曙さんの「横綱ブランド」ホワイトハウス土俵入りとハリウッド映画は幻も、長野五輪で「人生は映画」実感

曙太郎さん(享年54)の死去が報じられて11日で1か月となり、この世を去ってから初めての本場所(夏場所・両国国技館)が12日に初日を迎えた。満身創痍(そうい)で一人横綱を張る照ノ富士に続く新横綱の誕生も、絶対的な存在がない混戦状態の今、先行きは見えない。そんな角界の状況を踏まえ、生前の曙さんが語っていた「世界が注目した横綱ブランド」に対する思いを振り返ってみた。(文中一部敬称略)

2011年にデイリースポーツ紙面で連載した企画の取材中、曙さんは米国の「超VIPな世界」からオファーがあったという2つのビッグプランを明かした。

「(93年)横綱に昇進して米国巡業に行った時、『ホワイトハウスで土俵入りをやってほしい』って頼まれたのに、相撲協会は『相撲は政治じゃない』って断ったんだよな。俺は正直言うと、そんなすごい話を断った相撲協会にむかついたんです。前例もないし、なかなか、できることじゃないですから。あの時は『損した』と思ったけど、別の見方をすれば、当時の相撲協会にはアメリカの大統領に負けないだけの力があったということ。俺たちに対しても厳しかったですよ。若貴兄弟もそうだったけど、俺も日米両方からCMの話がありましたけど全部ダメだった。協会から『土俵の上に金がいっぱい落ちてるよ』って言われました」

さらに、曙さんは「ハリウッド映画の監督さんから英語で『曙さんと話したい』って電話がかかってきましてね」と言葉をつないだ。

「ハリウッドから『ライツ(権利)を売ってくれ。曙の映画を作りたいから』って。協会の答えはホワイトハウスの土俵入りと同じで『NO』。あの時、協会がOKしてたら、俺の映画ができたかもしれなかったのに!『ダメ』って言った出羽の海理事長だって、横綱佐田の山の時にジェームズ・ボンドの映画(※丹波哲郎や浜美枝らが出演した67年公開のシリーズ第5作『007は二度死ぬ』)に出てるのよ!ボンドが日本の相撲を見に来るシーンで本人役で出てますよ。あと、二子山さん(初代の横綱若乃花)も映画に出てる(※大関時代に自ら主演した56年公開の日活映画『若ノ花物語 土俵の鬼』)。それなのに俺らの頃は現役力士の映画出演はダメだったんですよ。ハリウッドで曙の映画が完成してたら、権利も何億、何十億円って話になってたわけでしょ?ほんとよ。俺の人生、返せっちゅ~の!!(笑)」

そんな軽口もたたいて満面の笑みを浮かべた曙さん。大相撲の横綱が世界から注目されていることを伝えたかったのだろう。NBAのスーパースター、マイケル・ジョーダンが来日時に東関部屋まで見学に来たこと、フランス・パリ巡業で当時のシラク大統領と食事したことなどを懐かしそうに振り返った。

「世界が注目する横綱」という地位をより実感したのは98年2月、長野五輪開会式での横綱土俵入りだったという。当初予定されていた横綱貴乃花が同年初場所で急性上気道炎による高熱と原因不明の湿疹で途中休場し、長野五輪の土俵入りを辞退。曙さんが代役を務めた。96年に日本国籍を取得し、日本人としての晴れ舞台だった。

「五輪会場で『ヨイショ、ヨイショ!!』の大合唱。その時は自分が日本人だというこだわりはなかったですね。どこの国の人とかいうより、〝相撲取り〟として土俵に上がったんですよ。そっちの方が大きかった。とはいっても、日本人になっていたから、できたことなんですね。最高の経験をさせてもらいました」

そして、曙さんは付け加えた。

「長野オリンピックの土俵入りって、今、考えると〝映画〟でしたよね。本当は貴乃花さんが日本代表の横綱として土俵入りをやって、俺は選手の入場行進で先頭になるギリシャの水先案内を務める予定だったんです。正直言うと、内心では「俺が先に(横綱に)上がったのに…」って思いがあって悔しかった。ところが、貴乃花さんが病気になられて、土俵入りの役目が回ってきた。これって、映画ですよね。ほんとに。映画のような人生ですよ」

ハリウッド映画は〝幻〟だったが、自身の人生自体が〝映画〟だったということをリアルに感じた曙さんがいた。

(デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)

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