わずか3カ月で全線再開した「のと鉄道」、奇跡的な復旧はどう成し遂げられたのか 共通の目標は「新学期に間に合わせたい」日常を取り戻す光に

全線で再開し、穴水駅を出発する「のと鉄道」の列車=4月6日早朝、石川県穴水町

 菜の花や桜が咲く石川県の能登半島を「がんばろう能登」と書かれた桜色のヘッドマークを付けた「のと鉄道」の車両が進む。七尾市と穴水町の33・1キロをつなぐローカル鉄道は、元日の地震で土砂崩れが2カ所起き、線路や駅舎などがさまざまな被害に遭った。

 利用客の大部分は通学目的の学生だ。復旧に関わった鉄道関係者は「新年度、新学期に間に合わせたい」という目標を掲げ、作業に取り組んだ。4月6日に全区間で運行再開。早朝に開催された始発列車の出発式は作業員、地元の住民の涙や笑顔であふれていた。発車した列車を見送った中田哲也社長は「被災者が日常を取り戻す、光になれば」と願う。わずか3カ月で奇跡の全線再開を果たした、その舞台裏を追った。(共同通信=奥山泰彦、村川実由紀)

「のと鉄道」が全線で復旧し、菜の花が咲き誇る中、穴水方面に進む列車=4月6日午前、石川県七尾市

 ▽命の危機
 2024年1月1日の夕方、およそ10分間で2度の揺れが沿線を襲った。1度目の揺れが収まった数分後に震度6強の2度目が到来し、穴水町にある本社にいた社員は「冷蔵庫や棚が倒れて命の危機を感じた」と振り返る。外に出ると隣接する穴水駅の壁は損傷していた。建物の中にいると危ないと判断し、近くに停車していた車両の中で社員やその家族は一夜を明かした。

 地震発生当時、七尾市の能登中島駅に到着した列車には40人ぐらいの乗客がいた。駅から海岸までは約1キロ。大津波警報が発令されたため、乗っていた社員が近くの体育館に避難誘導した。幸いけが人はなく、その後、バスで金沢市まで乗客を送り届けることができた。

 ▽被災状況に衝撃
 石川県輪島市の実家で正月を過ごしていた中田社長は1月2日午後、車でようやく本社にたどり着いた。社員がスマートフォンで撮影した被災状況の写真を見て衝撃を受けた。「土砂崩れで線路が埋まっていたのが2カ所、いたる所で線路が浮き沈み波打った状況になっていた。正直、復旧までにどれぐらいかかるか全く見通しが付かない。本当に大変なことになったと思った」と当時の心境を語る。

 過去には大規模災害からの復旧費用を捻出できず、バス路線への転換を迫られるなどしたローカル鉄道は少なくない。長年、住民に愛されてきた鉄道がなくなれば「地域のともしびが消え、人々の心に暗い影を落としてしまう」。不安だけが募った。

崩れた土砂がトンネルをふさいだ、のと鉄道の線路=1月12日、石川県穴水町

 ▽JR西日本の人海戦術
 のと鉄道は、石川県や地元企業、沿線自治体が出資する第三セクターだ。1988年に国鉄が営業していた穴水町と珠洲市を結ぶ能登線を引き継いだ。1991年にはJR西日本から七尾線の一部区間の運行も移管されたが、七尾駅と穴水駅を結ぶ区間を除いて廃線になっている。

 のと鉄道には自前の工事部門がない。被害は広範囲にわたり、とても自社のスタッフだけでは手に負えない。中田社長らが困り果てていたところ、復旧への協力を申し出てくれたのが、のと鉄道の線路を保有するJR西日本だ。鉄道の災害対策を担う独立行政法人「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」の職員も現地に入り、1月中ごろには復旧に向けた打ち合わせが始まった。元日に仮の避難所になっていた車両が拠点になった。

 JR西日本は大阪、京都、兵庫などから作業員を大量に送り込んだ。特に線路の位置を直すのに苦労した。土砂崩れの被害が出た場所も大急ぎで修復した。レールの下に敷く石などの資材も不足していたが、国土交通省などの支援に助けられた。

土砂崩れが起きた線路を確認する作業員=1月10日、石川県穴水町(鉄道建設・運輸施設整備支援機構提供)

 ▽共通の目標
 復旧費用を誰がどの程度負担するかについて、JR西日本、国や地元自治体といった関係者間の協議を棚上げにして工事を進めた。中田社長は「地域の公共交通を担う事業者として、復旧することが最重要課題だった」と強調する。

 そうするうちに徐々に道路の状況が改善し、バスの代替輸送の検討もすることに。石川県内で路線バスを運行する北陸鉄道の関係者が「全面バックアップします。なんでも言ってください」と手を差し伸べてくれたことから、1月29日には代行輸送を開始した。

 のと鉄道は定期の利用者が7割を占める。特に通学定期の高校生が多い。復旧作業に関わった人は「新学期、入学式までに間に合わせる」という共通の目標に向けて突き進んだ。人海戦術と社員らの強い思いが早期の復旧を実現させた。

 2月15日に七尾駅と能登中島駅間で運転を再開した。4月6日には穴水駅まで全区間での運行が再び始まった。一部区間では速度を落として走行する必要がある。当面は1日14往復の臨時ダイヤで地震前に比べて運行本数は少ないが、夏ごろには通常ダイヤに戻そうとしている。

「のと鉄道」が全線再開し、メッセージを示す作業員ら=4月6日早朝、石川県穴水町

 ▽観光のけん引役に
 和倉温泉をはじめ沿線にある観光地の復興は途上にあるため、観光客の利用が大きく増えるかというと難しい状況ではある。ただ今後、のと鉄道の存在が能登半島の観光の「けん引役になれたら」と中田社長は意気込む。

 線路に沿って約100本の桜が植えられている穴水町の能登鹿島駅。「さくら保存会」の堂前勇次郎会長(82)は「電車が止まっていたのはさみしかったから開通はありがたい。通学に使っていた学生たちが戻ってきてほしい」と期待する。再開に合わせ、花壇には沿線住民によって色とりどりの花が植えられ、ホームには「ありがとう!頑張ります」の文字が飾られた。

ホーム沿いに植えられた約100本の桜が見頃を迎えている「のと鉄道」の能登鹿島駅=4月11日午後、石川県穴水町

 ▽涙のスピーチ
 4月6日午前5時40分から穴水駅の1番ホームで開かれた一番列車の出発式では中田社長が涙を目に浮かべながらあいさつした。その全文を紹介する。
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 みなさまおはようございます。みなさまとともに一番列車の出発を迎えられますことを心から感謝申し上げます。1月1日に突然襲ってきた地震は私たちの社会、そして生活、そして愛する鉄道に大きな被害をもたらしました。その瞬間から私たちは早期の復旧という共通の目標に向かい、一致団結して復旧作業に励んで参りました。困難という暗闇の中でも皆さまの力、勇気、そして無尽蔵の努力により、今日は未来への光がもたらされたものと確信しております。

 社員の皆さま、あなた方がいなければこの復旧は成し遂げられませんでした。被災しながらも家族を思い、地域を思い、そして鉄道への愛を決して忘れずに前に進んでくださった皆さまに心からの敬意と感謝を表します。そして工事工程の工夫により新年度、新学期に間に合いました。

 地域にとっては大変大きな意味を持つ再開です。JR西日本さま、大鉄工業さまをはじめとする工事関係者さま、ご支援いただきました地域の皆さま、自治体の皆さま、ご支援いただきました全ての方々に深く感謝を申し上げます。今日の運行再開は公共交通機関のただの運行再開にとどまりません。これは私たちの絆、強さ、そして未来への希望の象徴となるものです。

 今は臨時ダイヤでの運行となりますが、完全な復興を目指し、これからも安全を最優先に信頼される鉄道を目指して参りましょう。

 最後に、被災された皆さまにお見舞い申し上げますと共に、復興への強い願いを込め、そして支えてくださった全ての皆さまへの無尽蔵の感謝を持ってこのあいさつを結ばせていただきます。皆さまの健康と幸福を心からお祈りしております。本日はどうもありがとうございます。

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