過度の「リスク管理」は子どもの自立の妨げになる【「不登校」「ひきこもり」を考える】

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【「不登校」「ひきこもり」を考える】#13

赤ん坊が何度もコテンコテンと転ぶ姿を、「愛情」が故に危なくて見ていられないと歩くことを許さなかった結果、いつまでも歩き方がわからないまま転ぶ怖さを恐れてついには自ら歩くことさえできないまま大人になった……。極端だと言われるかもしれませんが、私には起きていることの本質は、ひきこもりとまったく一緒だと思えてなりません。

そして、今、大人になっても歩けないままのわが子が必要とする介助を「甘やかし過ぎ」と揶揄する態度までも。この「愛情」は真の愛情だったのでしょうか? それとも親のエゴだったのでしょうか? もちろん本当に危ない行為もありますから、リスク管理は不可欠です。一方で、過度のリスク管理は自立を阻みます。この境は、お子さんの性格や特性、発達といった個人差があるため非常にわかりにくい。でもお子さんのそれに合っていなければ、過度の安全マージンによって健全な自立が阻害されることは事実で、そして心の成長においても同じことが言えるのです。

こう話すと、じゃあ「子どもの好き放題にさせればよかったのか」と極端な反論をすぐにしてこられる親御さんも多いのですが、この言葉自体が、感情不全についての理解に非常に乏しいことを示す典型的な言葉と言えます。

■「おもちゃが買って」と泣き叫ぶ子どもの感情にヒントがある

たとえば、「おもちゃを買って!」と泣き叫ぶ子どもがいたとします。この子は「このおもちゃが欲しい」という素の感情、つまり一次感情に突き動かされて行動しています。

しかし、親がいくら泣き叫んでも親がこのおもちゃを買ってくれないと理解すれば、「ああ、このおもちゃは今は買ってくれないんだな、悲しいな」と苦痛は感じますが、その感情はピークアウトすれば時間と共に消退していきます。

仮に親が、「そんなくだらないもの欲しいとか言わないでよ」「お願いだから人前で大きな声で泣かないでよ」などと端から叱ることしかせず、「おもちゃが欲しいから泣き叫ぶ」「手に入らないと悲しい」という子どもの素の感情には何の関心も抱かず、ただそこから生じる反応としての表面的な行動ばかりにしか親が目を向けなければどうなるでしょうか?

とはいえ、この程度のことはどこの親子でも普通に見られるやりとりですし、現実には問題にならないことが大半です。しかし、お子さんが繊細で傷つきやすいという気質を持ち合わせた場合には、もしくは過去にもお子さんの「欲しいものが手に入らず悲しい」という気持ちに寄り添うことに欠けていて感情不全がすでに生じはじめている場合には、実はこの対応の積み重ねは大変なリスクを伴うのです。(つづく)

▽最上悠(もがみ・ゆう)精神科医、医学博士。うつ、不安、依存症などに多くの臨床経験を持つ。英国NHS家族療法の日本初の公認指導者資格取得者で、PTSDから高血圧にまで実証される「感情日記」提唱者として知られる。著書に「8050親の『傾聴』が子供を救う」(マキノ出版)「日記を書くと血圧が下がる 体と心が健康になる『感情日記』のつけ方」(CCCメディアハウス)などがある。

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