気がします。第1回が衝撃的な終わり方なので、「こういう話が続くようだったら、今回の大河ドラマはちょっと観なくていいや」となってしまうのは嫌だなと。そうなってしまうとしたら、きっかけはどう考えても自分のその所業なので、その意味ではプレッシャーはありました。道兼のやってることは肯定できないですけど、物語の流れとして道長(柄本佑)とまひろの運命の中では大事な出来事でもあるので、道兼として悪役を全うしようと思えました。

――第14回では、父の兼家(段田安則)に対して「とっとと死ね!」と暴言を放つシーンもありましたが、こういった嫌われ役を演じる上でやりがいを感じた瞬間はありましたか?

玉置:僕、クズ役が多いんです。言い方はあれですけど、お手のものなんです(笑)。大石(静)先生からもお墨付きで、「玉置さんに今回ピッタリな役があるの」っていただいた役なので、「よしやるぞ!」という気持ちだったんですけど、蓋を開けてみたらなかなかな役が来て、気持ちはジェットコースターでした。改めて、クズ役はいろんなやり方があるんだという意味で、「まだやれるんだな、自分」と思えましたし、ある種の今後のやりがいでもありました。でも、いい人の役も本当はやりたいですよ(笑)。

――第8回では、為時(岸谷五朗)を訪ねてまひろの家に道兼が突然現れるシーンがありました。玉置さんと吉高さんが共演する数少ない場面です。

玉置:僕はプライベートでの関係性をきちんとお芝居に乗っけた方がいいと思うタイプなんです。由里ちゃん(吉高由里子)とは、すごく仲がいいと思ってるんです。仲がいいからこそできるカメラが回った時の距離感とか関係性っていうのがあると思っていて。それが存分に発揮されたような気がしています。当然ですけど、カメラが回ったら仲のいい2人じゃないんです。まひろ側からは、道兼はぶん殴りたい相手でしょうし。でもそれは、普段の2人の関係性が親密だから故にあの画が撮れたところがあるんじゃないかと思ってます。まひろと道兼が画面に一緒に収まってるシーンは本当に少ない。だからこそできる2人の関係性の説明、表現をなるべく詰め込まないと、ちょっと情報過多になっちゃうとは思うんですけど、物語以上の何かが画から出てくる、感じ取れるものを受け取っていただけるようにしないといけなかったので、その辺は意識しながら演じてたかなと思います。あのシーンには、「母親を殺してるのに何してんだよ」っていう道兼の愚かさがあるじゃないですか。それが存分にまひろとのお芝居に乗っかっていたら面白くなるんじゃないかなと思っていました。まひろが葛藤しているシーンでもあり、いつでも「シャッ!」って引っ掻きに来られる威嚇してる猫みたいな状態だと思うんです。普段の吉高由里子って、天真爛漫な素敵な女性なんです。それがあの状態になれるのがすごいなと思いました。スイッチなのか、どういう感覚で由里ちゃんが取り組んでいるのかは分からないですけど。琵琶の演奏シーンもあったので、そういった意味でも緊張感はありました。道兼の前で披露する緊張感。「琵琶でそのまま道兼を殴れよ」みたいな、視聴者の方々がそう思うくらいの緊張感。もしかしたら殺気が渦巻いてたんじゃないかと。

――疫病が流行り、道兼は危険を顧みずに悲田院に向かう際に「汚れ役は、自分の使命だ」と言いますが、その意味合いが変わっていく、その彼の心境を教えてください。

玉置:第15回から第17回までの間で、道長との関係性がものすごく動きました。最も信奉していた父の兼家という存在に対して、自分の中で心がポキッと折れてしまって、道兼が崩れてしまうんです。そこを道長が救ってくれるわけですが、それが彼の中で変化のきっかけになっていて。“汚れ役”というのが、言葉通りの意味ではなく、例えば兼家がずっと言ってきた家を守る、この藤原家のために何かを成していくことに、少しずつシフトしていく。これは想像でしかないですけど、自分の出世とか欲を解消するためではなく、誰かのために汚れ役をちゃんと担っていくようになっていったということだと思います。道長のおかげで彼は少しだけ真人間になれたのではないかと。

●玉置玲央が道兼の最期の笑いに込めたもの

――台本には道兼の最期の場面で、「こんなに笑ったのは、生まれて初めてだ」という台詞があるんですが、実際にはどのような心境で死んでいったと玉置さんは思っていますか?

玉置:人は必ず死ぬのは決まりきっていることで、今まで犯してきた所業や愚かさを亡くなる寸前に振り返った時に、自分に対しての嘲笑ではなく、ある種の虚しさがあったのではないかと。死ぬ直前に道長が一緒にいてくれるんですけど、彼には最期に心を救ってもらえているので、心を開いて寄り添ってもらった結果、彼がそばにいてくれてることに対しての喜び、彼に犯してきた罪に対しての申し訳なさ、いろんなものが入り交じった笑いだったなって、思い返してみると思います。

――道兼の最期のシーンについて、共演された柄本佑さんや演出スタッフとのエピソードを聞かせていただけますか?

玉置:道兼が悲田院に行ったせいで病にかかってしまう。道長が道兼のもとに見舞いに来て、御簾越しに「お前はこれからの人間だから、家を守るために入ってくるな」とつっぱねる、御簾ごしに見合って去っていくシーンだったんです。それがリハーサルで演出の中泉(慧)さんに、「道長は御簾の中に入っていって兄に寄り添う」って提案してくれたんです。中泉さんは「持ち帰って考えてみます」と返したのですが、後日の撮影で佑くんが、「やっぱりどうしても俺は入っていきたいし、道長は兄に寄り添うと思う」って改めて提案してくれたんです。結果、道兼がゴホゴホ咳をしながら倒れ込むところを、道長がたまらず御簾を跳ね除けて入って行って背中をさするシーンになりました。それが道兼としては嬉しいというか、ありがたくて。当初の通りにやった方がいい可能性ももちろんあったんですけど、そこを佑くんが提案してくれて貫き通してくれたこと、道長として道兼に寄り添ってくれたことが、道兼の中に転換機としてあって、道長に救われたという思いは一方的なものではなかったことが分かった瞬間だったんです。道長は自分という存在を貫いてきた人物だと思っていて、そういう人こそがちゃんと生き残っているのが、僕はこの『光る君へ』の好きなところです。佑くんが道長でよかったと思ったし、佑くんと今回共演できてよかった、闘ってくれてありがとうと思いました。いろんな思いが渦巻いたラストシーンで、カメラが止まった後も咳が止まらなくなっちゃったんです。それを佑くんがカメラは止まってるのにずっと背中をさすってくれて、「つらいよね、つらいよね」って言ってくれたのを今でも覚えていて。自分の役割と死というものを全うできるなと思えて幸せでした。佑くんとは以前も共演してるんですけど、その時はライバル関係の役だったので、「あんなに歪みあってたのにな、うちら」って思いながら、今回の撮影では和やかに、朗らかに仲良くやらせてもらったので、「もううちら、こんなにフランクに話せるんじゃん」って思いながら撮影していました。

――第1回のちやはを殺してしまうシーンから、自分の死にざまについてどう想像されてましたか?

玉置:ろくな死に方はしねえなと思ってました。SNSでは「呪い殺される」とかよく書かれてましたけど、そっちの方向の考えは全然なくて。道兼なりの幸せというか、行き着く幸福を見つけて死んでいくんじゃないかという気はしてたんです。彼が第1回から重ねてきた所業はあれど、きちんと納得のいく、意味のある幸せな死を迎えるんじゃないかって、薄ら思ってたのはあります。そういう形になったんじゃないかという気もしますし、もちろん自分だけの力だけではなくて、共演者のみなさんと監督、それこそ佑くんのおかげでそこに至れたのは本当に感謝だなって。本人に伝えたら「感動させてやったぜ」って言ってて、「ちくしょう」って思いましたけど(笑)。

(文=渡辺彰浩)

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