利長の生涯、本郷東大教授が紹介 富山県高岡市の国宝・勝興寺でシンポ

前田利長の生涯について語る本郷教授(左)=国宝勝興寺

 高岡ロータリークラブ(大谷嘉一会長)は12日、高岡市伏木古国府の国宝勝興寺で利長公シンポジウムII「前田家と高岡」を開いた。東京大史料編纂(へんさん)所の本郷和人教授が高岡開町の祖で加賀前田家2代当主の前田利長の生涯について語った。

 本郷教授は利長が織田信長の娘の永姫を妻に迎えたことについて、信長から才能を認められたからだと説明。ただ、子宝に恵まれず、弟を後継者に選ばざるを得なくなったとし「主君の娘を妻にもらった場合は基本的に側室を持てなかったため、前田家としてはまずかった」と指摘した。

 1614年の利長の死と、利長と親交が深かったキリシタン大名・高山右近の国外追放、大坂の陣について「あまりにも時期が一致している。大坂の陣の大きな目的はキリスト教排除で、ついでに豊臣家がつぶされたのではないかという見方もできる」との私説を紹介した。

 勝興寺文化財保存・活用事業団の高田克宏専務理事が2022年12月に国宝に指定された本堂と大広間・式台を中心に歴史的建造物の概要を説明した。北日本新聞社後援。

私説も紹介した本郷教授

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