脅迫メールも送られた「トランスジェンダー本」 “書店に置かない”は「表現の自由」の侵害か?

「販売自粛」に批判的なPOPなど、書店での扱いも議論を招いた(雪 / PIXTA)

4月3日、産経新聞出版から刊行された『トランスジェンダーになりたい少女たち SNS・学校・医療が煽る流行の悲劇』(アビゲイル・シュライアー、岩波朗ら監訳)は、当初からAmazonの「本の売れ筋ランキング」で総合1位になるなど、売れ行きは好調だ。

一方で、本書には出版前から批判が寄せられていた。また、出版後にも一部の書店や書籍通販サイトでは取り扱われていない。刊行直後には、本の内容に批判的な手作りの帯文(手書きPOP)が巻かれて販売されている書店があったことがX(旧Twitter)で話題になった。

出版社や書店に脅迫が行われたとの報道がなされたことからも「表現の自由が侵害されている」と懸念する声も多い。

他方で、「どの本を取り扱うかは書店の側の自由だ」「批判的な帯を巻くこともまた、表現の自由だ」とする声もある。

当初は他社から刊行予定

当初、本書は『あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇』との訳題で1月24日に株式会社KADOKAWAから出版される予定だったが、昨年12月に刊行の中止が決定。

KADOKAWAが発表した告知には「タイトルやキャッチコピーの内容により結果的に当事者の方を傷つけることとなり、誠に申し訳ございません」と記載されていた。

その後、KADOKAWAでは社内向けの声明が出されて「議論に一石を投じるために相応の準備が必要だったが、それを怠った」「社内で内容を検証して、識者からも意見を求めるなど、編集意図を明確にしてから告知すべきだった」などと総括された、と報じられている。

出版社に送られた脅迫メールの内容

前出の脅迫メールについて産経新聞出版に問い合わせたところ、詳細な回答が得られた。

脅迫メールは3月19日に産経新聞社の情報提供窓口に送信された。「原著の内容はトランスジェンダー当事者に対する差別を扇動する」として「出版の中止」などを求めたうえで、発売した場合には抗議活動として同書を扱った書店に火を放つとする内容が記載されていた。

また、本書の中のどの記述が差別を扇動するのか、具体的な指摘はなかったという。

同様のメールが複数の書店に送られていることが判明したことから、3月29日、産経新聞社と産経新聞出版が威力業務妨害罪で警視庁に被害届を提出。

「4月3日の発売以降、お客様や従業員様の安全に配慮し、販売を一時的に見送っている書店もあります」(産経新聞出版)

書店での販売自粛は「表現の自由」を侵害している?

脅迫を受けてはいないが、「差別的」「ヘイト本」という批判を考慮して本書の販売を自主的に自粛する書店も多くあるようだ。

書店側はどのように考えているのか。以前から「ヘイト本を置かない」ことをポリシーとしている独立系書店「本屋lighthouse(ライトハウス)」(千葉県)の店主、関口竜平氏に聞いた。

──書店が本書の販売を自粛していることについて「表現の自由が侵害されている」と批判する意見があります。

関口氏:まず、私は「表現の自由」ついて「弱者が強者に対して行使することができる権利」というニュアンスを前提にして考えています。そのため、上記のような批判とは、「表現の自由」という概念の認識にズレがあるでしょう。

書店という民間企業がどのように本を売るのかについて、そもそも表現の自由の「侵害」だというような批判自体がナンセンスなものだと考えます。

また本件などに関しては「検閲」という言葉が用いられることが多いですが、検閲とは権力関係の上位にある者が下位の者に対して強権的に執行するものです。

そもそも、一部の書店が特定の本を仕入れない/返品するといった行為を選択したところで、その本の存在が社会から消されるわけではありません。

仮にすべての書店がその本を仕入れないとしても、出版社や著者による直販のルートが存在する以上、「その本を欲しいと思っている者に届けることが不可能になる」という状況は生じないのです。

ちなみに、Amazonは「すべての本を取り扱っている」というイメージを抱かれることが多いですが、実際にはAmazonも取り扱う本を選択しています。

「特定の本を仕入れない/販売しないと選択すること」が表現の自由の侵害にあたるとすれば、書店は常に誰かの表現の自由を侵害していることになってしまうのです。

しかし、今回のように差別・ヘイトが関わる本を除けば、ある本を仕入れないことについて「表現の自由の侵害だ」と主張されることはほとんどありません。

書店にも「表現の自由」がある

──「内容についてはアメリカでも賛否両論で、科学的根拠を疑う批判もある」「慎重に読むことが期待される」などの内容が記載されたPOPを巻いて販売した書店が批判されました。

関口氏:書店員が批判的なPOPをつけて本を並べることを規制する行為こそ、「表現の自由の侵害」です。

著者や出版社に表現の自由があるのと同様に、書店にもその権利があります。

また、書店員にも、ひとりの人間として「表現の自由」の権利が付与されているはずです。

そもそも、本書に限らず、既に多くの本には書店員の「意見」を反映させたPOPがつけられています。その「意見」が著者や出版社と合致しない場合もあるでしょう。

また、「書評」という媒体であれば批判的な文面で紹介することもあります。手書きPOPは書店員による店頭での書評行為だと考えれば、そのような行為の権利は保障されるべきものだと思います。

全体として、今回の手書きPOPだけがことさらに批判されるのは、非常に恣意的だと考えます。

──そもそも書店側が「売りたくない」と思っている本が店頭に並べられる、という場合はあるのでしょうか?

関口氏:出版社と書店の間のパワーバランスなど、出版業界における権力の構造についても考える必要があります。

多くの新刊書店では「配本制度」によって、書店が発注していない本も出版社または取り次ぎから納品されるようになっています。

つまり、書店は売る意思のない本であっても、店頭に並べざるを得ない状況にあるのです。

返品することは可能ですが、返品率が高くなると配本条件が厳しくなり、今度は「売りたい」と思って発注した本が入荷しなくなる可能性が高まります。書店の立地によっては、書店側が返品送料を負担することもあるため、「返品すればいい」というわけでもありません。

本書も、配本によって自動的に入荷した書店が多いでしょう。「信条的に売りたくない」または「経営判断的に売れない」と判断した本が強制的に入荷されしまう環境がある以上、その抵抗手段としての店頭に並べる際の書店側のアクションには、しかるべき自由が与えられる必要があると考えます。

「中韓ヘイト」とジェンダーに関するヘイトの違い

──『トランスジェンダーになりたい少女たち』を「ヘイト本」と批判する声もありますが、一般的には、「ヘイト本」といえば中国・韓国を対象にしたものを指します。

関口氏:たしかに、一般的には「ヘイト本=中韓ヘイト本」を指します。出版業界でも、「反差別」「反ヘイト」を掲げており中韓ヘイトやレイシズムには敏感であっても、他の種類の差別やヘイトに関する意識が足りない関係者は散見されます。

中韓ヘイト本は新刊の出版がまだ続いてはいますが、刊行は確実に下火になっています。その代わりに、ここ数年ではジェンダーをテーマにしたヘイト本の刊行点数が増えてきました。

ジェンダーに関する本は「科学的根拠」があるかのように標榜していることも多く、またジェンダーに関する差別は人種や国籍に対する差別と比べて「わかりにくい」という問題もあることから、ヘイト本であることに気がつかない場合も多いようです。

また、新刊情報をチェックしていると、関連する法律の改正など政治的な動きが活発になっているタイミングではヘイト本の刊行点数が増える傾向にあることに気づかされます。

──「わかりにくい」差別やヘイトが含まれる本について、書店としてはどのように対応すべきと考えますか?

関口氏:差別やヘイトには意図的なものだけでなく、「マイクロアグレッション」(※)と呼ばれる悪意のない無自覚なものも存在します。

※ マイクロアグレッション:意図的か否かにかかわらず、特定の属性・集団に対する偏見や差別に基づいた言動や態度を、相手に対してとること。

どれだけ反差別を意識して作られた本であっても、作者が意識していない対象に対する差別に加担する表現が含まれてしまう可能性は排除できません。

その場合、その本の中になんらかの差別に加担してしまう可能性のある表現があることを書店員が知っているのなら、そのことを明示したPOPをつけるのは、むしろ必要なことだと考えます。

このような観点からも、書店による批評的・批判的なPOPを「表現の自由の侵害だ」としてしまうことは、避けるべきでしょう。

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