当時日本ハムGMだった山田正雄氏が「この性格はプロでやる上でプラスになる」と確信した決定的瞬間【大谷翔平「二刀流の血脈」自信と気質とアタマ編】#4

U18韓国遠征、チームメイトと笑顔で歓談する花巻東の大谷(C)共同通信社

【大谷翔平「二刀流の血脈」自信と気質とアタマ編】#4

華々しい活躍で世界を沸かすドジャース大谷翔平(29)。

日刊ゲンダイが過去に連載した「秘話 大谷翔平『二刀流の血脈』」を、大谷の自信、気質、アタマの3点に焦点を当てて再編し、その軌跡を紐解いていく。(第3回からつづく)

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高校3年時のU18メンバーには藤浪、北條史也(元阪神)、田村龍弘(ロッテ)、森友哉(オリックス)らがいて、大阪出身者が中心だった。東北生まれの大谷はどんな反応を示すのか、そもそも輪に入っていけるのかどうか。同年秋のドラフトに向け、大谷の性格を確かめるべく、日本ハムの山田正雄スカウト顧問(当時GM)は試合会場のある韓国に飛んだ。

試合前のベンチ。練習の合間、大阪出身者が中心になって輪ができた。大阪弁が飛び交い、時折笑い声が聞こえる。ベンチから大谷が出てきた。横目でチラッと大阪弁の輪を見る。山田スカウト顧問が「そのまま通り過ぎるんだろうな……」と思った次の瞬間、すっという感じで自然に近づき、輪の中に入っていった。そして30秒もしないうちに輪の中心で身ぶり手ぶり、選手たちの笑いを誘っていた。「この子の性格はプロでやる上でプラスになる」と山田スカウト顧問は確信したという。

中学時代の担任もまた大谷の性格を心配したひとりだった。困っている子がいれば助け、物を忘れた子がいれば自分の物を貸した。

シニアで飛び抜けた実力を発揮しても、中学の野球部の試合には「出ない方がいい」と言う。練習時には自分から進んで球拾いをし、ノックの球出しまで買って出た。

プロ野球選手といえば、オレがオレがの勝ち気なイメージ。少しくらいテングになる方がいいのではないかという気もしていた。なのでプロでやっていくには、大谷は優し過ぎる気がしたという。担任のそんな心配はしかし、杞憂だった。大谷の実力が投打で突出していたことはもちろん、投げて打って1人で2人分の仕事を掛け持ちできたのは、ナインの理解を得ていたからこそ。周囲に敵をつくらず、年上にもすんなり溶け込める末っ子気質がプラスに作用した。(つづく)

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大谷が日本ハムから海を渡る際、球団選びで最も重視したのが「西海岸かつ小規模都市」ということだった。それは人間性やスタンスが如実に表れたと言っても過言ではない。

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