東京再発見 第17章 墨東の碧~江東区清澄・白河・三好~

ここにも訪日外国人(清澄庭園)

2000年12月に大江戸線が開通すると「清澄白河」という駅が誕生した。また、2003年3月に半蔵門線が延伸し、交通至便となる。しかし、周辺に清澄白河という地名はない。清澄や白河、三好といった地名の総称が、地下鉄の駅名として、代表するようになった。

隅田川の東側、「清澄庭園」に代表される碧豊かなこの場所は、かつては工場地帯。そして、その倉庫を改良して、新たなスタートを切った店舗が多数存在する。

その歴史は、案外短い・・・清澄庭園

江戸時代初期に漁師町として発達したこの地、江戸中期になると商人が移り住んだことに始まる。幕末に岩崎弥太郎が久世家の屋敷を購入し改修、明治期になり庭園として造営したものである。ある時は三菱社員の憩いの場、また、ある時は迎賓館として利用されるようになった。回遊式林泉庭園は関東大震災時に周辺深川区民の避難場所となり、その後東京市に寄付され、清澄庭園が誕生した。

ブルーボトルコーヒー1号店

昨今、古い倉庫を改造して数多くのカフェが営業を始待っている。特に青いボトルをイメージした「ブルーボトルコーヒー」の1号店もこの地にある。また、2019年3月に「東京都現代美術館」がリニューアルオープンされたこともあり、モダンアートを扱うギャラリーも多数存在することも特徴だ。

そして、「深川江戸資料館」も近隣にあり、江戸時代の深川佐賀町の町並みを実物大で再現、当時の家屋や商店、船宿、火の見櫓などが展示されている。

復興住宅は、今も元気に!

今も元気な清澄長屋

古き倉庫を改造した新しい町ではあるが、清澄通り沿いに約250メートルの通称「清澄長屋」(旧東京市営店舗向け住宅)が残されている。これは、関東大震災の復興施策として建てられた一階が店舗、二階が住宅という長屋。第二次世界大戦を潜り抜け、昭和を彷彿させる名所となっている。

また、江戸初期に創建された「霊巌寺」は、日本橋の霊巌島に建てられたものを移築。江戸中期、寛政の改革を行なった松平定信のお墓を有する古刹である。

江戸初期に神田山を切り取って、墨東の地は形成された。まさしく、新興住宅街だ。時を経て、このように新旧の素敵なモノ・コトが共存する町に変貌していった。そして、隣町である門前仲町と共に緑豊かな「墨東の碧」の地として、若者たちの憧れの場所となっている。

住んで良し、訪れて良しの町。次の休みはカフェブレイクと洒落こんで、訪れてみようかと考えている。

(次ページは、清澄白河を散歩してみましょう)

倉庫を改造したレストラン

蔦の絡まるアートなお店

昔ながらのきもの屋さん

店先の風鈴の数々

こ洒落た食堂

ホッとする居酒屋さん

地域の子供たちの憩いの場、霊巌寺

墨東の碧

(これまでの特集記事は、こちらから)

取材・撮影 中村 修(なかむら・おさむ) ㈱ツーリンクス 取締役事業本部長

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