いきものがかり 水野良樹 × 辻堂ゆめ 対談 J-POPとミステリーの共通点とは?

ミステリー作家の辻堂ゆめが新作『二人目の私が夜歩く』(中央公論新社)を4月25日に上梓した。2015年に『いなくなった私へ』(宝島社)でデビュー。2022年には『トリカゴ』(東京創元社)で第24回大藪春彦賞を受賞するなど、ミステリー作家として順調なキャリアを重ねてきた辻堂。本作『二人目の私が夜歩く』は、昼と夜で一つの身体を共有する茜と咲子の関係を軸にした作品だ。

リアルサウンド ブックでは、辻堂が「中学生の頃からの大ファン」という“いきものがかり”の水野良樹(清志まれ名義で小説家としても活動)との対談をセッティング。“音楽と小説”について語り合ってもらった。(森朋之)

■いきものがかりとの出会いはアメリカで

——辻堂さんがいきものがかりを好きになったきっかけを教えてもらえますか?

辻堂ゆめ(以下、辻堂):最初に聴いたのは、2007年に発表された「うるわしきひと」でした。当時、私は中学2年生で、父の仕事の関係でアメリカに住んでいたんです。英語も全然わからなくて、青春とは程遠い日々を過ごしていたんですが、そんな私を見かねたのか、父が「日本ではこういう音楽が流行ってるよ」とオリコンランキングを見せてくれたんです。30位までに入ってる曲をできる限りiPodに入れてくれてたんですけど、そのなかに「うるわしきひと」があって。音楽に疎かったし、アーティストの名前もほとんど知らなかったんですが、「すごくいい曲だ」と思ってずっと聴いていたんです。

その後、「青春ライン」や「ブルーバード」などいろんな曲を聴くようになって、どんどん好きになりました。いきものがかりが初めて紅白歌合戦に出て「SAKURA」を歌ったときも、NHKの視聴契約をしている友達の家で観させてもらいました。「いきものがかりが出るから、観させて」ってお願いして。

水野:ありがとうございます。「うるわしきひと」は1stアルバム『桜咲く街物語』が出る直前のシングル曲ですね。「SAKURA」は多くの方に聴いていただけたのですが、その後はヒットにつながらなかったんですよ。ライブツアーをやってもなかなかお客さんに来てもらえず、まだどうなるかわからない時期で。そんなときにアメリカで聴いてくれている人がいたなんて、まったく想像もしていなかったので、本当に嬉しいです。

——辻堂さんは、いきものがかりのどんなところに魅力を感じていたんですか?

辻堂:いきものがかりの魅力を一言で説明するのはなかなか難しいんですけど、当時は音楽に詳しいわけではなかったので、曲が始まったときの最初の印象が大事なポイントだったのかもしれないです。「うるわしきひと」は冒頭から吉岡聖恵さんの歌声がきれいに聴こえてきて、ハッとするところがありました。今でもそのパートがすごく好きですね。高2のときに日本に戻って、大学で軽音楽サークルに入ったんですけど、最初に組んだバンドでも「うるわしきひと」をコピーしました。

水野:なんとコピーまで! そのまま音楽の道に進もうとは思わなかったんですか?

辻堂:音楽は好きですが、適性はまったくないので。いきものがかりさんの曲を聴いているうちに「自分でやってみたい」と思ったこともあるし、『二人目の私が夜歩く』の主人公・茜のように作曲ソフトを使ってみたこともあるんですけど、何も作れませんでした(笑)。アコギはアメリカにいるときに買ってもらって、YouTubeとかを見ながら独学で練習していたのですけど、ぜんぜん下手くそで。水野さんは音楽と小説の両方で活躍されていて、すごいです。小説を書きたいという思いは以前からあったんですか?

水野:小説を書こうとはまったく思っていなかったです。初対面の編集者の方にいきなり「小説を書いてみませんか」と言っていただいたのがきっかけで、長い文章を書けるかどうかはわからなかったのですが、実際に書き始めてみたら「これは面白いな」と思い始めたんです。歌詞の場合は言葉を削いでいくことが多いんですが、小説はそうじゃないところがあって、そこに面白みを感じました。たとえばコップがあるとして、普通のコップとコンビニのコーヒーの紙コップではぜんぜん違うじゃないですか。歌詞だと“コップ”と書いたほうが良かったりするんだけど、小説ではもっと具体的に書ける。そして具体的に書いたからといって、表現として狭まることもないんだなとか、いろんな気づきがあったんです。歌詞と小説では読み手に与える余白の広さと方向性がぜんぜん違うような気がしているし、そこが難しいところでもあり、つながっているところでもあるのかなと思います。

辻堂:歌詞と小説は同じ言葉であっても、ぜんぜん違う表現だと思っていたので、水野さんが小説を書かれると知ったときは驚きました。作品も拝読させていただいて。最初は「水野さんが書かれた小説だ」と思って読んでいたんでが、気が付けば物語の世界に浸っていました。

水野:辻堂さんにそう仰っていただけて嬉しいです。今日はたくさん褒めてもらえる日ですね(笑)。

辻堂:最初の小説『幸せのままで、死んでくれ』(文藝春秋)はご自身の体験も反映されているのかなと思ったのですが、二作目の『おもいでがまっている』(同)は役所の福祉課で働いている女性が主人公で、ご自身から離れた設定になっています。参考文献も書かれていて、いろいろお調べになって書かれたんだなと。

——『おもいでがまっている』は、平成のはじめに建てられたマンションの一室をめぐる物語です。

水野:ネタばらしをしてしまうと、ずっと住んでいた実家のマンションを売った経験がもとになっているんです。手放すことが決まったときに親子3人で写真を撮ったんですけど、もう家具も何もないのに、いろんな思い出が蘇ってきて。記憶って場所に宿るんだなと感じながらも、「自分たちの思い出が詰まったこの部屋に、次は全然知らない人が住む」ということも面白いなと思って、そこから着想を得て『おもいでがまっている』を書きました。

■ミステリーとJ-POPの共通点

——辻堂さんの新作『二人目の私が夜歩く』は、昼と夜で一つの身体を共有する茜と咲子の関係を軸にした作品です。

水野:僕も読ませていただきましたが、すごく面白かったです。まず「どうやってこんな話を思いつくんだろう?」と驚きました。

辻堂:実はこの小説も、自分の体験がもとになっているんです。寝たきりの女性の話し相手になるボランティアをしている高2の女の子が出てきますが、私の祖母が実際にそういうボランティアをやっていたことがあって。祖母の家に遊びにいったとき、「今日はボランティアの日だから」と言われて、付いて行ったことがありました。私が行ったのはその1回だけだったんですが、後にその方は人工呼吸器の管が抜ける事故で亡くなってしまって。私はそのことを受験が終わった後で知らされて、「もう1回行こうと思っていたのに」と泣いてしまったんですが、そのエピソードもこの小説に盛り込んでいます。

水野:登場人物たちのそれぞれの視点が丁寧に描かれているのも印象的でした。ボランティアのために訪れる部屋にしても、人によって見え方が違うし、「実はこう思っていたのか」みたいなことが物語に組み込まれていて、それが新鮮な驚きに繋がっていく。辻堂さんご自身の視点だけではなく、いくつもの他者が存在してるような印象を受けます。その多面的な視点はどのように持ち得たのでしょうか?

辻堂:複数の視点から描くというテクニックは、デビューしたばかりの頃は備わっていなかったと思います。ミステリー小説でデビューしたこともあって、トリックを作るうえで登場人物の視点の違いを取り入れることがあって。書いていくなかでキャラクターを自分と切り離して考えられるようになったのかなと思います。

水野:なるほど、修練によって身につけられるものなんですね。

辻堂:場数を踏んだおかげですね。私はエンターテインメント小説全般が好きで、そのなかにミステリーというジャンルがあるという捉え方をしているんです。ミステリーを専門的に極めたような作家さんには、トリックの作り方などでは到底、敵わないところがありますが、登場人物それぞれをどのように描くのかなどによって、自分なりの色を出していきたいなと。

水野:物語の構造的な面白さだったり、それまでとまったく違う景色がバッと見えてくるような直感的な面白さもありますが、やはり登場人物一人ひとりの描写が素晴らしいですよね。それぞれに感情移入できるし、愛おしくなります。

辻堂:そう言っていただけると、すごくうれしいです。ミステリーのなかには人の死を(小説上の)イベントのように扱う作品もあり、それはそれでジャンル小説のあり方としてアリだと思いますが、私自身は小説の中で生死や人生を描くのであれば、ちゃんとその人物を描きたいと考えています。

——ストーリーの展開によって登場人物の違った表情や性格が見えてくるのも印象的でした。キャラクターの設定は最初から細かく決めているんですか?

辻堂:最初にプロットを組み立てますが、一人ひとりの細かい性格や喋り方などはその段階では決めきれなくて。書きながら少しずつ作っていくことが多いですね。

水野:僕も二作目ではプロットをしっかり作りました。一作目は当てずっぽうでスタートしたので、えらいことになったんですよ(笑)。何度も書き直したし、編集者の方が見捨てずに並走してくださったおかげで何とか書き上げることができました。なので、二作目はある程度、道筋を決めておこうと思ったんです。

辻堂:二作目の『おもいでがまっている』には謎解きの要素もあるように思いました。ジャンルとしてはミステリーではないと思いますが、勝手に親近感を覚えてしまいました。

水野:仕掛けなんて作れないので、一生懸命書いただけなのですが、そう仰っていただけて嬉しいです。核となるテーマや設定を決めて、あとは伝わりやすいように順番を入れ替えたり、キャラクター同士の関係性を見直して、修正してという感じで仕上げていきました。まだ二作しか書いていないので、小説執筆についてはわからないことも多いです。そもそも辻堂さんは、どうしてミステリーを書こうと思ったんですか?

辻堂:謎解きやトリックを使ったエンターテインメント的な驚きも好きなんですが、人間ドラマを描いた小説も好きなんですよね。その両方が入ったものを書きたいと思ったのがきっかけだったような気がします。ミステリーの様式美みたいなものにも興味があって。

水野:様式美があるということでは、J-POP的な部分もあるのかもしれないですね。Aメロ、Bメロがあって、サビが来る!っていう。

辻堂:そんなふうに考えたことなかったですけど、確かにそうかもしれないです。定番の型があるというか。

水野:小説の冒頭にインパクトのあるシーンを持ってくるのは、曲でいうと頭サビみたいなものかもしれませんね。歌は長くても5分ぐらいですけど、「ここで盛り上がりを作って、このあたりで落ち着かせて、ここでダイナミクスを付ける」みたいなことは長い文章にもあるんだなと。それも実際に書いてみて気づいたことですね。

■他者を意識しながら創作することについて

——『二人目の私が夜歩く』には在宅介護や尊厳死といったテーマも含まれているように思います。キャリアを重ねるなかで、社会的な問題を取り入れることが増えているのでは?

辻堂:デビューしたての頃は20代前半だったのもあって、青春モノが多かったんです。その後、年齢を重ねて、自分も親になり、人生の意味とか死生観などの大きなテーマについて考え始めたのかもしれないです。「絶対に社会的な問題を入れよう」と思っているわけではないですが、物語を作るからにはそれなりのテーマがあったほうがいいとは思っていて。そのときの興味の赴くままに探している感じです。『二人目の私が夜歩く』では確かに在宅介護のことも書いていますが、そこには“人から見られている自分と、自分が思っている自分の違い”というテーマも重ねています。一見すると特殊な状況に思えるかもしれませんが、実は万人に共通することも含まれているのではないかと。

——多くの人に共通するテーマを反映することで、誰もが身近に感じる物語に結び付いているんでしょうね。

水野:歌詞にも似たようなところがあると思います。他者にどう見られるかをまったく考えず、その人のなかで完結しているというか、「自分をどう表出するか」を突き詰めている歌詞もありますが、僕はそういう曲は書けないんです。『二人目の私が夜歩く』もそうですけど、辻堂さんの作品にはその意味でも近しいものを感じます。ご自身だけではなくて、常に誰かがそばにいるというか。

辻堂:うれしいです。それはまさに、私がいきものがかりの曲に感じていることでもあって。水野さんのエッセイを読ませてもらったときに、「東日本大震災の後、生死に向き合ったことで曲を作るときの意識が変わった」ということを書かれていましたよね。

水野:はい。

辻堂:それを読んで、やっぱり水野さんが作る曲には、水野さん以外の誰かが存在しているんだなと思ったんです。そういう姿勢は、小説にも共通しているんだろうなと。

——他者を意識しながら創作する姿勢は、最初から備わっていたんですか?

水野:いきものがかりというグループでデビューして、最初から「自分で書いた曲を自分以外の人(吉岡聖恵)が歌う」という状態だったことがまずは大きかったと思います。「俺の声を聴け!」みたいな感じで世に出て、そのことで称賛を受けていたとしたら、まったく違っていたかもしれません。

辻村:吉岡さんという他者がいるというところから始まったということですね。しかも水野さんと同じ男性ではないっていう。

水野:僕はいつも“間(あいだ)”にいる存在だった気がします。曲は作っているけど、歌を届けているわけではない。ライブでもお客さんは吉岡の歌を聴いていて、彼女に視線が注がれていて。僕もフロントマンとして立っているけど、ステージの最前線と、後ろで支えてくれるミュージシャンの皆さんとの間にいるような感覚なんです。そのなかで得た視線みたいなものが、自分の強みでもあるのかなと思うこともあって。たとえば物語を書くときも、読者のみなさんに想像してもらわないといけないじゃないですか。いくら自分が「こういう部屋なんです」と主張してもダメで、それを届けるためには、読んでくれる人の想像力を借りないといけない。その状態を作るうえで、“間”にいた経験がプラスになっているのかもしれません。

——それが水野さんにとって“読み手を意識する”ということなんでしょうね。辻堂さんも執筆中、読者を意識しているとは思うのですが。

辻堂:そうですね。他者との共感が生み出せなければ、読者は自分一人になってしまうので。私にすごくカリスマ性があって、大勢の人が私の思考を知りたがっている状態だったら「私だけが楽しい」という本を書いてもいいのかもしれないですが、そうではないですからね。特にデビューする前は“作家志望者の一人”だったし、自分と他者で共通しているものを探して書こうとしていたと思います。

——そこもJ-POPとの共通点かもしれないですね。聴き手、読み手に手に取ってもらうことが大前提というか。

辻堂:いきものがかりさんの楽曲はまさにそうですよね。先ほども言ったように中学生のときから聴かせてもらっているんですが、落ち込んでるときや気分が晴れやかではないときほど、いきものがかりさんの曲を聴きたくなるんです。嫌なことがあったとき、へこんでるときほど沁みるというか。「どうしてなのかな?」と不思議に思っていたんですが、水野さんが他者を意識して、共感できるような曲を書いてくださっていたからなんだなと。今日お話しして、答え合わせができました。

水野:以前から「聴くと元気が出ます」と言ってもらえることがあって、自分でも「どうしてなんだろう?」と不思議で。最近、そのことについて真面目に考えてみようと思ったんですよね。吉岡の声なのか、自分たちで気づけていない理由があるのか。辻堂さんのお話もそうですが、リスナーの方に教わることも多いですね。

辻堂:少し話が横道に逸れますが、デビュー二作目『コーイチは、高く飛んだ』(宝島社)は人の死を扱った重めの作品だったんです。当時は会社員だったので、仕事から帰ってきて小説を書くという生活をしていて。モードを切り替えるために「LIFE」(いきものがかり)を聴いていたんですよ。あの曲の力を借りて、自分が書こうとしている小説の世界に入っていくという。

水野:そうなんですね! モードの切り替えはけっこう大変だったんですか?

辻堂:まだデビューしたばかりというのもあって、なかなか難しかったですね。今は自分が書いた原稿を読むことで世界に入れるようになってきたんですが、最初の頃はそれもおぼつかなくて。「LIFE」を聴いて、「私が書きたいのはこういう世界だ」「こういう雰囲気の文章を書こう」と思ってました。

水野:めちゃくちゃ光栄です。「LIFE」というのがまた……。

辻堂:「生きる」「涙がきえるなら」も好きです。好きな曲はいくらでも挙げられます(笑)。

——本当に音楽がお好きなんですね。『二人目の私が夜歩く』にも登場人物たちが曲を作るという場面もあって。

水野:歌詞を書くことには興味ないですか?

辻堂:同じ文章なので興味はありますが、歌詞が書けると思ったことはないです。

水野:みなさん、最初はそうおっしゃるんですよ(笑)。「HIROBA」というプロジェクトでいろいろなジャンルのアーティストの方と作品を作らせてもらっているんですが、作り方も繋がり方もぜんぜん違うんです。詞が先のこともあれば、最初から一緒に作っていく場合もあって。機会があればぜひお願いします!

辻堂:ありがとうございます! もし水野さんとお仕事ができたら、それほど光栄なことはないです。

(森朋之)

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