【コラム・天風録】日本のおじいちゃん

 演技以外の仕事を嫌がり、初の写真集が出たのは87歳の年だった。映画「男はつらいよ」シリーズの御前様役、尾道を舞台にした小津安二郎監督の「東京物語」で昭和世代には知られた亡き俳優、笠智衆(りゅう・ちしゅう)さんである▲「東京物語」では広島弁をこなし、妻に先立たれた折のせりふは今も耳に残る。〈もっと優しゅうしといてやりゃあ良かったと思いますよ〉〈一人になると急に日が永(なご)うなりますわい〉。老いの孤独が胸に迫ってくる▲あの芝居が49歳の時だった。明治の生まれで「日本のおじいちゃん」として慕われ続けた笠さんの、あすは生誕120年に当たる▲例の写真集も題名は「おじいさん」。ほう、それはそれは、どうも…と、声が聞こえてきそうな表情を捉えている。いかなるときも動じず、ウンウンとうなずいている。雷おやじの片りんとてない。ああいう、たたずまいを周りで見かけなくなった▲今や人生100年時代である。別の理想型が求められているのかもしれない。ただ、物腰柔らかに映る笠さんも、長年連れ添った妻の見方は別だった。「真綿でくるんだ鋼鉄の玉のような人」。柔と剛の釣り合い―。初孫に恵まれた、わが胸に手を当ててみる。

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