「身を引く意志の強さも見事」元琴風・尾車親方「任期満了待たず引退」に惜しむ声続出

5月7日、大相撲の尾車親方(元大関・琴風)が日本相撲協会に退職届を提出することが分かった。

尾車親方は、以前より「後進に道を譲るべき。老兵は消え去るのみ」という考えを持っていて、70歳の再雇用の任期満了を待たずに今回、決意するに至った模様。なお「尾車」の名跡は、本家である佐渡ケ嶽部屋に返納する。

このニュースに、ネットには

《再雇用が多く最近の株不足への思いからか70歳の任期満了を待たずして所属部屋へ返納とはなかなか出来ることではないと思います。退職をされますが、まだまだどこかで相撲に関係するご活躍をされることを願っています。》

《相撲界で昨今『筋道』と云う言葉は死語となってたんじゃないかと思ってましたが尾車親方から聞いて嬉しく思いました》

《穏やかな性格、聞き取りやすい口調、現役時代のがぶりより、歌まで出したことのある声。数多いる力士の中でも好きなりきしだった。琴風関がいたから佐渡ケ嶽部屋を応援するようになったし、ここでスパッと身を引く意思の強さも見事だと思う。》

など退職を惜しむ感想が多く書き込まれた。

尾車親方こと元大関・琴風の初土俵は、1971年の名古屋場所。「ペコちゃん」の愛称で、がぶり寄りを武器に出世し、1978年に関脇として活躍するも、同年11月場所の麒麟児戦で左膝を大けがし、幕下に転落。不屈の精神でリハビリに励み、1981年9月場所後に大関に昇進し、若嶋津、北天佑、朝潮とともに、人気と実力を備えた「4大関」として人気を誇った。1985年11月場所、28歳の若さで引退した。

「引退後は年寄・尾車を襲名し、佐渡ケ嶽部屋から独立する形で1987年3月に尾車部屋を設立。豪風、嘉風らを育てました。2012年の理事改選で日本相撲協会の理事に初当選し、巡業部長に就任しましたが、4月、巡業先で倒れて頚髄(けいずい)捻挫の重傷を負い、一時は首から下が麻痺して寝たきりの状態になりました。

その後、懸命のリハビリを経て職務に復帰し、協会ナンバー2の事業部長などを歴任。八角理事長(元横綱・北勝海)をサポートしてきました。コンプライアンス部長として、違法賭博疑惑などの問題にも取り組みました。

2022年2月7日に尾車部屋を閉鎖して以降、退職のタイミングを探っていたようで、『後悔はないです。やりきったという感じです』と親しい知人に話していたと聞きます」(芸能記者)

引退後には、再び歌手として美声を聞かせてほしいとの声もあるようだ。

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