【バンビシャス奈良】「地元で引退を迎えたことについて」「大学卒業後にバンビシャス奈良に入る選択肢はなかった!?」など 藤髙宗一郎選手インタビュー(前編)

【バンビシャス奈良】「地元で引退を迎えたことについて」「大学卒業後にバンビシャス奈良に入る選択肢はなかった!?」など 藤髙宗一郎選手インタビュー(前編)

バンビシャス奈良で4シーズン過ごした藤髙宗一郎選手が今シーズン限りで5人制バスケットボールのプロ選手キャリアを引退する決断をした。

引退試合を終えた1週間後に藤髙宗一郎選手にインタビューを行った。

前編の今回は「選手生活を振り返ってみて」。

引退の悔いはない

ーまずは5人制バスケお疲れ様でした。引退して約1週間経ちました。今どういったお気持ちですか?

藤髙選手「寂しさも少しあるんですけど、悔いは本当にないです。ブースターの皆さまの前でプレーをお見せできないのは悲しいですが、やりきった自分に対してお疲れ様でしたっていう気持ちですね。」

ー地元チーム「バンビシャス奈良」で引退を迎えられましたが、どうでしたか?

藤髙選手「自分の地元で選手生活を終えるのはすごいうれしいことですし、自分で引退を決められる選手って少ないと思います。それに引退セレモニーまで開いていただいて、本当に幸せ者だと感じています。」

ー2013年に「バンビシャス奈良」は設立されました。この翌年に藤髙選手も大学卒業したと思いますが、当時「バンビシャス奈良」に入団するお考えはなかったのですか?

藤髙選手「当時、選択肢にはちょっと入っていなくて…(笑)。僕は当時NBLに興味を持っていて、bjリーグには関心を持てていなかったんです。」

ーではその当時、バスケットボール人生を「バンビシャス奈良」で終えるとは少しも思っていなかったということですか?

藤髙選手「ゼロでしたね(笑)。自分が地元に帰ってきて、バスケをするなんて想像もしていなかったです。」

ー以前、奈良のタウン情報ぱーぷるの取材の際に「小学校の時サッカーのキーパーがやりたかった」とおっしゃっていました。あの時バスケットを選んでよかったと思いますか?

藤髙選手「よかったですね。サッカーを選んでいるとまた違った人生になっていたと思いますが、人格形成にも大きく役立ちましたし、何よりもいろんな仲間と出会えたのが僕の人生の大きな財産ですね。」

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