中村ゆりは人気キャラ“おまさ”をどう演じた? 『鬼平犯科帳』で感じた時代劇の醍醐味

池波正太郎の時代小説『鬼平犯科帳』は過去、何作も映像化されてきた。令和の今、松本幸四郎が五代目・長谷川平蔵となり大活躍。時代劇専門チャンネルのテレビスペシャル『鬼平犯科帳 本所・桜屋敷』はチャンネルはじまって以来の最高視聴率そして最大級の加入者数を獲得することとなった。

『鬼平犯科帳 本所・桜屋敷』にも少しだけ登場し、鬼平ファンを沸かせた密偵のおまさが、劇場版『鬼平犯科帳 血闘』で本格的に登場。おまさと長谷川平蔵(銕三郎)の過去の話から、おまさが平蔵の密偵になるまでが、スリリングかつエモーショナルに描かれる。このたび、『鬼平』シリーズで人気キャラクターのおまさに抜擢された中村ゆりに意気込みを聞いた。

●新たな“おまさ”を作り上げるために

――『鬼平犯科帳』の過去作品はご存じでしたか?

中村ゆり(以下、中村):出演が決まる前から「『鬼平犯科帳』」という作品は知っていましたが、正直言いますと、意識して観たことはなかったんです。世代的に観ないで育ってきてしまったので、今回、あらためて一から観て勉強しました。基本的には、映像を拝見しましたが、池波正太郎さんの原作も取り寄せて読みました。

――どんなふうに役を捉えましたか?

中村:1969年の第一シリーズから歴代、おまさを素晴らしい役者さんたちが演じてこられて(冨士眞奈美、野際陽子、真木洋子、梶芽衣子)、それぞれの役者さんの演じるおまさに根強いファンの方がいまだにたくさんいらっしゃいます。その役を引き継ぐことには最初、大変なプレッシャーを感じました。おまさはあまり感情的ではないうえ、役割的にも、密偵という闇に潜む側の人間なので、ミステリアスな感じもあります。梶芽衣子さんのおまさのように、独特の雰囲気を出すのが難しくて……。だからと言って、過去のみなさんの演技を真似したりなぞったりしても仕方ないですし、令和になってせっかく新しい『鬼平犯科帳』を製作しているのですから、自分なりの解釈でやろうと思い直しました。山下監督も「新しいおまさを考えていいです」と言ってくださいました。そこで何を大事にしたかというと、おまさの心情です。時代劇は、時代劇らしい様式を、型として見せることも必要ですが、やっぱりおまさの内面を深く掘って、繊細に作っていくことが一番大事だなと思い、おまさのこれまで生きてきた背景と、そこからどういうふうに人間形成されていったか考えながら役を組み立てていきました。

――時代劇の型って確かにありますね。

中村:たとえば、かんざしを構えてバシッとポーズを決めるようなところがカッコよく見えるはずが、私がやると、ハマらず、ともすれば面白いものになってしまう場合もありそうで……。令和版だからと言って、内面重視で現代劇のようなナチュラルな芝居をやればいいものでもないですし、ポーズをいかにカッコよく見せるか、テクニカルな面も必要でした。また、セリフも独特で難しかったです。「往生際が悪いね」というようなセリフは、日常で使ったことがないものですから、正解に迷い、声のトーンなども意識的に張るようにするなど試行錯誤の日々でした。

――おまさの気持ちはどこを大事にしましたか?

中村:型と心情のバランスを考えました。例えば、おまさが感情的になるとしたら、どういう瞬間なのかと考えると、自分と同じような虐げられた境遇の女性たちの姿を見たときかなと。おまさがかつてやっていた引き込み(盗賊の協力者)の仕事をしている、おりん(志田未来)という女性は、男性たちからはまるで物のように扱われているんです。その姿を見たら、自分の過去も蘇り、感情が否が応でも動くだろうと、そこにおまさの人間らしさが出るのではないかと考えました。

――おまさの少女時代は中島瑠菜さんが演じています。

中村:私がおまさを演じるにあたって最も大事にしたのは、まさにそのおまさの過去です。私は演じていませんが、中島さんの撮影もできるだけ見せてもらうようにしました。見ていて、おまさの過去に入り込んで見入ってしまいました。幼い時から銕三郎(長谷川平蔵の幼名/市川染五郎)と一緒に過ごした過去が大人になった時と、ちゃんと結びついていくことを、大森寿美男さんが台本できっちり描いてくださっているので、おまさという人物の流れがお客様にもとてもわかりやすくなっています。銕三郎(平蔵)と20年以上も会っていなかった時間を埋めることができると思います。

――平蔵との関係性が独特です。恋愛感情があるのかなと思いきや、20年以上経った時には平蔵には妻・久栄(仙道敦子)がいて。おまさとしては複雑な気持ちではないのでしょうか?

中村:少なからず恋心はずっとあったと思うんです。ただ、この時代、おまさにとって銕三郎は、恋仲になりたいと想像もするのもおこがましいくらいの身分差なんですよ。それだけの身分差があるにもかかわらず、銕三郎はおまさを“人”として認めてくれて、底辺に生きる彼女が決して味わうことのできなかった人間の尊厳や美学のようなものを教えてくれた。それだけで十分で、高望みはせず、強い忠誠心で銕三郎のお力になりたいと思うようになったのだと思います。奥方様は、おまさの心情を薄々察している。その奥方様の振る舞いも見どころだと思います。

――平蔵と再会する時、部屋に上がれと言われても遠慮するのは、身分を弁えている表れなのでしょうか?

中村:あれは台本に「上がらない」と書いてあったわけではないのですが、監督や所作指導の方と相談して、上がれないよねという結論に達しました。これも強い忠誠心の表れだと思います。身分差というものも、おまさの演技にはヒントになりました。

●京都の撮影所だからこそ引き出されたもの

――松本幸四郎さんとの共演はいかがでしたか?

中村:歴史ある長谷川平蔵という役を引き継ぐことに、とてもプレッシャーがあったと想像します。でも現場では緊張感を漂わせることは全くなく、私たち後輩俳優がリラックスできる雰囲気を作ってくださっていました。一方で、制作発表の挨拶を聞いても、映画のクランクアップの挨拶でも、作品と役に対する熱い思いに溢れていて、内側に燃えるものがある方なのだと感じました。それだけ熱い思いをお持ちにもかかわらず、お芝居では、ご自身のやりたいことを主張するのではなく、こちらがやることを全て受け入れてくださって。威圧感ある座長ではなく、包容力ある座長でいてくださって、とてもやりやすかったです。

――クライマックスのシーンはいかがでしたか?

中村:おまさにとって重要なシーンでした。撮っている時は、演技が本当に馴染んでいるのかどうかずっと不安があって、我ながら下手だなとか思いながら(笑)やっていましたが、出来上がったものを見たら、苦悩して正解だったと感じました。例えば、現代劇で、自分にすごくフィットする役をやると、自然と行動がついてくるようなことが希にあるんです。そういう時、役を生きている実感を得られるのですが、時代劇だと、あまりにもかけ離れていて、その域にまでなかなかいけなくて。先ほどもお話ししたように、時代劇の型を見せていくことを意識すると、感情がフィットするところまで持っていけない気がして不安でした。でも、型を一つ一つちゃんと作っていくことで見えてきたものもありました。とても学びの多い現場でした。

――京都の撮影所ではでどれくらいの期間、撮影しましたか?

中村:映画とドラマを並行して撮っていたので、期間的にはかなりの日数でした。行きっぱなしではなく、2カ月間くらい、京都と東京を行ったり来たりしていました。京都の撮影所には独特の空気感があリますね。スタッフの皆さんが、職人さん気質で、時に厳しい目で見られることもあるので緊張もしますが、それがありがたいですし、ある程度、思い切って懐に飛び込んでしまえば、衣裳さんも床山(結髪)さんもしっかりサポートしてくださる信頼感があります。髪をすごく繊細に結ってくださって、産毛ひとつひとつの流れも、ものすごく丁寧にやっていただき、感激しました。

――最後に映画をご覧になる方にメッセージをお願いします。

中村:劇場版『鬼平犯科帳 血闘』には時代劇らしいカッコよさがあります。アクションシーンの迫力も楽しんでいただきつつ、平蔵とおまさの過去も深く描いていますので、2人の原点のような物語もぜひお楽しみください。

(文=木俣冬)

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