[社説]水俣病発言遮断 被害者の声聞いてこそ

 環境行政の原点である公害問題への向き合い方が、根底から問われる事態だ。

 熊本県水俣市で1日開かれた水俣病患者・被害者団体と伊藤信太郎環境相の懇談で、団体側の発言中に環境省職員がマイクを一方的に切るという信じ難い行為があった。

 団体側の抗議や批判的な世論の高まりを受けて、伊藤環境相が8日、同市を訪れ関係者に「心からおわびしたい」と謝罪した。

 「痛いよ、痛いよと言いながら死んでいきました」と亡き妻の姿を伝える参加者の発言を、同省が設定した発言時間の3分を過ぎたことを理由に、マイクの音量を絞り、取り上げたのだ。

 長年の痛みや苦しみ、亡くなった肉親らの思いを語るには、1団体当たり3分という時間はあまりにも短い。

 当事者の発言を途中で遮断するというのは、傷ついた心をさらに痛めつける行為である。

 環境省側の言い逃れも目に余った。マイクの音量が消えたことに多くの人が気づいたが、職員は「不手際だった」と釈明した。伊藤環境相の帰りの交通機関の時間に間に合わせるためだったという。

 当の伊藤環境相は「私は全部聞き取れた」などと答え、早々に退席した。環境相の対応にも疑問が残る。

 環境行政トップとしての資質と当事者意識を疑わざるを得ない。

 患者団体が「被害者たちの言論を封殺する許されざる暴挙だ」と抗議したのは、当然だ。

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 前身の環境庁は、高度経済成長期、水俣病など四大公害病をきっかけに、1971年発足した。各省庁に分散していた公害行政を一元的に担当するのが目的だった。

 公害を防ぎ国民の健康に寄与する、弱者である被害者の側に立つことが、使命である。

 伊藤環境相は、水俣病が公式確認された5月1日に水俣市で開催される犠牲者慰霊式に出席する前の記者会見で「水俣病は環境問題の原点だ。地域の声をしっかり拝聴したい」などと述べていた。

 言葉と行動のギャップは、大きい。

 環境省は、懇談はこれまでと同じ運営方法だったと説明した。だが、そうであるなら、過去にさかのぼって運営の在り方を反省し、形式的なものではなく、政策に生かすべく、被害者の不満や訴えを聞く十分な時間を確保するよう抜本的に見直すべきだ。

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 水俣病問題は、公式確認から70年近くたっても、全面解決に至っていない。多くの人が裁判で争っている。

 国の患者認定基準が厳し過ぎることなど救済への消極姿勢が指摘されてきた。

 水俣病患者の多くが高齢化しており、この間、患者への認定を求める多くの人たちもまた、この世を去った。

 国が、かつて公害を放置したことで多くの被害者を生み出してきた歴史がある。

 被害者を切り捨てるのではなく、被害者の声に真剣に耳を傾けることが、国民の命と環境を守ることにつながることを、政府全体として肝に銘じる必要がある。

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