週末は、骨董市へ。昭和の終わりごろ作られたものの“光”を浴びに行きませんか。

この文章は4月29日に書かれています。「昭和の日」ですね。ゴールデンウイークの真っ只中ですが、万年自由業者としてはこうして、長期休みは縁がないのです(悲しみ……)。さて、今日はこの「昭和の日」を出発点に、昭和の明るさを感じるモノ・コトについてちょっと、書いてみたいと思います。

記念日の呼び名からもうかがえる、激動の時代

この日は、昔から記念日ですが呼び方がいろいろ変わっています。

一つ前は、「みどりの日」、

その前は「天皇誕生日」、

もっと前は「天長節」。

長い長い時間、この日は記念され続けてきたので、時代背景によって呼び名が変わってきたのです。昭和天皇の誕生日だからですね。

昭和天皇は、明確な記録が残る歴代天皇中、満62年間と在位期間最長、崩御時も最高齢でした。この休日の名前、ある時代には、公人としてよりも植物学者であった個人の顔を前に出すことで、歴史的意味付けや匂いを遠くへ離したり、またある時はフラットに、今上天皇の誕生日である、としか意味しない名にしたり、そうしてまたあるときは、天地が永遠に続くように天皇の治世がいつまでも続け、という名にしたり。

あまりにも長かった激動の時代・昭和は、社会の価値観も激変したことが、記念日ひとつからもよく分かりますね。昭和を大雑把に区分けるとすれば、恐慌にはじまり、あの戦争で破滅にまで進んだ前のほうと、焼け跡から特需を経て、高度成長、バブルへと進んでいった繁栄の後半がありました。

あの時代に作られたものと出合う喜び

繁栄の光が差すところ必ず濃い影が生まれ、立場の弱い人を無視し、踏み台にし、暗がりのなかで逼塞(ひっそく)させながら、この国は経済大国へと登っていきました。それでも昭和の終わりごろというのは、さまざまなものにカネや手間暇を存分にかけられる光が差していました。あの時代に作られたものに私は個人的に惹かれることが多々あります。

飲み屋さんの遊び心あふれるネオン看板、キャバレーの内装、バーや純喫茶のカウンターや椅子など、意匠だけでなく材質や造りに十分予算がかけられているのが分かることがあります。出先でこれらに出合う喜びはもちろんなのですが、一歩進んで、自分の身の周りにそうしたアイテムを置いておきたい欲も出てきてしまうんです。ああ、なんか分かるな、と言っていただける方もいるんではないでしょうか。

「昭和の明るさ」を見出す

ハイ奥さん、ここで本日私がおすすめしたいのが「骨董市」ですよ。

私は、ちょくちょく骨董市に出かけています。大体土曜や日曜、お寺や神社の境内で開かれています。営業時間がいいですよ、明け方から日没、としているようなゆるいところが多いです。

休日の午前中、器、花瓶、グラス、ピンバッジ、ライター、腕時計、雑誌、どう使うか分からない古道具など、おやじさんやおばさんがブルーシートを広げ、お茶を飲みながらのんびり売っている品々を眺め歩くのは楽しいものです。毎度グラスは、なんだかんだで一つ二つ買ってしまいます。古新聞でくるんでもらって、がっしり重い、古びたガラスを手に提げて、帰りの電車にゆられるのもうれしい気持ちです。

おもしろいのは、こうして買ったものを、平成半ばに生まれた若い方々などに見せると、まず古臭くてイヤだ、という反応にはならないこと。みんなその良さやおもしろさをしっかりお感じになること。古さが新鮮に感じるようです。身の回りにミニマルなデザインがあふれている現代人の感覚からすると、意匠の“過剰”さに打たれるのかもしれません。この過剰に、私は、「昭和の明るさ」を見てしまいます。

この稿をお読みいただいているときには、昭和の日も、ゴールデンウイークもとうに過ぎているはずですが、骨董市はこれからも各地で催されています。晴れた休みの日、出かけてみませんか? 「昭和の光」を浴びに。

文=フリート横田

フリート横田
文筆家、路地徘徊家
戦後~高度成長期の古老の昔話を求めて街を徘徊。昭和や盛り場にまつわるエッセイやコラムを雑誌やウェブメディアで連載。近著は『横丁の戦後史』(中央公論新社)。現在、新刊を執筆中。

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