【桟原将司連載#1】阪神で8年、西武で1年…NPBでプレーできたのは本当に幸運だった

現在は大阪・北新地「とり焼き さじ」の経営者として第2の人生を歩む桟原将司さん

【桟原将司 ハナの剛腕道中(1)】かつて猛虎のブルペンを支えた剛腕V戦士は、どんな野球人生を歩んできたのか。2003年ドラフトで4巡目指名を受け、阪神入り。そのプロ入団時には昭和を代表するコメディアン・ハナ肇さんの親戚であることも公表し、大きな話題をさらったのが桟原将司氏だ。入団2年目の05年には鉄壁のリリーフ陣「JFK」の裏を担う「SHE」として第1次岡田政権でリーグ優勝に貢献。頼もしきタテジマのセットアッパーとして一時代を築き上げた右腕の半生と交遊録を振り返る。

思わず「僕でそんな連載なんてページが埋まるんですか?」と、ご依頼を受けた時には言ってしまいましたが「十分な素材です」と回答していただきました。安心してお任せしますので、よろしくお願いします!

現在、プロ野球を引退し大阪・北新地で「とり焼き さじ」を営んでおります桟原将司と申します。阪神ファンの皆さんには「ボールは速いけどコントロールが…」というふうに覚えていただいているんじゃないでしょうか(笑い)。

昨年は僕たちが在籍した05年以来のリーグ優勝、さらに日本一と阪神タイガースが大活躍してくれました。そのおかげで自分たちのことも思い出してもらえたかと思うと本当にうれしいです。

自分の野球人生で一番印象に残っているのは、社会人3年目からプロ2年目までの3年間くらいですかね。03年に社会人野球の新日鐵広畑で主力投手となり都市対抗野球などを経験し阪神からドラフト4巡目指名。そこからプロに入ってすぐに故障で別メニューからスタートしたにもかかわらず、シーズンに入ると4月から一軍の試合で使ってもらって…今となっては自己最多の44試合に登板させてもらいました。さらに2年目の05年には岡田監督の下で一軍戦力としてリーグ優勝を経験させてもらいました。

この3年間は本当に僕の人生を変えてくれた期間だと今でも思っています。あの頃の時間があったからこそ、阪神で8年間もプレーさせてもらって、最後は西武で1年間、合計9年間にわたってNPBでプレーすることができました。どこかで何かのタイミングが狂っていたら今の自分はなかったかも分かりません。そう思うと本当に幸運だったんだと思います。

あの9年間があったからこそ、その後の人生でいろんな方々とのご縁に恵まれ続けている。引退後は飲食業をさせてもらっていますが、コロナの危機も乗り越えて10年目まで営業できているのは、プロ野球選手として過ごした期間につながった方々、引退後に出会った方々に支えていただいているからこそだと思っています。

次回からは僕の幼少期の頃から高校進学、社会人、プロというふうに流れていく野球人生を振り返っていきたいと思います。プロ入り後に関しては現役時代には話せなかったようなエピソードも披露できればと思っています。ドラフト同期だった鳥谷敬さんらとの交流も話せる範囲でファンの方々にお伝えできればと思っています。ここからしばらくお付き合いよろしくお願いいたします!

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