ボブ・マーリーの伝記映画「ONE LOVE」36歳の若さで亡くなった伝説的レゲエシンガー  5月11日は伝説的なレゲエシンガー、ボブ・マーリーの命日です

5月11日はレゲエのレジェンド、ボブ・マーリーの命日

レゲエのレジェンド、ボブ・マーリーの存在を、その生前に認識していた人はリマインダー世代では多くはないだろう。マーリーが36歳の若さで亡くなったのは、1981年5月11日のこと。筆者はそれから2年後、UKチャートに「バッファロー・ソルジャー」がランクインしたことで意識するようになった。翌1984年には「ワン・ラヴ」がUKチャートで5位まで上昇。

そして40年後、この曲をタイトルにした伝記映画『ボブ・マーリー:ONE LOVE』が日本公開される。アメリカでは今年の2月に公開され、3週連続のナンバーワンヒットを記録。世界興行収入は5月5日の時点で1億7千万ドルを越える大ヒットとなっており、日本での展開も気になるところ。ここでは注目の本作について語っていこうと思う。

映画「ボブ・マーリー:ONE LOVE」、伝記ドラマならではの面白さ

『ボブ・マーリー:ONE LOVE』で描かれるのは、主に1976年から78年までの2年間。当時のマーリーの祖国ジャマイカは2大政党の対立が暴力的なほど深刻化していた。そんな殺伐とした世に笑顔を届けようと、アーティストとして成功していたマーリーは自身のバンド、ザ・ウェイラーズとともに無料コンサートを企画。ところが、リハーサル中に銃撃を受け、怪我を負う。マーリーの多くの楽曲が、このような環境下で作られていたことを知れば、歌詞の響き方も違ってくるのではないだろうか。

ともかく、なんとかコンサートをやり遂げたマーリーは命を狙われているとの話もあり、逃げるようにロンドンに渡る。1977年、この地で彼はウェイラーズとともに代表作となる『エクソダス』をレコーディング。このアルバムの大ヒットにより、彼の人気は世界的に高まり、同時に行なわれたヨーロッパツアーも大成功。しかし、ウェイラーズでコーラスを務める妻リタは成功に酔うマーリーの不確かな足元を危惧していた。彼女は言う―― “汚水で泳げば汚染される” 。

しかし良い時は長くは続かない。ガンと宣告され、自信を失っていくマーリー。そんな彼を励ましたのもリタだった。“あなたにはなすべき仕事がある” ―― かくして、1978年、マーリーはジャマイカに帰国し、平和のためのコンサートの開催を決意。このコンサートが映画のクライマックスとなる。

ざっとストーリーを追ったが、本作には伝記ドラマならではの面白さがある。ラスタファリの教えを守り、愛を信じ、音楽で祖国の危機を救おうとする理想を持つ。そんなマーリーの高潔さはもちろん、ビジネスに疎く騙されやすかったり、女性にはだらしなかったりなどの人間的な弱さも垣間見える。回想シーンの中で彼が時折目にする、炎から逃げる少年と彼を救う馬上の男のイメージの意味を探って観るのも一興。個人的には、パンク隆盛期のロンドンのライブハウスの外が暴動のようになっているのを目にしたマーリーの “ジャマイカを思い出す” という言葉が印象に残った。

もちろん、マーリーの名曲はふんだんに使われており、しばし劇的な効果を上げている。銃撃前のリハーサルで演奏されていた「アイ・ショット・ザ・シェリフ」、撃たれて入院した妻に付き添うボブの姿に重なる「ノー・ウーマン、ノー・クライ」、ジャマイカに帰国して庭で弾き語る「リデンプション・ソング」。さまざまなアーティストにカバーされている曲なので、リマインダー世代も一度は耳にしたことがあるはず。

マーリーが世を去ってから40年以上経つが、今も争いは世界からなくならない。というか、ニュースを観る度に悪化しているようにも映る。『ボブ・マーリー:ONE LOVE』は、そんな時代に生まれるべくして生まれた。必見!

カタリベ: ソウママナブ

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