【社説】水俣病発言遮断 被害者の思いなぜ聞かぬ

水俣病の歴史において、常に幕引きを急いできた国の姿勢を、図らずも露呈したと言えないか。

熊本県水俣市で1日に行われた水俣病の患者・被害者団体と伊藤信太郎環境相との懇談の際、予定の3分を超過したとして、被害者の発言中に環境省職員がマイクを切って制止した問題である。

打ち切られた2人のうち、松崎重光さん(82)は水俣病に認定されないまま昨年亡くなった妻悦子さんについて語るさなかだった。

今なお苦しめられている人や、亡くなった人たちの無念に、なぜじっくりと耳を傾けようとしないのか。被害者の尊厳を踏みにじる行為に、強い憤りを禁じ得ない。

昨年の懇談も同じ形式だったが、マイクを切る行為はなかったという。

伊藤氏はきのう、急きょ水俣を再訪して、発言を打ち切られた2人に直接謝罪した。当初は懇談の運営を担当した環境省幹部に、謝罪を指示したとされる。事態を軽視していたのではないか。

懇談会場で被害者から抗議を受けた伊藤氏は、マイク音声の遮断について「認識しておりません」と述べている。発言が途中で遮られたことは分かっていたはずだ。伊藤氏自身がマイクを回収する職員を制止し、発言を続けるように促すべきであった。

懇談の冒頭、伊藤氏は「水俣を訪れ、皆さまのお話を伺うことができる、重要な機会と感じている」とあいさつした。

そう言いながら発言の機会を一方的に奪うようでは、被害者に寄り添って話を聞くのはポーズに過ぎないと見られても仕方あるまい。被害者の訴えを救済に生かす気があるのかも疑わしい。

もはや水俣病を所管する環境省のトップを務める資格はないと考える。

これは伊藤氏に限った問題ではない。水俣病に対するこれまでの国の姿勢と通底している。

国は原因企業チッソによる汚染廃水垂れ流しを放置し、被害を拡大させた。救済の対象をできるだけ狭くし、多くの被害者を切り捨ててきた。それを償う責任がある。

にもかかわらず、国はいまだに被害者の救済拡大に動かないままだ。

環境省の前身である環境庁は、戦後の高度経済成長期に水俣病など四大公害病を拡大させた反省に立ち、1971年に創設された。

72年から長官を務めた三木武夫元首相が「唯一の反権力的官庁」と語ったように、かつては水俣病問題に関係する官庁の中で最も被害者に近いといわれた。

今やその面影はない。近年は被害者が切望する不知火海(八代海)沿岸の広域的な健康調査について「患者の掘り起こしにつながる」として拒否するほどである。

今回の失態を猛省し原点に立ち返らなければならない。

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