「自分の真横を通り過ぎたシュートのほうが…」JFAの宮本恒靖会長が02年トルコ戦よりも思い出す試合。そしてW杯単独開催への想いとは?

2024年3月24日付で日本サッカー協会(以下、JFA)の第15代会長になった宮本恒靖氏。今後、日本のサッカー人気を盛り上げるうえで自国開催は間違いなく大きな鍵で、JFAには「2050年までにワールドカップを開催して優勝するという壮大な目標がある」が、その実現に向けて宮本会長はどのような想いを秘めているのか。

「2034年にサウジアラビアでの開催が有力視されていて、日本は中・長期的なスタンスで考えないといけません。8万人収容の決勝のスタジアムなどハード面でクリアしないといけない問題があります。それをやるための布石を打っていく。

ひとつは日本代表が強くなければいけません。そのためには有能な人材を育てる必要がありますし、現実的にワールドカップを開催できそうなところからの逆算で考えていくべきです。『8万人収容のスタジアムなんて無理ですよ』という思考ではいつまでたっても前に進めません」

宮本会長は現役時代、2002年の日韓ワールドカップを戦っている。あの異様な盛り上がり、雰囲気をどう感じていたのか。

「ちょっと異次元の世界でしたね。僕たち選手は静かなホテルで生活をしていましたが、試合で外に出るとたくさんのファンの方々が沿道や新幹線の駅にいました。渋谷のスクランブル交差点に人々が溢れていたり、道頓堀川に飛び込む人がいたりして。そうした風景を自分たちは一歩引いたところから見ている感じでしたが、大会を終えるといろんな方から声をかけられましたし、世界がガラッと変わりました」

日韓ワールドカップの決勝トーナメント1回戦でトルコに0-1と敗れてから、日本にとって同大会でのベスト8以上が現実的な目標となった。そのトルコ戦を「思い出す」という宮本会長が「それ以上に思い出すのが2006年のオーストラリア戦」だった。

2006年のドイツ・ワールドカップ、オーストラリアとのグループリーグ初戦で日本は中村俊輔選手のゴールで先制しながらも後半の3失点で痛恨の逆転負け。ティム・ケイヒル選手に2ゴール、ジョン・アロイージ選手に1ゴールを奪われてしまった。その試合を振り返り、宮本会長は「自分の真横を通り過ぎたケイヒルのシュートのほうが思い出します」と話してくれたのだ。

そうした背景も踏まえ、宮本会長は日本代表の未来をどう考えているのか。宮本会長は自身がJFAに入った2022年4月当時、「スターがいない」と思っていたという。

「その後、カタールで『三笘の1ミリ』が生まれて、三苫(薫)選手の知名度は上がりました。正真正銘のスター選手の存在がプロスポーツには必要です」

確かに、スターがいればサッカーへの関心度が上がり、ワールドカップ自国開催への気運も高まるかもしれない。

取材・文●白鳥和洋(サッカーダイジェストTV編集長)

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