史上最高のプレーヤー 大谷翔平が少年時代に覚悟を決めた敗戦と"イメージを言語化"する教えを証言でひもとく

今や現役にとどまらず球史においても最高の選手と表現するにふさわしい活躍を見せる大谷翔平。彼をここまで強くした背景には何があったのか、少年時代を知る証言者たちの言葉を通じて大谷のルーツに迫った。

全国大会でのぞかせた“勝利への執念”

小学生時代の大谷が、1試合を終えるために必要な18個のアウトのうち17個を三振で奪った姿に衝撃を受けたと語るのはパリ五輪競歩混合団体代表の高橋和生(かずき・27)だ。
高橋は少年野球チーム「水沢リトルリーグ」に所属し、2つ年上の大谷と共にプレーしていた。

当時から打ってはホームランを連発し、投げては三振の山を築くといった怪物級の活躍を見せていた大谷だが、試合に負けた時の“ある言動”が印象的だったと高橋は語る。

それは大谷が中学1年生の時の出来事だった。
高橋:
(水沢リトルは)全国大会に出場するだけでも初めて(のチーム)だったので、それだけで満足する選手が多かったんですけど、負けて誰よりも泣いていたのが大谷選手。勝利への執念は人一倍あるんだなと思いました

人並み外れた能力があるからこそ勝利へのこだわりも人一倍。中学生の大谷にとっては全国大会でさえも勝たなければならない1試合に変わりはなかった。

甲子園での敗戦を機に野球漬けの日々へ

そして大谷の“勝利への執念”は花巻東高校へ進学し、甲子園で注目を浴びる頃にはさらに強くなっていた。

高校2年生の夏、甲子園の初戦で花巻東は松本剛(現・日本ハム)を擁する帝京高校と対戦。初回から再三帝京に勝ち越しを許しては花巻東が追いつくという展開となった試合は、7回に大谷が松本に決勝タイムリーを浴びる形で決した。

花巻東高校の同級生で、右のエース大谷に対する左のエースとして切磋琢磨した小原大樹さん(現・岩手めんこいテレビ)は、この敗戦が大谷にとって大きな分岐点になったのではないかと語る。

小原:
それまでは孤立して何かをやるといった感じではなかったんですけど、例えば食事トレーニングをするにしても、みんなでいると話しちゃうので、あまり話さないグループと食べたりとか、個人的に覚悟が決まったなと感じました

”勝利への執念”は生活のほぼ全てを野球に捧げる必要性を感じさせるほど、大谷を追い込むまでになっていた。

「言葉にして整理」 花巻東の指導方針

さらに小原さんは“イメージを言語化してアウトプットする”という花巻東高校の指導方針もまた大谷を強くした要因ではないかと語る。

高校3年生の春に再び甲子園のグラウンドに立った大谷は世代ナンバー1右腕と評された大阪桐蔭・藤浪晋太郎(現・メッツ)から先制ホームランを放つ。しかし試合後半に大谷自身が崩れ、またしても初戦で甲子園を去ることとなった。

すると大谷は『藤浪の勝利』と報じた翌朝の新聞記事の切り抜きを、寮で常に見える場所に貼り、そこに敗戦の悔しさと自分自身を奮い立たせる言葉を記している。

「みんなでつかんだセンバツを俺一人のせいで負けさせてしまった。」「チームのために、勝利のためにただ懸命にプレーするだけ。」

イメージの言語化によって自身の感情や課題と向き合い、プロ入り後も空前絶後の活躍を続ける大谷。

昨シーズン2度目の満票MVPを獲得すると、FAで名門ドジャースと10年で総額7億ドル(契約時のレートで約1015億円)というスポーツ史上最高額の契約を結んだ。

今シーズンの目標を尋ねられた際には「ワールドシリーズの優勝、それだけ」と答え、「そこに欠かせなかったと言われる存在になりたいですし、そういう期待を込めた契約だと思うので、期待に応えられるように頑張っていきたい」と自らの立場を明確にした。

直近11年で10度の地区優勝を誇る常勝軍団においても、自らが勝利のために責任を負う覚悟は変わらない。

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