阪神ドラ1→育成降格は「恥ずかしかった」 1260日ぶりの1軍登板も…唯一の“後悔”

育成選手時代の元阪神・横山雄哉氏【写真提供:産経新聞社】

2014年ドラフト1位で阪神に入団した横山雄哉氏、度重なるケガに悩まされ2020年に現役引退

球団史上初のリーグ連覇を目指す阪神を陰ながら応援しているのが、2020年に現役を引退した横山雄哉氏だ。2014年のドラフト1位左腕は左肩の痛みと戦いながら、6年間のプロ野球生活を全うした。一度は育成選手に降格しながらも、再び支配下選手登録を勝ち取った男は「唯一の後悔は1年目の秋。あれから自分の真っすぐが投げられなくなった」と、振り返る。

横山氏は新日鉄住金鹿島から2014年のドラフト1位で阪神に入団。ムチのようにしなる腕から繰り出される150キロの直球が武器で、即戦力左腕として期待された。2年目にはプロ初勝利をマークしたが「本来は真っすぐで押すスタイルだったのですが、変化球で交わす投球。その日にならないと肩の状態が分からない」と、騙し騙しの投球だったことを明かす。

自慢の直球を失ったのはプロ1年目が終わった秋のフェニックスリーグ。同年は1軍で4試合に登板するも0勝2敗、防御率6.75と結果を残せず「2年目に向けアピールに必死だった」という。若手主体の試合で結果を残し、翌年の春季キャンプでの1軍スタートも視野に入れていた。

並々ならぬ思いで挑んだが、試合前のキャッチボールで左肩に違和感を覚えた。チャンスを逃すまいと投げ続けると、徐々に痛みが増し「後半から10メートルも投げられない。そこから引退まで肩の痛みは取れることはなかったです」。伸びのある直球を失い、自らの投球スタイルは180度変化することになった。

2018年に左肩を手術し育成契約、2020年には支配下復帰を果たし1260日ぶりの1軍登板

左肩の痛みに耐えながら2016年は3試合、2017年は1試合の登板に終わり、2018年シーズン途中に手術を決断した。同年オフには育成選手として契約を結び、背番号も3桁の「115」に変更。前もって球団から伝えられていたが「いざ、3桁となると恥ずかしかったというか……。でも、本当に肩が治ってほしいとしか考えなかった。痛みが取れれば以前のようにと投げられる。そのストーリーは思い描いていました」と、自身と向き合った。

期待と不安を抱きながらリハビリに取り組み、2019年7月にはファームで復帰登板を果たす。7試合に登板し1勝1敗、防御率2.86の成績を残すと、2020年には育成選手でありながら春季キャンプ1軍スタートを勝ち取る。球団には内緒で痛み止めを飲みながらアピールを続け、同年9月30日に支配下復帰すると10月4日の巨人戦では1260日ぶりの1軍登板を果たした。

「もう一度、甲子園の舞台に立ちたい。球場の歓声は今でも忘れることはありません。病院の先生、トレーナー、家族、地元・山形の人とか応援してくれる人もたくさんいた。全ての方に恩返しができました」

1軍登板は復帰戦の1試合に終わったが、ファームでは16試合に登板しチーム唯一の規定投球回をクリア。さらに勝率.667でウエスタン最高勝率のタイトルも獲得。復活への一歩を踏み出したかに思えたが、シーズン終了後に待っていたのは思いもよらぬ“通告”だった。(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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