オイシックスの牧野憲伸、NPB入りのために選んだ最後の道
今季からプロ野球の2軍イースタン・リーグに新規参加したオイシックスは、NPBのドラフト指名を目指す若い選手からの注目を集めた。昨年はBCリーグの信濃でプレーし、最多勝に輝いた牧野憲伸投手もそのひとりだ。岩手・富士大ではリーグ戦の登板がなく、実績はゼロ。そこからNPBを目指すため、自らの意思で“2軍球団”への移籍を選んだ理由を語ってくれた。
「怖さが違いますね。スイングとか対応力の……」。NPB球団の2軍と対戦しての印象を、牧野はこう口にする。ただ言葉とは裏腹に、ここまで6試合に投げ2勝2敗、防御率2.68。安定感のある投球で先発陣の中心となっている。
独立リーグでプレーした2年間、牧野の元には毎年、NPB球団からプロ入りの意思を確認する「調査書」が届いた。ただ、ドラフト指名は叶わない。12勝を挙げてタイトルに輝いた昨季も同じだった。オイシックスがトライアウトを行うと知ると、当時所属していた信濃に「受けに行かせてほしい」と訴えた。そこまでしてオイシックスに加わろうとしたのはなぜなのか。
「まずは、まだ野球を続けるかどうか考えました。どうしたらNPBに行けるのかと考えたときに、ファームと戦ってアピールすることが必要なのかなと。140試合あるのでその機会も多いですし。ここで結果を出せば変わってくるのかなと。年齢的にも最後のチャンスかもしれませんし」
富士大の1年後輩にあたる金村尚真投手(日本ハム)が、1軍相手に立派に通用する投球を見せたのも、闘争心に火をつけた。トライアウトには見事合格。その実力は、同じ左腕の武田勝投手コーチ(元日本ハム)が「いい投手だよ。ボールも投球もテンポも、打者に差し込んでいける」と高く評価するほどだ。
高校時代には名を馳せた選手が、大学で活躍の場を得られず埋もれ、やがて野球を離れてしまう。残念ながらよくある話だ。牧野もひょっとしたら、そうしたレールに乗っていたかもしれない。北海道・帯広にある白樺学園高ではプロのスカウトにも注目された。ただ進んだ富士大ではリーグ戦未登板に終わった。何があったのか。
マンモス野球部の中で居場所を作る難しさ「1回落ちると…」
2年生の時、肘と肩を続けて痛め、満足な投球ができなかった。オープン戦で好投し、注目されたこともある。ただ富士大の野球部には200人近い部員がおり「1回落ちると、はい上がるのが大変で……。なんとか気持ちを上げていくのに苦労しました」。大学後半の2年間は、新型コロナウイルスの感染が広がった期間でもあった。練習が制限される時期もあり、そのまま卒業の時期を迎えてしまった。
「迷いましたよ。でも野球をやめたときのことを想像したら。なんかモヤッとする。ただコロナもあって、社会人のチームは採用枠が減っていました。リーグ戦で1回も投げていない投手を、取ってくれたとしても試合で投げられない」。選択肢は独立リーグしかなかった。つてをたどり、信濃への入団にこぎつけた。
白樺学園高3年の夏、北北海道大会では甲子園出場の大本命だった。ただ腰を痛め、満足のいくパフォーマンスを見せられなかった。牧野に注目していたプロ野球のスカウトも、投げられないのでは判断のしようがなかった。もし高校最後の夏を順調に送っていたら、全く違った人生が待っていたのかもしれない。
牧野も「こんな苦しいとは思ってなかったです」と大学入学からの6年間を振り返る。「もっとスムーズにいくのかな、いや、行きたいなと思っていました。でもあそこで甲子園に行っていたら、今頃野球をやめていたかもしれないとも思うんです。今も野球を続けているのは、自分の中で終わりにできていない、納得がいっていないからと思うので」。
独立リーグ時代は、ストライクゾーンの中で勝負できるボールの強さを求めて、成績を残してきた。オイシックスでレベルの上がる相手を抑えるためには、球速が必要になると考えている。「現在の最速は146キロですが、平均球速を求めていきたい。143~4くらい出れば」と課題を口にする。
昨季までは対戦相手として見ていた橋上秀樹監督は「いい左腕ですよ。ただ昨年は後半尻すぼみだった。後半上がったほうがスカウトには評価される」とプロへの“行き方”を指南。イースタン・リーグで通用する投球を最後まで続けられれば、念願のドラフト指名が待っているはずだ。
THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori