「朝市の母」旅立つ 最高齢95歳米谷さん死去 鮮魚一筋80年「おとみさん」

露店で鮮魚を販売するはる子さん=2020年5月、輪島市の輪島朝市

  ●高齢者施設でも「魚さばいたる」 12日・母の日、しのぶ声

 輪島朝市の最高齢組合員米谷(こめたに)はる子さんが4月、病気のため95歳で亡くなった。女手一つで育ててくれた母を助けるために中学生から露店に立ち、鮮魚一筋80年。「おとみさん」の屋号で、個性派ぞろいの「朝市のおばちゃん」の中でも一目置かれる存在だった。能登半島地震からの復興を見通せぬまま天国に旅立ち、母の日の12日を迎え、「朝市の母」をしのぶ声が広がっている。

 はる子さんは2歳のとき、漁師の父が出漁したまま帰らぬ人となり、戦時中の15歳の頃から母とみさんの店を手伝った。母の名前を引き継ぐ形で「おとみさん」と呼ばれ、親しまれた。

 商売は鮮魚一本。正方形の箱に正座するのがスタイルで、愛称は「箱入りばあば」。毎朝、自ら競りで仕入れた鮮魚を並べ、注文を受けると、客の目の前でさばく。10キロのブリも出刃包丁一本で手早くおろし、観光客に刺し身を食べさせて交流するのが何よりの楽しみだった。

 住吉神社(輪島市鳳至町)でかつて栄えた夕市にも長年出店し、6年ほど前まで最後の1軒として営業を続けた。「魚はちりちり(新鮮)でないと。なれた魚は食べさせられん」と、市民の食卓を支えた。

 気さくな人柄で組合員にも親しまれた。タコの天日干しを販売する道下睦美さん(57)は「子どもが小さい頃はよく遊んでもらった。朝市の顔やし、みんなのお母さんみたいな存在やった」と死去を惜しむ。

 はる子さんと一緒に店を切り盛りしてきた長女礼子さん(62)によると、はる子さんは2年ほど前から物忘れが多くなり、朝市への足は遠のいていた。能登半島地震は自宅で被災。羽咋市の高齢者施設に入所した後、4月上旬にすい臓に腫瘍が見つかり、同17日に亡くなった。

 羽咋市の施設では職員が「新鮮な魚食べたいわぁ」と話し掛けると、「さばいたるから包丁持ってこい」と腕まくりをしていたという。礼子さんは「寝ても覚めても、話題は朝市のことばかり。本当に好きだったんだと思います」と目を細める。

  ●2次避難の長女「いつか輪島に戻る」

 朝市の再開が見通せない中、礼子さんは現在、金沢市内に2次避難し、スーパーの鮮魚売り場で働く。すぐに仕事を再開したのは、はる子さんに幼い頃から口酸っぱく言われた「人間遊んどってもだめねんぞ」との言葉を思い出したからだ。「母は生きて行く上で大事なことは全て教えてくれた。いつか輪島に戻り、振り売りでも商売がしたい」と話した。

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