鮮やか、元禄時代に描かれた“恋のキューピッド” 愛染明王像初公開 世界遺産 高野山・金剛三昧院

愛染明王の肉身部は強い朱色で彩色、光背周囲の雲炎には濃淡を持つ朱で描かれている ※撮影・ラジオ関西コンテンツニュース部

真言密教の聖地・高野山(和歌山県高野町)の世界文化遺産で、鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝の妻・北条政子ゆかりの金剛三昧院(こんごうさんまいいん)。

弘法大師・空海(774~835)が開創した高野山では、総本山・金剛峯寺と、管轄する奥の院御廟や壇上伽藍、徳川家霊台など5か所と、塔頭寺院(117か寺)の中で唯一選ばれた金剛三昧院の計6か所が 2004(平成16)年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界文化遺産に登録された。今年(2024年)は20年の節目に当たる。

【画像】金剛三昧院 初公開の「愛染明王尊像」

金剛三昧院は1211(建暦元)年、北条政子の発願で夫・頼朝と子の三代将軍、実朝を弔うために鎌倉幕府の御家人・安達景盛(かげもり)の勧めで創建された。

本尊・愛染明王は弓と矢を持っているのが特徴。“恋のキューピッド”の異名を持ち、様々な良縁を結ぶ仏とされている。

昨年(2023年)秋、政子の発願とされる国宝・多宝塔が造立800年を迎えたのを機に、鎌倉歴史文化交流館(神奈川県鎌倉市)で企画展「高野山 金剛三昧院~鎌倉殿を弔った寺院の軌跡~」が開かれた。
展示された金剛三昧院の古文書や初公開の仏像などから、鎌倉幕府との深い結びつきを知ることができ、好評のうちに会期を終えた。

今回、関西でもその一部を“リバイバル展示”をしようと、春(~5月19日)、夏(7月後半~8月)、秋(10月中旬~11月中旬)の三季に分けて、寺宝とともに特別公開される。

今回は、かつて金剛三昧院に伝来していた重要文書を六巻に集成した「六巻書」のうち、第一巻「金剛三昧院申状案」などが展示されている。
「金剛三昧院申状案」は、弘安4年(1281)3月に、金剛三昧院が鎌倉幕府に提出した上申文書の写しであり、金剛三昧院による荘園支配の保護を願ったものである。

その末尾には、金剛三昧院の申請を認める一文が、執権北条時宗によって書き加えられている。

これ以外にも、「六巻書」には、鎌倉幕府・室町幕府や、その有力者たちが金剛三昧院に宛てた文書が多数収められている。「六巻書」各巻は、足利尊氏や義満ら、歴代の足利将軍の花押(かおう)が冒頭に据えられているのが特色で、足利将軍が、金剛三昧院に荘園支配の権利にかかわる文書の効力に“お墨付き”を与えたことになるという。

金剛三昧院の寺領は、高野山内にある寺院の中で最も多く、金剛三昧院の寺領は、高野山内にある寺院の中で最も多く、河内国讃良(ささら)荘、筑前国粥田(かいた)荘など、諸国の荘園は15か所に達したとされる。

高野山大学の坂口太郎・准教授は、「金剛三昧院に伝来した文書は、中世の武家政権と高野山のつながりを考える上で、とても貴重な価値がある。激動の時代の中で、寺領の保全に心を砕いた寺院の苦心を知ることができる」と分析している。

このほか、寺宝の「愛染明王尊像」(絹本着色)が初公開されている。外題に元禄戌寅(1698年)の作と記され、文芸・学問・芸術の著しい発展をみた元禄時代らしく華やかで、精緻さと華麗さは江戸時代の仏画熟成期の特徴をよく示している。

凹凸をつけて、金色があらゆるところに散りばめられている尊像。中心部は強い朱色で彩色されており、粒子が細かく純度が高い絵具を使用し、鮮やかな発色で剥落しにくかったとされる。
そして「あまりにも華美で、装飾も多いため、特別な機会のもの」とされ、外気にさらされることが少なかったため、保存状態が良好だったとされる。

金剛三昧院の八尾康善さんは「特に愛染明王の衣の模様や、細やかな装飾を通して、仏画のレベルの高さを垣間見ていただきたい」と話す。

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特別拝観に合わせ、仏像を美術品として日常的に楽しむことを提案するインテリアブランド・イSム(isumu 東京・表参道)が金剛三昧院・本坊玄関でフィギュア仏像展を開催。展示即売も行う。
2022年5月に200体限定で販売、わずか4日間で完売となった「TanaCOCORO(掌)愛染明王」も並ぶ。

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