濱口竜介監督が問う自然との共生「環境問題に関心があるのか?と聞かれるが、これは身近な暮らしの問題」

濱口竜介監督

映画『ドライブ・マイ・カー』(2021年)で世界を席巻した濱口竜介監督の最新作『悪は存在しない』が公開中だ。

本作はベネチア国際映画祭銀獅子賞(審査員グランプリ)を受賞し、濱口監督はこれでカンヌ、ベルリン、ベネチアの世界3大国際映画祭すべてで賞を受賞するという快挙を成し遂げた

『悪は存在しない』は、『ドライブ・マイ・カー』の音楽を担当した石橋英子さんが濱口監督にライブパフォーマンス用の映像作品を依頼したことから生まれた作品だ。

紆余曲折を経て長編映画も製作することとなり、長野・山梨で映画の題材をリサーチする中で行きついたのが、グランピング場建設計画のずさんな顛末だった。そこから濱口監督は、自然と人の共生関係についての「バランス」のあり方を見出そうとする。

いま世界が注目する濱口監督は何を思い、本作の制作に臨んだのか、話を聞いた。

地方と都会の対立の話ではない

『悪は存在しない』

本作は自然豊かな長野県の架空の町、水挽町を舞台にしている。主人公の巧は娘の花と2人暮らしで、薪を割り自然の水を汲んで暮らす生活をしている。

ある日、東京の芸能事務所がコロナ禍の補助金を目的にこの町にグランピング場を作る計画を立て、説明会を開催するが、ずさんな計画に町民の動揺が広がる。映画は、町に住む巧たちと、東京からやってきた高橋らの視点を交錯させながら進んでいく。

濱口監督がこの物語を思いついたのは、石橋さんの音楽スタジオがある山梨をリサーチする中で、実際にグランピング場の建設計画があったことを耳にしたのがきっかけだ。

「石橋さんが利用されている音楽スタジオの周辺に彼女の音楽と調和する物があるんじゃないかと思ってリサーチを始めました。

色々と自然のモチーフは揃っていくものの、どういう映画になるのか見えてこない中、地元の方に、映画に出てきたのと同じようなグランピング場の説明会のお話を聞いたんです。都会の企業が本業ではないグランピング場の計画を持ってきて、それが土地の実態をほとんど考慮していなかった。住民たちは批判するというよりも疑問を呈していたんですが、説明はどんどん崩壊していったそうで、結局その人たちは来なくなってしまったと。

それを聞いて、これはいち町村の出来事だけども、人と自然の関わりの物語として普遍性の高いものだと感じました」

『悪は存在しない』

濱口監督は、最も身近な自然は、自身の身体そのものだという。例えば、映画産業の過重労働問題も人間の身体を自然と考えると、なぜそれが問題なのかが分かりやすい。

「人間の身体こそ、一番身近な自然だと思うんです。

その自然の回復能力を考えないようなスケジューリング、例えば『これはいつ寝るんですか?』というような進行って映画業界でもよくあるわけですよね。自分の現場ではそうならないように心がけていますが、これまでの慣習どおりにやっていたら難しいことだと思います。

なぜこのようなことが起こるのかというと、その『慣習』、つまりは自分たちの頭にある現実というもののイメージが、実際の現実とそぐわない時に生まれる歪みが原因です。映画業界だけでなく、企業などでもそうした経験をしている人はいるでしょう。

ただ、実際は自然の回復能力に依存している以上、その限界をはみ出ると人間の活動は破綻するようになっています」

そうした「歪み」が顕在化したのがグランピング場の建設プランだ。

映画に登場するグランピング場の建設計画を地元住民に説明するタウンミーティングのシーンは、本作で最もエキサイティングな場面だろう。通り一遍のプレゼン資料の提示に始まり、地元住民から容赦ない質問の嵐が浴びせられ、東京からやってきた高橋らは上手く答えることができない。

地方の実情に無理解で利益優先の都会の企業と、自然環境を守りたい地元の対立が発生しているように見えるが、濱口監督はそう単純な話でもないという。

「グランピング場の計画自体が反対されていたわけではなく、住民たちも地域のためになることならば協力しますというスタンスだったようなんです。よくある都会と地方の対立みたいなものよりはずっと融和的なものとして始まっていたようで、そもそも都会からの移住者も割と多い地域なんです」

本作に描かれるのは、地方と都会の対立ではなく、ある種の都会的要素が自然豊かな暮らしに混じり合った状態で生きる人々の生活だ。映画には数年前に都会からこの地域に移住してきた女性が登場し、綺麗な水を活かして地元の人に愛されるうどん屋を営んでいる様子も描かれる。

環境問題は暮らしの問題

『悪は存在しない』

本作のタイトル『悪は存在しない』というのは、人間を指している言葉ではない。

「自分も都市から来ている人間なので、長野の自然に触れているとすごくいいなと思えるんですけど、例えばとても寒いから2時間も外にいたら大変なことになる。自然にはそういう攻撃性があります。

しかし、それは悪意から来ているわけではない。このタイトルはそもそもは、ある種の『自然』というものの言い換えとして発想しました。ただ、その言葉が実際の映画の内容とどう響き合うかは、見た方それぞれに感じ取っていただけたらと思っています」

その言葉通り、本作は自然を見つめる作品だが、人間だけが一方的に自然を破壊しているのだという立場には立っていない。濱口監督は環境破壊に警鐘を鳴らすというより、身近な生活の問題として描いたようだ。

「こうした作品を作ったことで、『環境問題にご関心がおありですか』と聞かれることは多いのですが、映画を作ってわかったのは、これは身近な暮らしの問題だということですね。

環境問題と言われると、自分が中心にいてその周縁にある、自分とはちょっと距離のある問題と捉えられがちなんですけど、自分の身体だって自然のものだし、それについて考えることは大袈裟なことじゃない。一人ひとりの話、自分の問題として普通に考えるべきこととして捉えています。だって、ここ数十年ほど気候をはじめどう考えても危うい変化をしていますよね。

我々の生活における行動の一つひとつが、自然を破壊しているのは間違いないことです。都市部に暮らしているとそれが見えないだけで」

インタビュー・後編(5月13日公開予定)へ続く

(取材・文:杉本穂高 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)

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