小学校前の「よい子の店」54年の歴史に幕 学用品や駄菓子扱い年中無休 82歳店主「私の生きがいだった」

「よい子の店京藤文具店」店内に立つ店主の京藤暁子さん=4月25日、埼玉県所沢市けやき台

 埼玉県所沢市けやき台の市立清進小学校の校門前にある「よい子の店京藤(きょうとう)文具店」。学校の開校当時から児童を見守ってきた名物店が、54年の歴史に幕を閉じる。1人で店を切り盛りしてきた店主の京藤暁子さん(82)は90歳を前に閉店を決意。「54年やれたのは子どもたちと保護者に恵まれたから。大したもうけはないけれど、子どもたちを見ていると毎日が新鮮で、私の生きがいだった」と振り返る。

 店内には鉛筆やノートなどの学用品と共に、30円前後で20種ほどそろえる駄菓子が並ぶ。店の前で待ち合わせてジュースや当たりくじ付きの駄菓子を楽しむ児童たちに「だらしない店と思われたくないから」と、京藤さんは年中無休で午前7時~午後7時まで店を開ける。早朝は学校の周りを掃除し、登校時間は店の前に立って「おはよう」と声をかける。いつしか「よい子のおばちゃん」と呼ばれるようになった。

 清進小が開校した翌年の1969年8月に開店。東京都品川区で生まれ、結婚を機に現在の場所に引っ越した。目の前は農道と整備されていない野原。正面に小学校が建つと聞き、「いい条件だし、お店をやりたい」と思い立った。最初は1歳の長女を育てながら。長男の妊娠中も大きなおなかで営業を続け、出産後は「小脇に抱えながら」働いた。長女は長男の世話を手伝い、京藤さんが2カ月ほど入院した際は夫が店を開けて協力してくれた。

 レジに立つ京藤さんからは入り口のガラス戸越しに、校内を駆け回る児童の姿が見える。「私も頑張って走らなきゃって、元気をもらいます」。2006年に夫が亡くなり、子どもたちは就職や結婚で家を出た。新型コロナウイルス感染症の流行時は児童の買い食いに配慮してアイスの販売を中止した。それでも大好きな児童のために店を続けた。「あいさつしてくれるようになったり、掃除をしてると『私がやるよ』と言ってくれたりする。いい子たちばかり」と目を細める。

 親子3代で清進小に通う市内の久保義行さん(62)は「アイスやジュースを買って、店の前で食べた。おばさんはいつもニコニコしていて、おじさんは少し怖かったな」と振り返り、閉店の知らせに「店があるのが当たり前だったから、寂しい」と話す。娘の木村あゆみさん(34)は「(女性アイドルグループ)『モーニング娘。』のカードのくじを引いて、友達と交換していた」と懐かしみ、「友達のお母さんは登校前に鉛筆を買い足しに駆け込むこともあったみたい。これからどうしようってみんなで話していますよ」と閉店を惜しむ。

 学校関係者からも「やめないで」と求められるが、京藤さんは「元気なうちに」と閉店を決めた。6、7月ごろに店を閉め、自身も引っ越す予定だ。「まだまだ自分なりに頑張れるけど、ピリオドも必要かな。90(歳)になる前に決めないと」と寂しそうにほほ笑んだ。

■ニュータウン計画で学校増

 所沢市立清進小学校の最寄り駅、西武新宿線新所沢駅の周辺は1957年に「北所沢ニュータウン計画」が発表され、急激に人口が増加した。「ところざわ歴史物語」(2006年、市教育委員会発行)などによると、団地の建設や区画整理などの宅地化が進み、明峰小(67年)、清進小(68年)、伸栄小(71年)、向陽中(同)と、学校が次々に建てられた。

 55年に約5万6千人だった市内の人口は67年に10万人を超え、10年間で約10万人増の21万4千人(77年)に。その後も増加を続け、2023年時点では約34万3千人が住み、同年5月時点の児童数は1万5908人。学校基本統計によると、県内の児童数はピーク時の約65万8千人(1982年)から約35万5千人(2023年)に減少している。

 文房具店も減少を続けており、経済産業省などの調査では、全国の文具店(紙・文房具小売業)数は1991年の約2万5千店から、2021年には2803店に減少。特に個人店は1991年の約1万9千店から2002年に約1万店、16年には3612店まで減っている。

開校当時の所沢市立清進小学校の航空写真。写真中央上、校庭に隣接する平屋手前の道路沿いにあるのが「よい子の店」。(久保さん提供)

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