『虎に翼』はなぜ“今”を写し取るドラマに? 100年前から続く物語を100年先につなげる意義

朝、目が覚める。スマホに手を伸ばしながら「ああ、今日の『虎に翼』どうなるのかな」とその日のストーリーを想像する。こんな朝ドラは久しぶりだ。

NHK連続テレビ小説『虎に翼』が第6週目に入った。毎話、あまりにも濃くてさまざまな視点や視座に満ちており、安易に悪役を作ることで主人公を正しき者にしない展開と緻密に計算された熱のあるストーリー。現時点での私観だが、長く語り継がれる朝ドラになると思う。

第1話、小さな笹で切られた小舟が川を流れていく情景から物語が始まる。昭和21年、戦争が終わり日本国憲法が発布。主人公の寅子(伊藤紗莉)が万感の思いを込めて憲法について書かれた新聞記事を読むさまに日本国憲法第14条の朗読が流れ、さまざまな女性たちの姿がそこに重なる。橋の下でぼんやり新聞を見つめる年配女性の着物は貧しくやつれている。彼女は戦災で家や家族を失ったのかもしれない。街には米軍の兵士を相手に商売をする女性たちが立ち、どこかの店の前では日常を取り戻そうと中年女性たちが談笑する。

『虎に翼』が長く語り継がれる朝ドラになると思った理由は多々あるが、特に心に刺さったポイントを書いていきたい。

●誰かの苦しみや辛さを否定しない視座

第3週「女は三界に家なし?」では学内の法廷劇を機に「男性によってコントロールされる女性たちの姿」が浮き彫りになり、さらに明律大学女子部に所属する寅子の同級生たちがそれぞれ抱える痛みや辛さも明らかになった。親に売られる寸前に東京に逃げ、カフェーで働きながら学校に通うよね(土居志央梨)、つねに周囲から注目されて自由のない華族令嬢の涼子(桜井ユキ)、弁護士の夫や長男から見下され姑との関係も良くない梅子(平岩紙)、言葉の壁と戦う朝鮮半島からの留学生・香淑(ハ・ヨンス)。

通常のドラマであれば、ちょっとした食い違いや対立の描写を経て「私たちはそれぞれ弁護士になるために戦っているのね、一緒に頑張りましょう!」で大団円といったところだが、脚本の吉田恵里香はそこからさらに踏み込んだ。元は寅子の親友であり、義姉となった主婦の花江(森田望智)が「自分は皆さんのように頭も良くない、戦えない女だ」と寅子や同級生たちの前で不意に涙を流したのである。

その花江の発言を「甘えるな、自分で選んだ道だろうが愚か者!」と一喝したよねに対し寅子は語る。

「いくらよねさんが戦ってきて立派でも戦わない女性たち、戦えない女性たちを愚かなんて言葉でくくって終わらせちゃダメ」

この台詞こそが本作『虎に翼』の視座であると感じた。戦うこと、声を上げることはとても尊い。困難な道を切り拓く者は賞賛されるべきである。が、戦いながら前を進む者がそれをできない人を見下し置いてけぼりにするのは違う、と。

人の苦しみや痛み、辛さはそれぞれである。そこに序列をつけ誰かを排除したり置き去りにしてはならない。なんて今の時代にリンクし、強度のあるメッセージだろう。

その流れを受けての第4週「屈み女に反り男?」では、法学部に進学した寅子らが男子学生たちと共に学び、ピクニックでのアクシデントなどに遭遇するうち、ホモソーシャル内での彼らの辛さや学歴コンプレックスなどにも目を向ける。ここで物語がお約束の“女性VS男性”に終始せず、実感として理解し得なかった男女それぞれの痛みに双方が寄り添う展開も胸に刺さった。

●100年前から今に続く物語、そして100年先へ

第4週まではそれぞれの家庭内や学内でのことにおもにフォーカスがあてられてきた『虎に翼』だが、第5週「朝雨は女の腕まくり?」で寅子たちを取り巻く世界が一気に広がる。銀行員である父・直言(岡部たかし)の逮捕と裁判だ。

作中で描かれた「共亜事件」はおそらく(というか、ほぼ確定的に)戦前最大の疑獄事件「帝人事件」をモチーフにしているのだろうが、フィクサーのような老人が暗躍し、政治と司法それぞれの独立性が担保されていない状況は100年前のことと笑えない。そして、劇中でこの裁判がおこなわれた1935年から1936年頃といえば、二・二六事件をはじめ、日本が戦争に突き進もうとしている時代である。

第5週の最終話、父をはじめ事件の被告16人全員に無罪判決が出たことを受け、寅子は「あたかも水中に月影を掬いあげようとするかのごとし……」との名判決文を書いた裁判官・桂場等一郎(松山ケンイチ)を甘味店で待ち、彼に礼を伝えて、法律に対する自らの捉え方が変わったと話す。それまで法律は誰かを守る盾や傘、毛布のようなものだと考えていたが、父の裁判を経た今、法律とはその存在こそを守らねばならない綺麗な水源のようなものであると。

この第5週の最終話が改憲も議論される昨今の憲法記念日、5月3日に放送されたのは『虎に翼』が“持っている”ということだろうか、それとも脚本の吉田氏は最初からそこに狙いを定めていたのか。

ここであらためて第1話を見返し、物語の初めに登場したあの笹の小舟は女性の社会進出のメタファーなのだと再確認した。やっと川には浮かんだものの、途中の小石に引っ掛かり小舟は前に進むことができない。強い風が来たら吹き飛んでしまうかもしれないし、雨が降れば壊れる可能性だってある。でも、そこで止まるわけにはいかないのだ。小舟が進む先には大きな海があるのだから。

さて、時代はいよいよ戦争である。寅子とともに学んできた明律大学の女子学生や男子学生たちはどうなってしまうのか。どの登場人物も完ぺきではないがとても愛おしい。できれば全員で夢を叶えてほしいと願う。きっとそれは難しいことなのだろうが。

この作品は、今を生きる私たちに、その一瞬一瞬が100年前からの地続きであり、2024年の今、私たちがどんな選択をするかで100年先の人々の生活が決まると教えてくれる。『虎に翼』は100年前の物語であると同時に、確実に“今”を写し取るドラマなのだ。

(文=上村由紀子)

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