イスラム抵抗運動「ハマス」に絶対的指導者がいない理由

今月6日にイスラム組織ハマスは、パレスチナ自治区ガザでの休戦案を受け入れることを表明したが、それに対してイスラエルが反発するなどがあり、休戦に向けての動きは止まってしまった。「ハマス」はアラビア語で「イスラム・抵抗・運動」=「情熱」を意味するが、国際政治学者の高橋和夫氏に現在に至るまでの歴史を解説してもらった。

※本記事は、高橋和夫:著『なぜガザは戦場になるのか -イスラエルとパレスチナ 攻防の裏側-』(ワニブックスPLUS新書:刊)より一部を抜粋編集したものです。

エジプトで生まれたムスリム同胞団から始まった

ハマスの母体となったのは、ムスリム同胞団という組織である。「ムスリム」はアラビア語でイスラム教徒を意味している。ムスリム同胞団の源流は、20世紀初頭のエジプトにある。

ハサン・アルバンナーという教師を中心とするグループが、イスラムの実社会での実践を訴える運動を開始した。その背景にあったのは、イスラムの教えが十分に実践されていないという認識であった。アルバンナーは社会でのイスラムの復興を訴えた。言葉を換えるならば、いわゆる“イスラム”社会の再イスラム化運動であった。

このムスリム同胞団は巨大な運動体に成長した。そして、2011年に「アラブの春」と呼ばれた一連の政治変動の流れで、エジプトのムバラク大統領の軍事独裁政権が倒れた。翌2012年に行われた大統領選挙で、ムスリム同胞団のムルシが当選した。民主的な手続きを経ての権力の掌握であった。

だが、翌2013年には軍部がクーデターを起こし、ムルシを投獄した。そしてムスリム同胞団を非合法化し、同胞団のメンバー多数を拘束した。非合法化され指導部は投獄されたものの、ムスリム同胞団はエジプトの庶民のあいだで根強い支持を有しており、政治の表舞台への復帰の機会をうかがっている。

また、同胞団を排除しての統治では、エジプトに民主的な方法で政治的な安定をもたらすのは困難であろう。さて、この「社会の再イスラム化」という運動は、エジプトから飛び火して中東各地に広がった。そして、イスラム世界各地にムスリム同胞団が結成された。パレスチナも例外ではなかった。

このパレスチナのムスリム同胞団が、ハマスと名を変えて1987年のインティファーダで大きな役割を担った。インティファーダとは、大衆による一斉蜂起のことである。具体的には投石やストライキなどでの、イスラエルの占領政策に対する抗議と抵抗運動だった。

▲イスラエル周辺 地図:園 りんご / PIXTA

ハマスの正式名称は、アラビア語で「イスラム・抵抗・運動」である。それぞれの頭文字をつなぐと「ハマス」となり、意味は「情熱」となる。よりアラビア語に忠実に表記すれば「ハマース」である。アラブ人は、長い組織名の頭文字をとって略語を作る。

しかも、それに意味を持たせるのが好きだ。組織名を考える際に略語が意味を持つように、まず略語から考えて、組織名を決めているのではと思ったりもする。

ハマスのライバルは、ヨルダン川西岸にあるパレスチナ暫定自治政府の主体「ファタハ」(パレスチナ解放運動)という組織である。パレスチナ暫定自治政府の初代の首班を務めたのはアラファトだった。このポストをパレスチナ人は「大統領」として言及している。つまり、アラファトはパレスチナの初代大統領だった。

このアラファトが結成した組織がファタハである。その正式名称は「パレスチナ・解放・運動」。アラビア語の頭文字を続けて読むと「ハテフ」になり、「死」を意味する。これではまずい。そこで、逆転の発想で頭文字を逆に読むと「ファタハ」になる。その意味は「勝利」である。パレスチナ人の政治を、この「情熱」と「勝利」の関係が規定している。

パレスチナ全土がイスラム教徒の信託地

ハマスの特徴は、抵抗運動として軍事部門を持っているばかりでなく、パレスチナで最大級の人道NGO(非政府組織)の役割を担ってきたことである。イスラエルが占領を始めた1967年以降、イスラエルは占領地の人々に、ろくな市民サービスを提供してこなかった。

そのなかで、ハマスの前身の組織は、教育や託児、基本的な市民サービスのようなものを提供する団体として、庶民の支持を集めてきた。ムスリム同胞団の影響を強く受けたこの福祉組織が、ハマスとして政治、軍事活動を開始するようになったきっかけは、前に触れた1987年に起きた第一次インティファーダである。

ガザ地区で自然発生的に起こった住民の占領当局に対する抵抗運動は、たちまち西岸地区に飛び火し、占領地全体を巻き込む蜂起に発展した。イスラエルが、ガザとヨルダン側西岸を占領下に置いたのは1967年のことである。以来、比較的平穏に推移してきた占領地の情勢の急変はイスラエルを驚かせた。

インティファーダの中心となったのは、非武装のパレスチナ人であった。一般の子どもや若者が投石をするなどして抵抗の意思を示した。そして先兵となったのは、占領地で生まれたハマスやイスラム聖戦といったイスラム急進組織であった。

西岸地区のファタハが主導するPLO(パレスチナ解放機構)とは思想を異にするハマスは、独自の組織として活動し、ファタハが主導して組織したパレスチナの統一司令部には参加しなかった。

設立時の指導者は、シェイフ・アフマド・ヤシンである。このハマスは、いかなる論陣を張ってきたのだろうか。

そのひとつは、パレスチナ全土がイスラム教徒の信託地(ワクフ)であり、何人もこれを放棄することは許されないし、そうした権限を与えられていないとする考えである。つまりイスラエルを承認し、パレスチナをユダヤ人国家とパレスチナ人国家に分割し、両者を共存させようとする路線に対する明確な拒絶であった。

パレスチナ全土が神によって与えられた契約の地である、というイスラエルのタカ派の議論を裏返しにすると、イスラム急進派の主張となる。強硬派は強硬派を生み、宗教的熱狂は宗教的熱狂を呼んだ。ハマスはパレスチナの完全解放を呼びかけた。こうした立場に支持が集まったのは、パレスチナ人の置かれている絶望的な状況の反映であった。

プロテスト(抗議)として、急進派に人心が集まったのではないだろうか。抗議の対象はイスラエルの占領であり、国際社会の無関心であり、PLOの無策であった。絶望の深淵からの叫びがハマスの主張であった。

現在のハマスには、絶対的指導者はおらず、集団的に意思決定がなされている。創設
者のヤシンやその後継者は、2000年代にイスラエルにより暗殺されている。それにより、指導者がいなくなっても組織が維持できるように、一人に権力を集中させない体制をとっているとされる。

ハマスは主に政治部門と軍事部門に分かれており、現在の政治部門の代表のイスマイル・ハニヤは、暗殺を恐れてカタールに拠点を置いている。

ガザの代表はヤヒヤ・シンワルで、その軍事部門には4万人ほどがいると言われている。なおハマスは、2017年にその憲章を改訂し、1967年の国境線内でのイスラエルの生存を暗示的ながら認めるようになった。

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