だいたひかるは驚きの才能の持ち主 初舞台でテレビ出演決定 デビュー4年でR―1優勝

デビューしてすぐ売れっ子になっただいたひかる

“女芸人マニア”として知られているお笑いコンビ「馬鹿よ貴方は」の新道竜巳が、これから“馬鹿売れ”しそうな女芸人を紹介するこの連載。今回は少し趣向を変えて、デビューからわずか4年で賞レース優勝という快挙を成し遂げた、才能と運を併せ持つ女ピン芸人の軌跡を追ってみた――。

【プロフィル】
芸名‥だいたひかる
所属‥吉本興業
デビュー‥1998年
生年月日‥1975年5月25日

才能と運がこんなにも同居しているのかと思わされる芸人さんです。もともとお笑いを始めたのは、東京・池袋にあったカルチャーセンターのお笑いスクール。養成所は「値段が高い」との理由で行かなかったそうです。

ただ、お笑いスクールには2度しか行かなかった。ネタの作り方も分かっていないなか初舞台に出ると、自分の思っていることを言っているだけなのに笑ってもらえた。しかもそこに偶然来ていたテレビディレクターの目に留まり、声をかけられた。なんと活動初日の初舞台で、フジテレビ系のネタ番組「ブレイクもの!」への出演が決まったんです。

ちょうどこの番組が始まって新人を探していたところ、偶然だいたさんを見かけたそうです。もちろん実力があったからとはいえ、なんという強運! しかも「ブレイクもの!」に出ると、新人コーナーの1分ネタで5週勝ち抜き、3分ネタに勝ち上がります。

ちなみに3分ネタコーナーにはバナナマン、底ぬけAIR―LINE、Take2、バカリズム、アンタッチャブルなど人気者ばかりが出ている注目番組でした。そんな番組でだいたさんは、2週目からネタがないからぶっつけ本番で新ネタをかけていた。そしてそのまま勝ち抜くというネタ作り力は驚異です。

当時は「代田ひかる」という表記で活動していました。初舞台から今と同じようなネタの形が出来上がっていたのはすごいと思います。その直後には伝説の番組「ボキャブラ天国」(フジ系)への出演が決まり、下積みゼロで一気に有名になりました。しかし急に忙しくなって気持ちがついていかず、芸歴1年で芸人を一度辞めています。

半年後に活動を再開すると、今度は「爆笑オンエアバトル」(NHK)に出演が決まります。ただ、当時は女性芸人が少なかったため、ジャッジペーパーに「やめちまえ」と書かれたこともあったそうです。

活動を再開してしばらくたった2002年、第1回の「R―1ぐらんぷり」が開催されます。当時は関西ローカルで、関東では決勝の放送はありませんでした。当時は今と違い、決勝のネタ時間はなんと10分! 驚異のネタ時間でした。

もともとR―1のRは、落語のRという名目で始まったので、第1回の大会では、ネタは座布団に座ってやらなければなりませんでした。しかも当時は生放送ではなく、編集されたものをオンエアしていた。現在は4分ネタ、全国ネットで生放送ということを考えると、全く違う形でした。

第1回のファイナリストは中田なおき、友近、陣内智則、パペットマペット、オール阪神、浅越ゴエ、南野やじ、桂三若、笑福亭三喬、水玉れっぷう隊アキ、ケンドーコバヤシ、だいたひかるの12人。だいたさんは、最初は座って話を始めるものの、後半は立ち上がって話すなど座布団に収まらない表現で、なじみのない大阪だったにもかかわらず爆笑をとり続けて優勝しました。

当時、関東の芸人が大阪の賞レースで笑いを取り続けることはホントに難しかった。しかも女性芸人がR―1で優勝したのは、21年のゆりやんレトリィバァさんとだいたさんの2人だけ。だいたさんの実績がいかに特筆すべきものか、その事実だけでも分かるでしょう。

ただ、だいたさんは優勝した時も、親にまだお笑いをやっていることを言っていなかったそうです。その後、日本テレビ系のネタ番組「エンタの神様」が始まり、長井秀和さんと交代で出演することになります。

今までに単独ライブは1度しかやっていません。21年に2度目を開催しようとしたのですが、体調不良で延期になってしまいました。だいたさんいわく「単独ライブはあと1回しかやらない」とのことなので、次回あったら見に行くしかないですね。

☆しんどう・たつみ 1977年4月15日生まれ、千葉県出身、本名・濱島英治郎。平井“ファラオ”光と組む「馬鹿よ貴方は」として「THE MANZAI」「M―1グランプリ」で決勝進出を果たした実力派。緻密なネタ作りに定評がある一方、女芸人ナンバーワン決定戦「THE W」では、予選会場に足しげく通い、ほとんどの出場者のネタを見るほどの“女芸人マニア”。

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