【ダーツがつなぐ地域の絆】震災後の「仮設住宅・災害公営住宅」の住民が参加 開催2000回超えのダーツ大会(宮城)

「東日本大震災」から13年2か月あまり。

震災後、仮設住宅で過ごす人たちに笑顔になって欲しいと始まったダーツ大会がある。

変わってしまった地域のつながりを支えようという取り組みについて、お伝えする。

ダーツ大会でのやりとり

「もっと高いとこよ」「惜しい!」「おー」「1本入りました!」

仙台市太白区にある『あすと長町』の災害公営住宅。

集会場で行われていたダーツ大会に参加するのは、この場所に住む新妻千恵子さん。

新妻千恵子さん

「もうどんどん力が湧いてくるの。92歳になってもね、まだこれから。みんなでいろんなお話できるのが力になるんだよね。若返りの秘訣だと思います」

もともと、宮城・石巻市に住んでいた新妻さん。

2011年。震災により石巻市南浜町にあった自宅には住むことができなくなった。

大正12年から続く夫婦で切り盛りしていた和菓子店も津波に飲まれ、店をたたんだ。

新妻千恵子さん

「悲しいより、あ然としましたね。 こんな風になるのかと思って、 ほんとにびっくりした」

一時は、関東に住む娘の家に避難したが、地元の友人との交流を求めて2015年から仙台市太白区の災害公営住宅で暮らしている。

宮城県民主医療機関連合会の調査によると、県内の災害公営住宅では1人ぐらしの割合は年々増加傾向にあり、去年は53.7%と半数を超えている。

災害公営住宅の現状について、「住宅再建とコミュニティ形成」に詳しい東北大学の佃悠准教授は、入居者の多様化が進んでいると指摘する。

東北大学大学院工学研究科都市・建築学専攻 佃悠准教授

「各団地では、自治会などを作っていると思うが、やはり新しい方の入れ替わり、 古い方が出ていかれる等ある中では運営するご苦労もすごくありますし、その担われている方自体も高齢化が進んでいるというところで団地によっては団地会のようなものも解散している所もあると聞いています」

だれも1人にならないように。

そのきっかけになればと、続けられているイベントがある。

主催者「では行きます1,2,3ダーツ!いくぞー」

2023年11月に開催されたダーツ大会。

年齢や体力に関わらず、多くの人が参加できる。

ダーツ大会参加者

「おー。12の25の50、75。ありがとうございます」

「よし、あーだめだ。あーなんだもう」

震災の翌年、2012年から始まったダーツ大会。

仙台市内の市民団体が主催するもので、復旧が進むにつれて各地の仮設住宅から災害公営住宅などへと場所を移し、その回数は2000を超えた。

大会を主催する坂上満さん

「津波前の同じ町内会の方は、やっぱり結構バラバラになってるんですよ。で、そういったところの方々が、こういったダーツ大会の時に集まることができて、そこで久しぶりに対面でき懐かしい話をしたり笑顔の交流したり、そんなことがありますね」

「笑顔になれる場であってほしい」

成績優秀者に配られる表笑状(=表彰状)にも、その思いが込められている。

ダーツ大会参加者

「(Qプレーはどうだった?)全然ダメ、毎回のことなんだけどさ。うちでも練習してるんだけどさ。 でもおしゃべりするのが楽しいからね。だからありがたいと思います」

「私は、初めから参加はできませんでしたね。引っ込み事案というか。友達に肩を押してもらって参加したような。参加してみたら、みんなとお友達になれて楽しいんですよね」

震災から13年。

気軽に集まれるきっかけとなる取り組みは、高齢者にとって日々の不安を軽くする役割があるという。

東北大学大学院工学研究科都市・建築学専攻 佃悠准教授

「なにかあったときに、誰に相談すればいいとか自分がもし倒れたり何か状態が悪いときに誰かが発見してくれるとかそういうことが非常に生活の安心にもつながってくると思います。一人一人が誰かとつながりたい と思ったときに、それが出来る場所を作るとか、住民の方だけでは難しいときに社協だったりNPOであったり福祉団体であったり、市や行政そういうところに相談、つながりをサポートできる場が増えてくるのが非常に重要」

仙台市内の災害公営住宅に住む新妻さん。

毎月のダーツ大会を楽しみにしている

新妻千恵子さん

「時々ね、知らない方が(ダーツ大会に)来るの。でももう、みんなと一緒に。石巻にいるよりは、ここに来て良かったなと。石巻の大きな家に1人でいるよりはね。みんなとの交流があるから」

「誰も取り残されないようにー」

震災で変わってしまったコミュニティを支える様々な取り組みが求められている。

© 株式会社宮城テレビ放送