山形屋私的整理に不安にじむ取引業者 数々の苦境越えてきた老舗百貨店の底力信じ「一緒に盛り上げたい」

金融支援を受け再建を目指す山形屋=10日、鹿児島市金生町

 山形屋(鹿児島市)が私的整理による再建を目指すことが分かった10日、取引業者からは今後の影響を懸念したり、老舗の業績回復を願ったりする声が聞かれた。

 取引先には同日、個別に連絡がきたという。これまで通り営業を続けることや取引継続などの説明があった。

 長年付き合いがある業者は「あわてて対処する必要はないと受け取った」と冷静だ。ただ、贈答品で特に重視されるブランドイメージが損なわれることへの危惧はある。「山形屋の包装紙の力は弱くなるかもしれない。中元シーズンを控え、多少の影響は覚悟している」と話す。

 別の出入り業者は「金融機関の支援があるとはいえ、本当に従来と同等規模の取引が続くか、心配ではある」と不安をにじます。一方、別の食品業者は「金融支援が入ることを考えれば特に心配していない。変わらない付き合いを続ける」。

 「消費行動の変化や郊外型店舗の増加など、小売業を取り巻く環境が大きく変わってしまった」と経営の厳しさを指摘するのは、山形屋内に販売所があるさつま揚げ製造の有村屋(同市)の有村興一社長(83)。「県内で唯一の百貨店。必ず復活すると信じ一緒に盛り上げたい」とエールを送った。

◇273年続く老舗の歩み

 山形屋は1751年に創業した。初代が山形から薩摩入りし、店を構えたのを前身とする。株式会社になったのは1917(大正6)年。全国初とされる「友の会」制度を始めるなど、先進的な手を打ち出した。

 45年には本社が空襲で被災したが、終戦後1カ月で営業を再開。54年にはバスセンターを併設し、県内各地から人を集めた。

 消費者ニーズの多様化を受け、84年には「半世紀に1度」という大規模増築を完了。89年に国分隼人テクノポリスセンター、90年にはJR九州の西鹿児島駅ビル出店を相次ぎ決定した。しかし、バブル崩壊後の環境変化で、90年代半ばにいずれも断念した。

 2000年代以降、JR鹿児島中央駅ビルにアミュプラザ鹿児島、市南部地区にイオンモール鹿児島などの進出が続いた。07年には新2号館を含む約100億円の大型投資を発表したものの、リーマン・ショックの影響で09年に凍結を発表。進展なく現在に至っている。

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