真矢ミキ「一度出た言葉は、絶対に消えない」情報番組MCを務めながら53歳で高卒認定試験に挑戦した理由

真矢ミキ 撮影/三浦龍司、ヘアメイク:小澤久美子、スタイリスト:佐々木敦子

「タカラヅカの革命児」と呼ばれるほど様々な新風を吹き込んだ、宝塚の元トップスター・真矢ミキ。退団後は舞台から映像の世界へと活動の場を移し、映画『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』の警視監役で大ヒット。映像界でも人気俳優となった。俳優だけでなく朝の情報番組の司会や東京五輪開会式の舞台など、新しいことにチャレンジし続けてきた彼女の「THE CHANGE」とは――。【第3回/全4回】

演じる役のセリフだけでなく、素の自分が生み出す「言葉」も大切にしているという真矢ミキさん。取材中も丁寧に、時間をかけて言葉を紡いでいたのが印象的だ。

「言葉は、自分の思いをより鮮明に、詳細に人に届けるためのアイテムだと思います。本を読むなり学ぶことで、自分に合った言葉をもっと増やしたいと常に思っています。それに、一度出た言葉は、絶対に消えない。そのことは朝の生放送の仕事でも、学ばせてもらいました」

真矢さんは2015年から2019年にかけての約4年半、朝の情報番組『ビビット』(TBS系)で司会を務めた。俳優の仕事とはまた違う番組のMCという仕事を、最初は受けるか迷ったという。

「役者業をもっと頑張りたいという気持ちがあって、オファーをいただいたことが嬉しい反面、迷いました。でも、結果的にやってみて、とてもよかったんです。物を調べることが癖になりましたし、そのときに勉強したことが今に繋がっています」

多忙ななか高卒認定に挑戦した理由

番組MCを務めながら、53歳にして挑んだのが「高等学校卒業程度認定試験」。5科目を受験し、全科目で合格。翌年にはさらに3科に合格し、54歳で高卒認定を得た。

「学歴が欲しかったわけでも、特別何かを学びたかったということでもなく、大勢の方が経験してきた“普通”の学びを知りたかったんです。勉強や受験の苦しみを含め、たくさんの学びを遅まきながら味わえたことは、役者としてもすごくよかった。それを経験して生きている役柄を演じることが殆どですから。役者の仕事は、一つの経験がすごく大きな宝になると感じます」

真矢ミキ 撮影/三浦龍司

「普通が一番」ということを、幼いころから母に教えられていたという真矢さん。幼い頃には共感できなかったが、年齢と経験を重ねた今、理解できるようになったという。現場に行くときは電車やバスに乗ったり、時間があれば駅ビルでウインドウショッピングをしたり。当たり前のようにも思える、そういう日常を送っている。

「きらびやかな生活も素敵だなと思います。でも私には、人が集まる場所が光って見えます。いろんな人の思いが生まれる過程が見えるような気がして、面白いですね」

真矢さんの演技が多くの人の印象に残るのは、「日常」を大切にする実直さがにじみ出ているからかもしれない。

真矢ミキ(まや・みき)
1964年、広島県生まれ、大阪府出身。81年宝塚歌劇団に入団し、花組のトップスターとして活躍。日本武道館でのソロコンサート、篠山紀信撮影による写真集の出版など、独自のアイデアによる活動で「タカラヅカの革命児」と呼ばれた。98年退団後は、俳優として、数多くの映像やドラマに出演。2015年より4年半、朝の情報番組『ビビット』(TBS系)の司会も務めた。近著に書き下ろしエッセイ『いつも心にケセラセラ』(産業編集センター)。

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