マリーゴールド石川奈青 心機一転、元スターダム&元アクトレスに挑む覚悟

【WEEKEND女子プロレス♯11】

(写真:新井宏)

5月20日(月)、東京・後楽園ホールで旗揚げするマリーゴールドスターダムを退団した5選手が中心となる新団体に単身乗り込んだのが、元アイスリボンの石川奈青だった。

さらに旗揚げ発表会見ではアクトレスガールズを退団した6選手が登場し、後日入団が発表された。元スターダム勢と元アクトレスガールズ勢、さらに高橋奈七永といった大ベテランに囲まれた中で、石川が考える今後のプロレスキャリアとは?

石川はもともとアイドルが大好きで、ももいろクローバーZやAKB48にあこがれた。プロレスを知ったのは、アイドルたちの活動を通じてだった。

「ももくろさんがプロレスと絡んだり、AKBさんが『豆腐プロレス』をやっているのを見て、プロレスに興味を持ちました。私、アプガも大好きで、アップアップガールズ(プロレス)のオーディションに応募したんですよ。ただ、そのときは思い出作りのためというか、(同じ)事務所に入れたらいいなくらいの気持ちだったんですけど、最終審査までいかせていただいて、となりに渡辺未詩さんがいたんです。その後、合格してプロレスラーになっていく姿を見て、プロレスってこういう感じなんだ、自分もやってみたいなと思ったんですね」

(写真提供:マリーゴールド)

当時は会社員として働いていた石川。プロレスをやってみたい気持ちこそあったが、実際にできるとは思っていなかった。が、あるときアイスリボンが一般向けのトレーニング教室を開講していると知り、プロレスサークルに加入した。

「いったいどんなもんかと思って入ったんですけど、やってみると練習がすごく楽しくてハマりました。それでもデビューできるとは思っていなかったです。が、サークル生同士でエキシビションをやることになって、その直後にリング上で『プロレスラーめざしますか?』と突然聞かれたんですね。気づいたら『なりたいです』って言ってました(笑)」

正式に練習生となった石川。しかし本格的にデビューをめざすとなると心身とも急激に負担が増えた。仕事をやめるわけにはいかず、日中はフルタイムで働き、それ以外の時間をすべて練習に費やした。しだいに頭痛に悩まされるようになり、脳脊髄液減少症と診断され19年9・14横浜文体で予定されていたデビュー戦は延期になった。回復後、翌年1月から練習を再開したものの、こんどは新型コロナウイルス禍の影響で大会じたいがなくなった。それでも急きょ無観客&配信での開催が決定し、5月4日にデビューを飾ったのである。

「試合が決まったのが2日前で驚きました。『どうする?』と聞かれて、『やります』と言ってリングに上がったんです。無観客でも多くの人が配信で見ているのかと思うとすごく緊張して。試合も練習とは全然違って、迫力、(相手の)強さがすごかったです」

(写真:新井宏)

不安定な社会情勢ながらも、さあここから!というところで、彼女に再び病魔が襲う。こんどは卵巣嚢腫が発見され、摘出手術。試合のダメージによる背中の痛みと思い病院に行ってみると、婦人科の病気であることがわかったのだ。

ふたつの病気を乗り越えレスラーとしての活動が安定してからは、網倉理奈、神姫楽ミサとのアイドルユニット、KISS meT PRINCESS(キスメットプリンセス)を結成。あこがれていたアイドルとプロレス、ふたつの夢が合体した。

「ホントに楽しかったですね。プロレスの方も自分のプロデュース興行とかけっこうやらせていただいて、すごい大変だったけど、大変すぎるのがメチャメチャ楽しかったです。こんな経験めったにできないので」

ところが昨年3月、石川は団体上層部への不信感をあらわにし、アイスリボンを退団する。物議をかもした社長批判に対しては…。

「社長本人に対してずっと言ってきたことなので、まったく後悔していません。毎日一緒にいるなかで、これはこうだということはずっと言ってきました。やめるのを決断したことにウソをついてもしょうがないと思うので正直に。伝えずにやめていたら、逆に後悔していたと思うんですね。好きとか嫌いとかではなくて、前から話していたことでもあるし、理由もきちんと述べられたので、よかったなと思います。(佐藤肇社長に)感謝はしてますから」

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(写真提供:マリーゴールド)

ではこのとき、石川自身は今後についてどう考えていたのだろうか。他団体移籍やプロレスから去る選択肢もあったのか。

「どうなんでしょう? そのときは、とにかく現状から一度離れたいという思いしかなかったです。引退? 引退というほど何かをやり遂げたわけではないですし」

結果的にフリーになった石川は、昨年5月12日にスターダムの若手ブランド「NEW BLOOD」に登場。しかし、その姿は石川奈青ではなく、“ニセ中野たむ”だった。ホンモノ中野たむとのシングルマッチに挑んだニセモノ。新たなる一歩となるはずが…。

「あの試合は悔しい思いが大きかったですね。結局、試合で何かを残さないと意味がない。自分の弱さを突き付けられました」

(写真:新井宏)

やはり、自分らしさを発揮してこそということか。その後、石川は元アイスリボンの世羅りさが主宰するプロミネンスに登場する。

「世羅さんが気概のある後輩を募集しているというのを知って、これはいくしかないと、参戦を直訴させてもらいました。世羅さんの知ってる石川とはちょっと違うぞというところを直接伝えたいなと思って」

とはいえ、世羅との再会はハードコアマッチ。石川には初体験の試合形式だ。

「(ハードコアを)やりたい気持ちはずっとあったんですよ。実際にやってみて、すっごい楽しかったです。楽しいって変な表現かもしれないけど、やりがいがありましたね、生きてるって感じがして」

「気概」が世羅に認められ、石川はプロミネンスにレギュラー参戦。とはいえ月一開催で、ほかの試合も限定されている。試合数は減ってしまったが…。

「いままでは試合をこなすことで精いっぱいで日々が流れてしまうような感じだったので、プロミネンスに上がってからは一試合一試合にきちんと向き合って大事に闘っていこうという気持ちが大きくなったと思います」

そんななかで、石川は新団体マリーゴールドへの参画を決めた。前述したように、スターダム離脱組のなかに、たった一人で乗り込む形だ。

「新団体が設立されるとの話を聞いて、自分の意志で決めました。プロミネンスの興行が不定期になるタイミングでもあったし、自分ってやっぱり団体に所属してやっていく方がいいのかなって。試合に出るだけじゃなくて興行をみんなで作り上げていく。そういう方が魅力的だし、そういうものに携わっていきたい。新団体っていう機会もめったにないと思うので、ぜひやりたいと思いました」

(写真:新井宏)

しかしながら、顔ぶれを見ると元スターダム勢で占められている。奈七永もスターダムの旗揚げメンバーで、最近もフリーとして参戦、若い選手にパッションを注入してきた。

「だからこそ怖くもあり、楽しみでもあり。対戦したことのない選手ばかりなので、違う自分も発見できたらと思います。ジュリアさんとは(19年8・16上野で)一度だけエキシビションでやってて、怖かったイメージがありますね。ただ、練習ではけっこう厳しく言ってくださって、それって優しさなんですよ。気にかけなければ放っておけばいいわけだし、細かいことまでアドバイスしてくださいました。こんどは正式なレスラーとして、ジュリアさんと試合がしたいと思います」

ジュリアを筆頭に、スターダム退団組全員と試合がしたいという石川。ところが、旗揚げ会見で元アクトレスガールズ勢が登場。後日、旗揚げ戦での青野未来vs石川奈青のシングルマッチが発表された。元スターダム勢に入るだけでも相当の覚悟が必要だが、そこに元アクトレスが加わる。単身乗り込んだ石川には早くも存在感のピンチである。

「(アクトレスの加入は)知らなくて驚きました。私は自分の意志で退団し自分の意志でここ(マリーゴールド)に来ましたけど、向こうはみんなで来てみんなで『お願いします』という感じ。そこに自分の意志はあるのかなという感じはすごいしますね。意識ですか? もちろん、意識します」

(写真提供:マリーゴールド)

ポスターでは青野が元アクトレスから抜てきされたような感じで上段に配置され、石川はほかの元アクトレス勢と並び下段へ。しかも右隅に追いやられたような形だ。意識どころか強烈なジェラシーが沸き上がってもおかしくない。旗揚げ戦で闘う青野とは20年7・25後楽園で初遭遇&初シングル、11・16後楽園でタッグを組み、雪妃真矢&桜井まい(現・桜井麻衣)組と対戦した。

さらに21年8・28後楽園ではこの2人で世羅&雪妃組のインターナショナルリボンタッグ王座に挑んだ間柄だ。が、青野は団体の方針により事実上プロレスから離れた。その間、石川には目立った実績こそないもののプロレスキャリアを積み上げてきた意地がある。青野の“プロレスラー復帰戦”に華を持たせるつもりは毛頭ない。石川にとっては、むしろここからがレスラーとしての本番と言っていいだろう。

「そうですよね。いままでよく不遇と言われたし、何もできてこなかったですけど、これからマリーゴールドの石川奈青として、プロレスラー石川奈青として輝いているところを見せていきたいと思います!」

(写真:新井宏)

インタビュアー:新井宏

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