94歳クリント・イーストウッドは“ハリウッドの歴史”そのもの!新作公開も控えるレジェンドの軌跡を何度でも振り返る

『ダーティハリー4』© Warner Bros. Entertainment Inc.

94歳にして新作公開を控えるハリウッドのレジェンド!

人生100年時代といわれる昨今だが、健康でいて、質の高い仕事をバリバリこなす“現役”でいられる期間がいつまでなのかは、“定年”という考え方でとらえられてきた。筆者が映画会社にいた頃だと定年は55歳で、その後、平均余命の伸長と共に60歳となり、今は定年後の再雇用で70歳まで働くことも珍しくなくなってきている。――だが、どんな仕事の領域であれ、90歳を過ぎてなおバリバリの現役として仕事し続けるというのは、普通ではちょっと考えられない。

その考えられないことを飄々とこなし続けているのがハリウッドのレジェンド、クリント・イーストウッド。今年の5月31日には94歳になる彼だが、既に監督としての最新作『Juror No. 2』(2024年公開予定)は1年前に製作開始が発表され、AI技術を巡る全米映画俳優組合のストライキの影響で撮影開始が遅れたものの、年内公開に照準を合わせて着々と進行していると報じられている。

実は“遅咲きの花”だったイーストウッド

そのイーストウッドだが、ハリウッドのトップスターの地位を獲得したのは、実は40歳を過ぎてから、という遅咲きの花だった。

お茶の間の人気者となったTVシリーズ『ローハイド』(1959~1966年)の若き副隊長ロディ役はティーンエイジャーという設定だったが、演じるイーストウッドは第1シーズン時点で既に28歳だった。

その後、イタリアのセルジオ・レオーネ監督に招かれて『荒野の用心棒』(1964年)、『夕陽のガンマン』(1965年)、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(1966年)のマカロニ・ウェスタン三部作で映画でも主演スターになるものの、当時はTVスターやイタリアでの主演スターなどはハリウッドでは1ランク下とみなされていたし、『荒野の用心棒』が黒澤明の『用心棒』(1961年)の無断盗用として東宝が裁判を起こした関係で、三部作がアメリカで公開されたのは1967年、既にイーストウッドが36歳になってからだった。

マカロニ三部作の収益を基にアメリカで念願の自身のプロダクション=マルパソ・カンパニー(後のマルパソ・プロダクション)を設立、『奴らを高く吊るせ!』(1968年)を製作・主演したのを皮切りに、『荒鷲の要塞』(1968年)、『戦略大作戦』(1970年)といった大作への出演でトップスターの仲間入りしたものの、本当の意味でナンバー1スターとなったのは『ダーティハリー』(1971年)によってだったことは、当時の「LIFE」誌が彼を特集した時の表紙のキャッチ・コピー「The World’s favorite movie star is–no kidding—Clint Eastwood(世界で一番の人気スターは――冗談ではなく――クリスト・イーストウッドだ)」でよくわかる。

『ダーティハリー』&『ダーティファイター』シリーズ

大ヒットした『ダーティハリー』はシリーズ化され、『ダーティハリー2』(1973年)、『ダーティハリー3』(1976年)、『ダーティハリー4』(1983年)、『ダーティハリー5』(1988年)が製作されたが、すべてマルパソ・プロが製作。ほかにも『ダーティファイター』(1978年)、『ダーティファイター/燃えよ鉄拳』(1980年)のようなライトコメディを次々と製作し、マルパソ・プロはアメリカ人が最も好むタイプの映画(必ずしも大作ではない)を放ち続ける映画製作プロダクションとし安定して人気を博し続けてきた。

『ダーティハリー』の場合、連続殺人犯アンディ・ロビンソンが犯人にも人権があると訴え、警察の暴力を主張して裏でほくそ笑んでいるのはある意味1970年代初頭の時代相だが、あくまでも法の範囲内でとはいえ、情け容赦なく44マグナムをぶっ放して悪を成敗するハリーの姿に観客は留飲を下げる。

当初『ダーティハリー』の主役には『トニー・ローム/殺しの追跡』(1967年)とその続編『セメントの女』(1968年)の私立探偵役、『刑事(デカ)』(1968年)の刑事役などが続いていたフランク・シナトラが想定されていたが話がまとまらず、次に西部劇の王者ジョン・ウェインが打診されたものの、西部劇以外への出演に二の足を踏んだウェインが断ったため、イーストウッドにお鉢が回ってきたと言われている。

だが、『ダーティハリー』が大ヒットすると共に当時のハリウッドのメインストリームの映画の潮流を決定づけたことから逃した魚の大きさに気が付いたウェインは、直後、自ら『マックQ』(1974年)、『ブラニガン』(1975年)という二本の刑事物に主演し、遺作となった西部劇『ラスト・シューティスト』(1976年)では『ダーティハリー』のドン・シーゲル監督を起用したのは有名な話。

久々のマルパソ・プロ以外の作品への主演で起きた大珍事とは?

製作第一作『奴らを高く吊るせ!』以来、俳優として他社作品に出演した『荒鷲の要塞』、『戦略大作戦』、そしてオムニバスTVドラマの1話を監督した『世にも不思議なアメージング・ストーリー』(1986年ほか)を除いて、すべての出演作品、出演・監督作品を自らのマルパソ・プロで製作してきたイーストウッドだが、1993年に、劇映画としては『戦略大作戦』以来23年振りに『ザ・シークレット・サービス』でマルパソ・プロ製作ではない他社作品に出演した。

マルパソ・プロはバーバンクのワーナー撮影所の中に事務所があり(会社としての登記の住所かどうかは判らないが、以前ワーナー撮影所に取材に行った際にマルパソ・プロの事務所があるのは確認した)、同社の製作作品は基本的にワーナー・ブラザース配給となっていた。だが、一俳優としてイーストウッドが出演した『ザ・シークレット・サービス』はロブ・ライナー監督のキャッスル・ロック・エンターテインメント製作、コロンビア映画配給で、日本ではコロンビア映画の親会社の日本支社であるソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントが配給した。

同作品のマスコミ向けプレスシートが印刷・配布された時、当時すでにフリーの映画ジャーナリストになっていた筆者は目が点になった! その表紙には、“Name above the Title”として、主演俳優であるイーストウッドの名前が映画のタイトルよりも大きく載っていたものの、なぜか「クリント・イースト・ウッド」と中黒が一つ多くなっていたのだ。

いつものワーナーならありえないミスだが、おそらくはデザイナーも、ソニーの宣伝部も、普段イーストウッド作品を扱ってはいなかったからか、あるいはあまりに大きく堂々と印刷され過ぎていて却って気が付かなかったからか、ともかくも大珍事ということになり、急遽、別のプレスシートが作成されたと記憶している。

42本目の監督作品はイーストウッドの引退作となってしまうのか?

イーストウッドは俳優として、『ダーティハリー』シリーズに代表されるアクション映画のみならず、『ダーティファイター』シリーズのようなライトコメディ、そして老齢になってからは人生の悲哀を感じさせるようなドラマ、と様々な役柄を演じてきた。

だが、監督としても『恐怖のメロディ』(1971年)以来、今日まで41本の作品(『世にも不思議なアメージング・ストーリー』を含む)を発表してきて、『許されざる者』(1992年)、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004年)でアカデミー賞作品賞・監督賞のダブル受賞も二度果たしている、ハリウッドのレジェンドであることを知らない者はいないだろう。

噂では最新の監督作(第42作)『Juror No. 2』が引退作品となると囁かれているが、ぜひとも記録を更新し、100歳まで現役で作品を発表してほしいと願っているのは筆者だけではあるまい。

文:谷川建司

『ダーティハリー』シリーズ4作、『ザ・シークレット・サービス』、『ダーティファイター』シリーズ2作、『荒鷲の要塞』、『戦略大作戦【吹替完全版】ムービープラスオリジナル』はCS映画専門チャンネル ムービープラス「特集:24時間 クリント・イーストウッド誕生祭」で2024年5月放送

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